2009年4月24日金曜日

クビ切りという麻薬

連日取り上げられる、派遣切り、内定取り消し、大企業のリストラのニュース。マスコミが取り上げるのは本当にごく一部の事例でしかない。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。

小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。

しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。

経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。

新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。

これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。

繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!

残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。

小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。

こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。

経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。

2009年4月13日月曜日

プリウスとレクサス

ホンダのインサイトが189万円ならトヨタの新型プリウスは205万円。
かつて日産ブルーバードとトヨタコロナで過剰な販売合戦が行われ「BC戦争」と称された事があるが、今度はハイブリッドカーを主力とした「PI戦争」と言うべきか。

今回、新型プリウスは当初、現行型より値上がりするとみられており、一番安いモデルでも250万円位のプライスタグがつけられるとの大方の予想であった。しかしインサイトが189万円で、予想を上回る受注を得た結果205万円での販売を踏み切らせたのは間違いない。
ハイブリットの仕組みの違いや、ベースとなるプラットフォームの違い、等々を考えるとあからさまなインサイト潰しであるとの声が上がるのも無理は無い。しかし何故そこまでするのか?をもっと踏み込んで考えると直接「インサイト」を潰す。よりももっと広義で「ハイブリッドカー=トヨタ」というブランドを守りたいのでは無いかという気がしてならない。

トヨタが初代プリウスを販売したのが1997年である。価格は215万。世界初の量産ハイブリッドカーであり、この価格で出すのは戦略的な価格であって「売れば、売るほど赤字」では無いかと言われた。初代プリウスのプラットフォームはプレミオ/アリオンという中型車と共有していると言われ、そのプラットフォームに完全に独自のハイブリット技術を盛り込んだのだから、初代においてもバーゲンプライスだったのは言うまでもない。
ホンダはその2年後に初代インサイトを発売するが、これは2名乗車であり、いろいろな面で「買わないでくれ」オーラに満ちていた。一先ず燃費世界一でトヨタに負けていないというメッセージを出す事が重要で、ホンダにしてもインサイトは売れば売れるほど赤字だったのだろう。
技術的にもトヨタのハイブリットはモータのみで独立して駆動するのに対して、ホンダのハイブリッドはあくまでモータはエンジンの補助動力という扱いである。(それは今でも変わらない)

しかしトヨタは215万のプリウスを本気で販売した。いち早くブランドを確立。部品コストの量産効果を得たかったからで、その戦略は見事に成功した。今のところハイブリッドカーと言えばプリウスであり、エコカーで最先端を行っているのはトヨタというイメージを市場に作る事に成功した。この為、技術は進化し、コストは下がり、ブランド力は向上するという、先行者として、教科書どおりの戦略で成功を収めた。

今回の新型プリウスは205万でもちゃんと利益が出る様になっていると踏んでいる。流石に昨今の経済情勢と「売れるプリウス」で、売れば、売るほど赤字という訳には行くまい。で、あるならばトヨタが利益が出るギリギリのラインまで価格を下げてもインサイトを潰し、プリウスブランドを守るのは当然である。
一方のホンダは初代インサイトの後ハイブリッドを止めた訳では無く、現在でも現行インサイトの前からシビックハイブリッドを販売している。現行のシビックハイブリッドは229万からである。シビックより格下のフィットがベースとなっているインサイトの価格が189万で安いと言われているのだから、決して高い価格では無い。しかしこのシビックハイブリットは恐ろしく売れていない。

決論から言ってしまえば、新型インサイトはプリウスの様な形をしているから売れた。ホンダにしてみれば、初代インサイトの形を引き継いでいる。とか、空力を追求した結果。とか「言い訳」は一杯できるが、実際のところ初代インサイトの形なんて相当なマニアじゃなきゃ覚えていないし、ハイブリッドカーで無い車種で素晴らしい空力を実現している車も多く存在している。

消費者の視点から見れば、シビックの形をしたハイブリッドカーはハイブリッドカーとして認知させず、プリウスの形をしたインサイトこそがハイブリッドカーなのである。ホンダはトヨタの作った「エコカー=ハイブリッドカー=プリウス」に上手く乗った形であって、言い代えればインサイトは「ホンダの作った安いプリウス」なのである。

そう考えると「PI戦争」もう勝負はついてしまったかも知れない。


だからという訳では無いが、もう1点の論点を加えたい。それは「レクサス」だ。すでに一定の成功を収めた北米でのレクサスでは無く、あくまでも国内における「レクサス」だ。
2003年から開始した、国内でのレクサスの販売状況は惨憺たる現状だ。2008年上期で1万5000台で計画の約半分という状態だから、2008年下期、2009年上期は壊滅的状況だろう。
この不振に対してもいろいろな事が言われている。「訪問販売をしない営業方針に問題がある」「性能、品質面でまだまだ独高級車などに及ばない」etc・・小生いまいちしっくりこない。

そもそもトヨタはなぜ国内でレクサスの販売を始めたのか?
理由は簡単である。少子高齢化、人口減の日本においては薄利多売では無く、一台あたりの利益率を高める必要があるからだ。自動車の場合、メーカの台あたりの利益は販売価格の1割~2割と言われている。すなわち利益率が仮に1割だとして100万の車を10台売っても利益100万だが、1000万の車を2台売れば200万の利益が出る。一般には利益率は高級車程出るので(おそらく1000万の車なら300万は堅そう)この点を考えると、人口減の日本においてトヨタがレクサスを展開したのは至極妥当な判断だったと思える。もちろん、すでにイメージが出来上がっている「トヨタ」ブランドで展開するのは限界がある。なのでホンダは「アキュラ」日産は「インフィニティ」といった北米でのブランドを日本に持ち込む時期を「レクサス」の状況を見ながら見計らっている。

何が言いたいか?日本における「レクサス」という組織は「利益」を挙げる事を目的に作られた組織なのではないのか?(内部の事情は知らないので、本当の所は知りえないが・・)

北米、欧州においては既にレクサスブランドだった、日本におけるアルテッサ、ソアラ、アリスト、セルシオ、ハリヤーといった車種をモデルチェンジ、もしくは一部改良して「レクサス」として販売した。もちろん利益率は相当高いと想像できる。
(だからと言って、ベンツやBMWの日本における利益率がレクサスに比べて低いとは思えない。)
しかしこれでは消費者がわざわざ高いコストを支払い、高い利益をメーカに与えるインセンティブはどこにも無い。ゴージャスなディーラの「おもてなし」対して払うのか?もちろん「組織」の言い訳としては、性能、品質、価格、サービスどれをとっても「ベンツ」や「BMW」より素晴らしい。と言うだろうし、実際にそういう面も多いのだろう。しかしそれは「組織」としての「言い訳」にしかならない。

ブランド構築の方法論が完全に逆である。もし「レクサス」組織の存在目的が「利益」であるとするならば、今すぐにでも改めるべきである。

もっとハッキリ言おう!
「レクサス」は今のところ「シビックハイブリッド」でしか無い。

「レクサスって何?」と聞けば「トヨタの高級車ブランド」と答える人が多いだろうが、「高級車って?」と聞いて「レクサス」と真っ先に答える人は少ない筈だ。既存車種である「シビック」にモーターを加えてハイブリッドカーです。もしそれが「プリウスより価格も性能の優れています。」と言っても誰も相手にしない様に、既存車種に高級車の要素を加えて「高級車です」といっても通用しないのだ。

レクサスに割り当てられた技術者達が既存プラットフォームや共有化された部品の中で「利益率」を意識しながら車を作るのでは無く、全くのゼロベースで真の高級車を考えて作ってみてはどうか?もしかすると完成した車はものすごく利益率が悪く、かつ、今までのやり方で作った車と性能、品質面でも変わらないかも知れない。しかし、本気で高級を追求したのであれば、組織として高級に対する試行錯誤が生まれる。そうする事によって初めて「トヨタの高級ブランド「レクサス」」が誕生するのではないのか?

しかし、今もし「レクサス」が利益追求型組織のままでいるならば、既存車種の「格上げ」が終わった後に取る行為はベンツ、BMWに対する「インサイト」の発売だろう。それではエコカーの市場でイノベーションを起こしたプリウスの様に、高級車の市場でイノベーションは起こせない。私がトヨタの社長であれば「レクサス」の組織は利益追求型組織では無く、イノベーション追及型組織にする。そうした方が後々「利益」に繋がると考えるからだ。

ブランド構築は急がば回れですよヨ。トヨタさん。
ああっ・・ついでにホンダに関しては今一度「オヤジ」さんに雷を落とされた方が良いね。

起業

起業なんかするもんじゃない。

最近まわりで、起業する人間が増えている気がする。
不景気で会社の先行きを不安を覚えたり、嫌な目にあったり。理由は様々あると思うが、「度胸あるな~」と関心する。
起業した新規に法人登録された会社が生き残れる可能性は・・・

1年以内に60%が倒産
5年以内に80%が倒産
10年以内に95%が倒産

らしい!
まあデータの取り方とかによっては違うと思うが、こんなもんでしょうね。
脱サラしてまず何を始めるか?
手っ取り早そうなのは、
コンビニや飲食店などのフランチャイズ。いや~ロイヤリティが高そうだ・・
いちから自分の暖簾で始める・・・普通にキツイ。仕入も高いそうだし・・
ネットショップ?副業なら良いけど、これだけで食べてくのは・・・
人材派遣や受託請負型のシステム会社?まあこれは自己資本もかからないし始めるのにはそれほどリスクは無いかな?大体自分の元居た会社や取引先に雇って貰う事から始められるし・・・しか~し。昨今の不況や、新興国でのオフショア開発の状況を見ていると、そうそう安泰とも言えなさそうだし、そもそもそのモデルでこの時代発展させるのは至難の業だと思う。

上記に挙げた様な業種は、一言で言えば参入障壁が低い業種。まあだから割に気軽に始められる訳だが、参入障壁が低いという事は誰にでも始められる訳だから競争は当然激しい。
なにか画期的なビジネスモデルや商品があれば良いが・・その様なビジネスの場合、大体、開発コストやら、製造コストが掛るので人や金や設備投資が必要で、資金を集めるのが大変だし、集まったとしてもとてもリスクは非常に高い。

そんな訳で!?(どんな訳?)
私のまわりだとコンサルタントとして起業する人が多い。コンサルだと基本的に資本は全く必要ない。自宅とパソコンできればプリンター位なので簡単。まあサラリーマン時代の経験や人脈を活かせばなんとかなりそう!

が、人脈は兎も角、サラリーマン時代の経験って・・・と思わなくもない。
営業部門に長く居て、実績をあげてきたから「営業コンサルタントです」と言われましても。と普通なる。で、色々な本とかから知識を得て、自分なりに脚色して○○○式とか付けて、あまりその手の本とか読んでなさそうな中小零細企業を相手にする。あとは自慢のしゃべりで寝技に持ち込めばなんとか・・・まあ、こういうパターンで上手く行っている人も確かに結構います。それでそこそこ会社が大きくなっても、まあ良くて年商数億規模、社員数十名規模から大きくはならない。

だって、そもそもノウハウ売っているんだから、当然最初は必殺トークで中小企業のおっさん達が喜んでも、喜び勇んでセミナー開きまくって、本とか書きまくればノウハウ自体がコモディティ化する。また、その人がそうした様に今度はそのノウハウを脚色して○○△式なんてのを売り出す人が出てくる(笑)

いゃあ、その人自体は天才的にコンサルタントとしての能力が高く、単なるノウハウ売りでは無く、本質的な企業課題に突っ込んでいけたとしても、その後に続くかわいいコンサルさん達は、その人のノウハウを切り売りするか単なる営業しかできない。
有名戦略系ファームの様に、コンサルを育てあげるノウハウは残念ながら営業一筋のこの方には望めないだろう。
そもそも、この手の方はコンサルファームの言う事なんか机上の空論。私は実践。と言って商売しているんだから本望だろうけど。

ちなみに、この手の会社の特徴は

・HPが会社の紹介というより単なる代表の紹介サイトだったりする。
・サービスとか代表の枕詞に「最強」「絶対」「世界一」「カリスマ」とかがつく事が多い。
・いつもセミナーやっている。
・出版や寄稿自慢が多い。

→普通にそれって限界あるよね。

割切っていれば良いのよ。それでも。でも勘違いして自分の経営能力が如何に優れているか?的な話しをし始めちゃうと・・あらら。
別に小生この手の方々を否定している訳では無いんですよ。クライアントにはノウハウやショック療法も必要です。
ただね。ご自身の会社の経営がどの様にして成り立っているか?ちゃんと理解して次の成長戦略描いてます?まさか次はテレビ出演しコメンテータを務めて、とか考えてないよね!?コンサルだもんね!と、ちょっと問うてみたくもなる。

ただ、起業では無く独立であったらコンサルは良いかもしれない。これまでの派遣や業務請負は単純作業やノンコア業務で、目的もコスト削減でしたが、例えば社内の改革プロジェクトを立ち上げる際に、経験や専門スキルのある人に入ってもらう。
こういうニーズは増えるだろう。

なんか起業の話からコンサルの話しになってしまったが、まあ、普通に大変だと思います起業は。

2009年4月6日月曜日

不況を乗り越えるのは

未曾有の大不況である。
小生のまわりでも失業者が増えてきたし、回りの企業に聞いても景気の良い話しは何ひとつない。

小生自身はサブプライムローンの問題がテレビ、新聞に取り上げられ始めた時期、2007年の5、6月位であったろうか?この時点でのこれは相当にまずいことになるのではないかととの予感はあった。この頃の経済アナリストなどの専門家の認識は、日本での影響は限定的という楽観的な見方ばかりであったが、小生は金融や、経済の専門家では無いが米国の個人消費が世界のGDPの約3割を締め、またその消費が個人の借金によって支えられている事位の知識はあった。その流れが逆流し始めると大変な事になるぞ。という単なるカン見たいなものであるが、当時勤めていた会社の社内情報共有システムにもその事を書きこんだ。
即ちサブプライムローンの焦げ付きによって、貸し渋りが発生、通常のプライムローンであってもなかなかローンが組めなくなる。景気の循環が悪くなり、リストラや賃下げ、失業者の増加が起きる。このマイナス循環が発生する事によって、借金して「お買いもの」をする米流の個人消費が、出来なくなってしまうのではないか?自動車や家電といった日本を支える輸出産業は北米市場依存度が高い。開拓しつつある新興国においても、その発展が北米への輸出に頼っている以上、これは相当にマズイ事になるのではないか?というのが小生が考えた懸念である。

(ちなみに2008年末の時点で、某有名経済紙の2009年の経済予想で、著名アナリストが未だにデカップリンク論を強弁しているのは閉口した。国内の自動車販売は今回の問題が大きくなる以前から冷え込んでいたというのがその論拠の様に書かれていた記憶があるが、ここまでくると読んでいるこちらが気恥ずかしい。)

2007年末から徐々にこの問題の扱いは大きくなってきたが、当の米国の個人消費はさほど落ち込まなかった。米国の個人消費を占う年末のクリスマス商戦におてても、小生の想像よりは落ち込みが少なかった。伸び率でいうと確かに低調であったが、それでも前年比で3.7%の増である。
米国人というのは、どこまでも楽観的、前向きな人種だなと変な関心をした覚えがある。

年が明けて、米国が利下げなどの対応を行うにつれ、小生もこれはしばらくすると落ち着くかな?と思えたが、去年末私が懸念した実態経済の落ち込みが先では無く、リーマンブラザースの破たんという形で金融市場の方が一気に吹っ飛んでしまった。
小生は実態経済の悪化から始まって金融収縮が起こると読んでいたが、全くの逆であった。金融が先に吹っ飛び、消費どころでは無くなった形だ。その意味で本当の不況はこれからでは無いかと思う。金融破綻→米国個人消費市場→日本の輸出産業の落ち込み→輸出産業を取り巻く国内サービス業の落ち込み(今はこの段階だと言える)、その次に来るのは、流通小売。とりわけ、スーパー。これは国内の個人消費マインドが完全に冷え込んでいる事を意味する。外需も内需も駄目であれば、良くなる要素はどこにもない。

専門外の慣れない話しはここまでとして、今後の実態経済の方向性と、景気向上策として日本版「グリーンニューディール」を行うべしとする向きが多い。環境技術で世界をリードしているのは日本だろう。その強みを伸ばす方向性は全く否定しない。

しかし、違和感もある。ハイブリッドカーへの買換えの支援をして、みなが車を買い換える事が本当に、エコかとどうか(笑)?
という議論ももちろんあるが、良くいう「環境立国」が本当に日本の目指すべき長期目標となりうるのかという点である?
自国の強みを活かして、尚且つ環境に良い社会を目指す事に何の違和感があるのか?と言われれば、それは「変革」とい言葉があてはまる。極論すれば、高速道路やダムを作る会社を儲けさせるか?環境技術を持つ製造業を儲けさせるか?の選択をした所で、日本という国家のシステムは何一つ変わらない。

今回の世界同時不況は、資本主義の限界を突き付けた面が多分にある。小生はこの不況を抜け出す国は、国家システムそのものを次世代型に「変革」できた国では無いかと考える。

ひどく具体的な話しで言うならば、ある駄目駄目総合電気メーカがあるとする。赤字は7000億にもなる。旧態前として変化せず、経営陣は自己保身しか考えない。縦割りが酷く効率化できない、部門の利益しか考えていない。技術はあるが市場に対して画期的な新商品も出せない。若手は古株に抑圧されて自由にできない。
例えばこんな会社が、これからは○○という分野のニーズが高くなりそうだから、今後はその分野の研究開発に力を入れて主力製品を変えていこう(笑)。
とやっただけで、この会社が今後飛躍できるのか? 良くって現状維持だろう・・

では何を目指せば良いのか?小生は今こそ「IT立国」を目指すべきだと愚考する。
IT産業なんて存在しない!と以前書いた人間が何を言っているのか?と思われるかもしれないが、21世紀は、環境技術の時代では無く、情報技術の時代だと思っている。それは情報スーパーハイウェイ構想(古っ!)とか電子政府を目指すとかそういう話しでは無い。

小生は、ネットの活用度は高い。気になる情報、知りたい知識はネットから得る。もちろん新聞や本といったソースも積極的に使ってはいる。しかし何時でも情報を引き出せる世の中になった変化は計りしれない。社会人、私人としてもこれは相当な変化をもたらしてきた。しかし社会システム自体はこの変化についていけていない。

一例を挙げよう、今試験会場に、インターネット接続可能なPCの利用が許可されたら、どうなるだろうか?試験の内容にもよるだろうが、皆100点を取るだろうか?おそらく中には50点しか取れない人もでるだろう?その差は答えを知っているかどうか(暗記している)の点差では無く、如何に上手にググれるか?の勝負になると言って良い。

この事が何を意味しているのか?あくまでも極論としてだが、記憶力コンテストだった今までの試験、受験というのは、批判はありながらも、物事を知っているor知らないという価値が実社会においても評価にもなるという事の正当性があった訳だが、現代の実社会において、それで人間の能力を測るのに全く無意味になってしまっている。
(本音ではまじめに「努力」が出来る人間か否かのコンテストでしょうが・・)

それよりも如何に、正確に情報を引き出すかのリテラシーを持った人間の方が遥かに評価ができるという事だ。(あくまで暗記 vs Google使いを、一視点軸で見ればだが)

もちろん学校教育におていインターネットの上手な使い方をしっかり教るべきという話しではない。
情報は何時でも、正確にネットから引き出せると仮定した時に必要な要素な何か?情報を記憶するのに長けている。情報を引き出すのに長けている。の問題では無く、その情報をもとに「思考」し本質的な解を求め行動できるかどうかが問われるのではないのか?

残念ながら日本の教育において「思考」する訓練というのは殆ど行われていない。これからの実社会において、個々人の思考力の差が、国家の力となる筈である。これほど情報のインフラが劇的に変化しているにも関わらず、相変わらず教科書に載っている内容を、如何に暗記するかの教育をやっている。日本人はただでさえ言語というハンディがある。情報のインフラが世界中で繋がり整備されてもそれを活用するのに、スタート時点でだいぶ遅れをとってしまう。

時間は掛るかもしれないが、言語の壁は現状の延長戦上にある教育もしくは、ITの進歩によって解決していく可能性はある。しかし情報を活用し活かす「思考力」に差がでれば、これは絶望的に国家の力を衰退させてしまう。

それから、政治。今の政治システムは本当に民が主体だろうか?議会制民主主義自体、見直す時期には来ていないか?政党の必要性が本当にあるのか?官僚の在り方は?それは、自民党憎し、官僚憎し、社保庁憎し、という次元の話しではない。様々な悪癖を、個々に起きた事象、現象の表面を捉え、悪い、憎い、腹を切れと合唱し、法律で規制する事が本質的な物事の解決になるだろうか?その本質はシステム自体が引き起こしているのでは無いのか?インターネットの発展は直接民主主義への可能性だって充分検討余地ができる筈だ。

一遍を見れば、企業においてはITを活かす事で、既存の縦割り型機能別の弊害を解消し、フラットで迅速な意思決定を可能にし、競争力を高めている企業は幾らでもある。もちろん国家政治と企業を並列で捉えられない面は多い。しかし表面的に現れる現象、事象は個々の能力や、モラールによって引き起こされているのでは無く、起こるべくして現象、事象を引き起こしている本質的なシステムの問題が必ず存在する。

この点においては安倍前首相の「戦後レジュームからの脱却」というテーマはひどく現実的な解であった様に思う。しかし多分に戦後政治へのアンチテーゼであり、何を目指す為に脱却するのかの論点が薄かったのと、自身の政治指導力に関しての疑問が残った感も否めない。

国家を日本株式会社と見た場合、今大変な危機にある事は言うまでもない。企業の状態を示す有名な言葉に「ゆで蛙」という言葉がある。本当にそうであるかは置いておいて、沸騰したお湯の中に蛙を放り込むと、当然ビックリして飛び出そうとする。しかし、水を浸した鍋に蛙を入れ段々と温めて行くと、蛙は沸騰するまで気づかずに茹であがって死んでしまう。という現象を企業の状態に例え、このままだと自社は危ない。何とかしなくてはと。心では思いつつ行動に移せない状態で、ちっとも変革できない様を示している。
日本は今まさに茹であがろうとしているのではないか?小生は常にそんな危機感を抱いている。

ハーバード大のクリステンセン教授が有名な著書「イノベーションのジレンマ」で、組織の能力は、資源(人とかお金)、プロセス、価値基準に従うと示している。資源は容易に移す事が可能だが、プロセスは価値基準によって最適化される為、破壊的イノベーションを生みだすには、既存組織に優秀な人材やお金を幾ら投入した所で無駄で、全くの別組織を作るか、全く別の価値基準をその組織に与えるしかないと示している。この事は会社勤めの経験者であれば誰もが納得する話しであろう。小生もサラリーマン時代ベンチャー企業に在籍した時期がある。その会社は創業から10年足らずで一部上場を果たす程の勢いであったが、突如逆風に曝された。(もちろん実際は突如では無く完全に論理的に説明できるのだがここでは割愛する)
しかし一度成功を味わった価値基準は容易には変革できない。同書でトヨタはプロセスを絶えず変革する事で強さを得たという説明がある。トヨタは勿論、現場からのQCサークルによる「カイゼン」によってプロセスを磨きあげてきた。
一方、組織の持つ価値基準はどうであろうか?ハッキリいってこれはを変えるのはボトムアップでは無理だ。出来るとしたら革命でありクーデターが必要になる。必ずトップダウンで行う必要がある。

歴史は国家システムの変革は常にこの二点(革命か破壊的な指導者)によってもたらされている。

しかし、フラット化した国家の構築ができれば(グローバルなフラット化では無く)真に民衆による政治が可能になる筈だ。確かにそのシステムを最初に築くには、ある程度上記二点の要件を満たす必要性がある。
しかし一度、それを築ければ自律的組織となり、常に適切な自己変革ができるであろう。

その為に絶対条件となるのは、正確な情報を引き出すリテラシーと、その情報から自ら思考できる「思考力」の二点に他ならない。
前者はネット社会において否応なしに飛躍的に高まって行くだろう。しかし後者はほっておいても育たない。またこの二点が育って且つ国家システムがそれに応じられない時は、国民にフラストレーションのみが高まるだけであろう。
今こそIT立国を目指せ!それは21世紀型の国家の形である。
(長くなったので後半はかなり端折ったので飛躍し過ぎだろう。またの機会に細かく説明したい)