2009年10月26日月曜日

で、結局戦略って何?

で、結局戦略って何?


経営戦略、事業戦略、営業戦略、IT戦略・・・兎に角、ビジネスマンは「戦略」という言葉が好き。ミーティングでも必ず一回は「○○戦略」とか「戦略的には・・」という言葉が出てくる。

しかし、本当に「戦略」の意味が解って言っているのかかなり疑問を感じる。

以前、マネジメントの定義も人の数だけある。と書いた様に、「戦略」の定義も人の数だけある。と言ってよい。

日本語は、どんな単語も自国語に取り入れられるので便利は便利なんだが、言葉の曖昧さに関しては事業を行っていくにあたって相当不利があると言ってよい。
ビジョン、理念、ミッションステートメント、戦略、戦術、マネジメント、行動規範、ガバナンス、CSR、マーケティング、・・・さて諸兄はこれらの言葉の定義をちゃんと説明できる自信はあるだろうか?
小生も、適切に表現するとなると少し厳しい。いや、小生がこうであると言っても、「それは違う」と言われてしまえば、辞書を引きながら企業にあてはめると、この意味が正しいなど不毛な論戦で決着をつけるしかない。
結局、この様に曖昧な言葉が企業の中に蔓延しているという事は、軍隊でいうなら、

総大将が「あの山の麓を目指して、進軍せよ」と言い。
各現場の指揮官が「左四十五度に進軍!」。
中隊長が「南南西に進め」。
小隊長が指をさしながら、「あの方向に進め!」。

こんな状態といって良い。にも拘らず、いわゆる「カタカナ語」「社内用語」も含めるともう「言葉の定義」なんてあったものでは無いというのが、日本企業の現状だろう。
これではまともな指揮命令なんてできる訳も無いのだが・・・いや、むしろその曖昧さこそ、日本的サラリーマンの美徳かもしれない・・・
権限も責任も曖昧にしたまま調和しながら進んでいく。そう言えば「役人言葉」は一つの芸術に近い。


さて、「戦略」の英語はStrategyとなる訳だが、そう表現すると何か血生臭い戦争を思い起こしはしないだろうか?それは正しい。

「戦略」は相手がいて初めて成り立つ言葉なのである。
しかし、多くの人が口にしたり、表現する「戦略」の多くは、相手が不在な事が実に多い。
驚いた事に、一応それなりに有名なコンサルファームが策定した「戦略」にも相手が居なかったりする。
相手不在の戦略と一体は何か?これは「願望」といって間違えない。「戦略」が「単なる願望」になってしまっているケースだ。「○○エリアのシェアを○%UPするとか」、「商品ラインナップを充実させ客単価の向上を目指す」。とか、酷いのになると、ひたすら販売目標数字だけを羅列して、これがわが社の戦略だ!と、わけの解らない事をおっしゃる方すらいる。(一度、脳を精密検査してもらった方が良い)

個人で独立しているコンサルやってる方なんかだと平気で、「何を、誰に、どうやって」売るのか?が戦略だなんて恥ずかしげもなく言ってしまう。

このロジックだと、「100円で仕入れたスプーンを、主婦に、ネットで販売する」が「戦略」って事になってしまう(笑)。もう評論するレベルですら無い。

お客様を「敵」と表現するのは不遜な気がするが、企業戦略において相手=敵とは市場であり顧客である。
「味方精鋭艦隊を持って、敵主力艦隊を撃滅す」と言って、それが「戦略」だと言われたら現場はタマッタものでは無い。
販売の数値目標みたいなのを「戦略」と言ってしまっている人は「戦艦2隻、空母3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦10隻沈めるのが我が軍の戦略」と言っている様なもので。笑い話しにもならない。
戦争における「相手」が、出来るだけ少ない損害で最大の打撃を与えようと向かってくるのに、こんな「願望」を幾ら唱えた所で勝てるわけない。

企業においての「相手」も(toCだろうが、toBだろうが)、出来る限り支払いは少なく可能な限り良い商品を手に入れようと向かってくるのだ。100円で仕入れたスプーンなら、貴方が幾ら赤字になろうが、50円、10円で手に入れようとするのが相手なのだ。いや単純に「5円でも要りません」と言われておしまいの可能性もある。
孫子が「敵を知り、己をしれば百戦危うからず」といった様に、戦略は「まず相手がどう動くか」が基本なのだ。
「何を、誰に、どうやって」売るのか?では無く、
「誰が、何を、どうやって」買うのか?こそそが戦略の一番基礎に来なければおかしいのだ。それがあってどう動くかが戦略なのだ。

しかも、ややこしい事に「企業」の場合「相手」は市場や顧客だけでなく「競合」という、大きな軸も加わる。
即ち、顧客-競合-自社という3Cのフレームこそが、戦略の立案のベースとなる。
上につく言葉は兎も角、どんな次元の戦略であってもビジネスマンが戦略を口にするなら、全てこのフレームに当てはめて語られていなければおかしい。「経営戦略」「事業戦略」(マーケティング戦略というのは本来このレベルだが、「広告戦略」の意味で使われるケースが多い。)「営業,販売戦略」どんな次元でもだ。
ちなみに「IT戦略」というのは何を意味しているのか、さっぱり良く解りません(笑)、システム屋さんに意味を聞いて見て下さい。

「戦略が現場に落ちないって嘆いている経営者の方、「願望」を「戦略」といって現場に押し付けるのは止めませんか?」
「それ、単なる「ノルマ」ですから♪~~~~~残念~~~~~切腹!」

「そういうお前は?って聞いちゃ嫌。切り!!」

2009年10月23日金曜日

誰が為に金は撒かれる

前回のちょっと補足。

小生、民主党は確かに嫌い。特に幹部連中に関してはもう生理的といって良い位嫌いだ。だからと言って自民党が好きという訳ではない。

ただ、このブログで政治的な話題に触れる時、一貫してるのは民主が、自民が、では無く、国民自身がいい加減意識を変えろという事。

戦後日本は、奇跡的(良い意味で)な「民主的な共産主義」で成長してきた。
一億総中流と言われ、貧富の差が少なく、社会保障が充実し、税金による富の再分配が機能し誰もが、真面目に働けば周りと同じ様な生活が出来る。小生が考えても理想的な国家だと思う。

しかし、バブル崩壊を機に、このシステムを支えていた前提が色々な面で崩れ去った。従来のシステムが通用しなくなった。

それから、ダラダラと「失われた10年」を過ごした後に、「市場原理主義」の導入、
「官から民へ」を打ち出したのが小泉-竹中路線で推進した「痛みを伴う構造改革」だった。
当初人々はこれに熱狂した。IPOブームが起き、時代の仇花といえる「ホリエモン」が脚光を浴びた。
そして時は立ち、リーマンショックがこの路線の熱を完全に冷ましてたのと同時に、一筋の光明を見出したつもりが、それすらも失って、八方塞がりになってしまった。

小生は今の民主党の人気には「民主的な共産主義国家」への回帰への想いが、その根底にある様に思えてならない。
即ち、それはかつての自民党政治へのノスタルジーといってもよいのではないか?

実際に民主党を支持している人は「そんな馬鹿な」と叫ぶだろうが、しかし、では現実に「暮らしが良くならない原因は国(自民党)が悪いから」と言うのは何故か。
裏を返せば「生活は国が支えてくれるもの、仕事は国が作ってくれるもの」=「民主的な共産主義」ではないのか?飛躍しすぎだろうか?
都市部では「箱モノ」中心は限界が見えているので、自民では無く民主。ただそれはイメージで、地方ではむしろ「箱モノ」をやらなくなったから自民に入れる理由が無くなり民主。
自民はダブルパンチを食らった訳だが、箱モノを経由してバラ撒くか、直接バラ撒くかの違いであって、穿った見方をすれば、票の集め易い「特定の人間」により直接的にバラ撒ける様にしたという見方もできる。
郵政の動き見れば、あながち間違った見方とも言えないだろう。
どの道、国民が新しい道を選択したなんて感覚は、少なくとも小生は持っていないし、そこには新しい国家としての成長戦略なんて何一つ見いだせない。
直接バラ撒きで内需を喚起するというが、間接バラ撒きで内需が喚起しないわけでもあるまいに。

話しは戻るが、「民主的な共産主義国家」は決して「助け合い」「共生」の精神を育んできた訳では無い。
その末期のバブルの馬鹿騒ぎを見れば良く解るだろう。
むしろ「利己的な個人主義」を育んできたと表現した方が相応しい。

学校-会社-老後と全て決められたレールを用意して貰う事が当り前過ぎて、自立して生きて行く事が出来ない。
もしレールが外されていようものなら、怒る。だだをこねる。他人が悪いと叫ぶ。拗ねる。
「大企業が悪い」「経営者が悪い」「政治が悪い」「官僚が悪い」
そして必ず、総論賛成各論反対。
公共事業を減らせと言いながら、自分に関わる事業が削減になれば猛烈に反対する。
福祉を充実させよと言いながら、自分が増税になれば「姥捨て山法案」・・・
失業すれば「仕事を紹介しろ」。ならまだましもで「生活を保障しろ」と言う。
こんな話は枚挙にいとまがない。少しでも自分に火の粉が掛れば「おかしい」「理解できない」「反対反対」と喚き叫ぶ。この傾向は民主党政権になっても全く変わっていない。

世代別の政党支持率を見て見ればその実態が良く解る。
色々の出自のデータがあるが、どの調査でも民主党への支持は高齢世代が高く、若年層ほど低くなっている。
実際に「民主的な共産主義国家」を謳歌し「逃げ切った」若しくは「逃げ切り直前」世代ほど高く、実際に格差問題などに苦しんでいる世代ほど支持率が低いという事だ。
これは、単に、不景気に見られるナショナリズムの台頭という表現で片付く話しでは無い。
(例えば右寄りの集会に何十万人も若者が集まって来た。というならそう言えるだろうが)

小生はマスコミvsネットに見られるイデオロギー対決的な要素が民主、自民の差になっている事は殆どないと考えている。それらは寧ろ圧倒的マイノリティーで、殆どの国民は実はあまりその点には関心が無い。
口先では「800兆も借金を作って、次世代はどうしていくのだ」で心の中では「目先の生活をもっと良くしろ」これだけだと言っても良い。
本音では、自分の暮らしさえ上向いて自分の子供さえ豊かなら、他人や未来の社会なんて本音ではどうでも良いのではなのか!?そんな幼稚な精神が煤けて見える。

「共生」を誤解してはいけない。利己主義は他人に依存していなければ生きていけない人間の事だ。他人は自分様を助ける存在でなければならないと考える人間の事だ。自分だけはいつも他人が支えてくれる。と考えるのは「共生」ではない。

もちろん人間は一人では生きていけない。だからこそ、まず自分なのだ。自分にしっかりと自立した精神を宿して初めて、他人を助ける事ができる。それぞれに自立した人間が、他人の自立を助ける。
自立した精神を持っている人は、助けられた時に心から感謝する事ができる。利己主義者は、助けられた時に当然だと考える。

会社に、学校に、他人から与えられた環境でしか生きていけない軟弱な精神の大人の体をした子供達。
今この国に必要なのは「個人への回帰」、「個人の自立」であって、更には、それがあって初めて国家としての自立も成り立つものだと思う。

弱者切り捨てでも、自己責任論でもない。自立した個人が周りの自立を支援する。
低所得者も、老人も、母子家庭も、出来うる範囲での「自立」があって、初めて幸せに繋がる。
自分の意思と、自分の考えで生活をしなければ、自分が満足する事なんてできない。
「弱者」扱いこそ「差別」ではないのか。逆差別、弱者貴族を作ってはならない。

中学卒業してまず社会に出て働いて、結婚して、子供を作り、30歳で高校に入ってその後、アルバイトで過ごし、40歳から大学に行く。その後サラリーマンとして働き、55歳で留学。65歳から作家を目指す。

こんな人生だって全然良いじゃないか。もっと人生は自由であるべきだ。そして自由も自立からしか生まれない。

元々「騙すより騙されろ」と子供に教えてきた日本人。小生は「強欲市場原理主義」では無く、「道徳的市場原理主義」こそがこれからの日本の道だと思う。自立した個人が、公平中立なルールと高い道徳心を持って競争し、国力を高めていく。そして自立した大人が、子供を自立させ、周囲を支える。そんな社会こそが目指すべきで姿ではないのかと思う。

「道徳的市場原理主義」なんて、欧米中では実現したくても出来ないだろう。

小生は逃げ切り、逃げ切り直前世代では無く、初めからレールが外されてしまっている。今の20代、10代、と言った世代が、いつか新しいムーブメントを巻き起こしてくれるのではないかと期待している。
そして、それは、ホリエモンの様な形では無く、もっと社会性が高く、道徳心に富んだものになるだろう。

40近くなった小生は、その土壌をしっかりと築き上げて行きたいと愚考している。

最後に、
民主党が今のまま突き進めば格差はますます広がっていくだろう。
これは小生の予言としてとどめておく。
しかし、今のまま、また政権が変わっても何も期待が出来ない。
まず、変わらなければ行けないのは我々自身であり、所詮政治はそれを映す鏡でしかないのだから。

2009年10月21日水曜日

目的と手段と実行プロセスの狭間で愛を叫ぶ

色々問題はありながらも相変わらず、民主党は高支持率をキープしている様で・・・

まあ、国民が長い事変わらなかった体制、「自民-官僚支配」から新しい道を選択した訳だから細かい事は気にせず、もう少し長い目で見守りましょう。

こんな所だろうか?
自民党政権時代は癒着、利権に支えられ、借金は800兆にも膨れ上がらせた癖に、国民の暮らしは一向に良くならない。

ああ、確かにお陰で小生の暮らし向きも傾く一方だ。


しかし、まあ、なんと言うか相変わらず「情緒」-Emotionで動く国民だことで。

上の様な話しには、何の「論理性」も「合理性」も無い。
あるのは「情緒」と「感情」だけだ。考えても見よ「自民-官僚支配」の具体的に「何処がどう悪かったのか」の検証なんて全く無いのだ。あるのは「天下り」「役人天国」「埋蔵金」「利権体質」とかそんな感情を煽る様な言葉ばかりで、なんの検証も無い。
「天下り」や「特殊法人」を全て無くせば、税金が余り、国民の懐が潤うとでも言うのか?

「官僚主導」では無く「国民主導(国民が選んだ政治家が政策を決定する)」そりゃ確かにそうなんだが、そんな事は「官僚」より「政治家」がアホだったからの一言で片づけられれてしまう。
別に国家が発展していくなら、「アホな政治家主導」より「官僚主導」の方が遥かにマシという意味で。

確かに今の日本の現状(結果)はそれまでのプロセス(官僚主導)に問題があったから。ここに踏み込まないと何も変わらないという理論はある。
しかし、何よりも重要な事は「何を目指しているのか?」の目的であって、その為にプロセスは最適化されるべきものなのである。
どうやってという「手段」では無く、何の為にの「目的」こそが本来問われるべきで、
その肝心な「目的」の方はメチャクチャでも、「細かい事はいいじゃないか。」で、
手段の方に「今までとは違うっ!」て事で、ヤンヤヤンヤの喝采を送るなんてアホ過ぎて言葉も出ない。

あくまで「国民が初めて政権を選択した」という事象が重要なのか。

国民はずっと自民党を選択して来た。800兆のお金は間違いなく国民の誰かが手にして来たお金だ。
(間接的には国民全員が手にして来た)
そのお金を目当てに、自民党に投票してきた人々が居るという事だ。
独裁政権が倒れて、初めて選挙によって民主的な政権が生まれた訳では無い。
民主的な選挙によって、国民自身がずっと「自民党」を選択して来たのだ。
政治家も官僚も国民もなんと無く慣れ合って、後世にツケを回して来たのだ。

しかるに、「政権が変わった事が重要」などとは、これ程馬鹿げた話しは無い。

そういえば、小生、サラリーマン時代会社の中でも散々似た様な状況を味わった。
会社の状況はどんどん悪くなっているのに「皆頑張っているのだから」「評論している時間があれば目の前の仕事をもっと一生懸命にやれ」「会社は自己実現の場だから嫌ならとっとと辞めろ」こんな言葉が会社を支配していた。
次期主力商品の開発に失敗しても、変なコンサルにお金を騙し取られても、誰も何も責任を取らない。
組織として「何故失敗したのか」を論理的に考え、同じ過ちを繰り返さない様にという反省もない。
そう「皆頑張っているのだから・・・」で全部終わってしまうのだ。

こんな発言には論理性なんてひとかけらも無い。
会社はみるみる悪くなっているのだよ。
しかも、恐ろしい事に、客観的に見れば「皆頑張っているのだから」と声高に叫ぶ連中(幹部連中)ほど、実は全く仕事していない。そして数字が上がらない末端の営業マンなどがクビを切られて行く。

「細かい事は気にせず、もう少し長い目で・・・」
その結果、10年後、20年後どうなっている?日本は良くなっているのか?
国民主導というならば逆であるべきだ。
細かい政策の一個一個まで、正しい状況を伝え、国民がチェックしていかなければ国民主導とは言えない。
政治家には「責任」をしっかり持ってもらう必要がある。
何しろ国を動かす「権限」を持っているのだから。

小学校の学級委員長を選んでいる訳では無いのだ。子供達の未来が掛っているのだ。

そういゃあ、最近ビジネスの世界でも「プロセス」や「手段」「方法論」ばかりが着目されていて、肝心な目的は?が置いていかれた感が強い。
例えばITシステムの導入なんて典型的だろう。「ERPを導入した(する)」みたいな「手段」ばかりが話の中心で、肝心な「何の為に?」が良く解らない。

Q:「なんでERPを導入するの?」
A:「業務効率化の為だよ」と言われる。
Q:「何の為に業務効率化するの?」と聞けば、
A:「業務プロセスを刷新して、コスト削減と競争力をアップする為」
Q:「なんで?」
A:「そりゃ、利益を上げる為に決まってるだろ!」と怒鳴られる。(笑)
で:「ERP導入すれば、利益ってあがるの?むしろ随分キャッシュアウトが発生し利益を圧迫しますが・・・」
A:「そりゃ・・・・多分・・・長い目で見れば・・・」自信なし(笑)

こういう笑話しが、結構存在する。

目的の為には手段を選ばず。が良いとは言わない。でも目的もないのに手段に踊らされる程ばかな話しはない。○○式メソッドとか、○○○システムなんて全部手段。


あっ、そう言えば、
鳩山政権の目的は「東アジア共同体の実現」、「温室効果ガス25%削減」と「友愛社会の実現」だっけ?(違ったかな?(笑))
国民はそれを目指して民主党に投票したのか・・・結構、結構、小生の疑問は一件落着。

でも、どれも期間的に、現政権内での実現は難しそうだぞ。という事は、過程(プロセス)として、妙な法案ばかりが出来て、結果どうなるかは、未来のお楽しみという事か?

まあ、それでもあたたく見守りましょうよ。
↑こう、言っておけば村八分にはされないらしいので・・・・


※厳しく指摘する方が重要だと思うんだけどな~ これは小生の個人的感情か!(笑)

2009年10月5日月曜日

で、結局課題って何?

たまには個人的な事でも書こうかな・・・

先週末あるクライアントの所で、現場のメンバーを集めてCPS(カスタマープランニングセッション)というワークショップを開催した。もともとはIBMが行っていた課題抽出の為のセッションで、それをサービスサイエンスで有名な諏訪良武さんがアレンジして体系的にまとめた手法である。

ブレーンストーミングの一種といって良いが、KJ法などとは異なり、連想ゲーム方式で課題を抽出していく為、抽出される課題数が非常に多く、網羅的に課題を浮かびあがらせる事が可能となる。
細かくは説明しないが、トヨタの「ナゼ5回」をワークショップ形式で、体系的、網羅的に行うセッションと言えばニュアンスは伝わるか?

今回は営業の現場(課長-担当クラス)メンバー15名を集めて2日間で約230個の課題を抽出した。
コンサルに入る際にはFaceToFaceのインタビューの形式も確かに重要だが、ここまで体系的、網羅的に課題を集める事は時間の制約もあり難しく、この様なセッションを行う事で現場の課題意識ほぼ全て洗い出して認識する事ができ非常に有効である。
しかし、全く欠点が無い訳では無い。あえて「課題意識」と表現した様に、逆に現場がある事象に対して、その事象を「課題」だと感じている事自体が「課題」であるケースがある。
また、今回は営業部門を対象としたセッションであったが、当然、自部門には甘く、他部門には厳しい内容になりがちでもある。
営業部門であれば、大抵、製造や開発、間接部門のやり方を「課題」と表現するし、逆に「開発」や「製造」部門でセッションをやれば「営業」が「課題」を引き起こしていると表現するだろう。

これは、殆どの企業で起こる「問題」である。
しかし引き出された「課題」を、そのまま鵜呑みにして表面的な解決を計ろうとしても、殆ど成果は生まない。
あくまで「現場の課題」を引き起こしているシステムの課題にメスを入れなくてはならない。
即ち「組織」の問題だ。

現場の課題だから、役員レベルなら解決できる問題という訳でも無い。どこかの国の官僚機構の様に、各機能組織の長は、自分の組織の最大の利益代弁者であるからだ。
CPSの様なセッションを各部門で実施すると、今以上に部門間の対立を引き起こしてしまう危険性がある。(もちろん各部門間で、課題意識が共有され解決に向かう面もある。)

我々にしてみれば、CPSを実施した後こそが本当に大変なのである。
本気で改革を進めようとすれば、部門の役員レベルとは利益が相反してしまう可能性が高い。
この点において、コンサルタントは残念ながら「政治性」を発揮する必要とされる。
真正面から、「本質的な課題」に向き合おうとすれば、いきなり梯子を外される自体になりかねない。
殆どの場合は「社長」と密に連携して進めていく必要性があるのだが、もちろん外部の人間と、今までずっと一緒に事業を推進してきた役員とで、どちらが信頼されるかは考えるまでもない。

改革のキーマンは間違い無く社長だが、現場や役員クラスにも、理解者、支援者をしっかり付けておく必要がある。
この事において重要なポイントは、政治性は必要だが人事には染まらない事だ。
社長の信任を得ると、どうしても具体的な人事に触れたくなるし、相談も受ける。

確かにあの役員では・・・とか、あの部長では・・・という個人の資質に寄って引き起こされている課題も多く、異動、更迭によって解決する可能性も高いのだが、その点には決して手を出さない。
人事は権力そのもので、権力は密の味だ一度覚えてしまうと必ず溺れる。部外者であるコンサルタントがこの密の味を覚えてしまうと、現場はとんでも無い事になってしまう。

あくまで問題を引き起こしている本質的な原因に向きっあっていく。それは人の問題では無く、人が問題を引き起こす様に仕組まれているシステムの問題。

つくづく因果なショーバイだと思う。てめぇのおまんま食うだけでも必死なのに、他人の為に眠れない日々を過ごす。投げ出したくる気持ち、手を抜きたくなる気持ち、目先の売上に走りたくなる気持ちと、どこまで戦えるのか?がいつも問われる。

ところで、課題を抽出するセッションなのに、何故カスタマープランニングセッションなのか?
簡単な話だ。「問題は目標と現状とのギャップ」という様に、全ての課題は、顧客により良いサービスを提供し、利益を生む為に解決されるべきなのだ。そして顧客と向き合っているのは現場だ。現場こそ真実の瞬間だ。
現場に迎合するのでは無い。顧客により良いサービスを提供する為に現場をもっと(気持ちよく、前向きに)働かせる。

企業のシステムというのは、唯一その為に最適化されたものであるべきなのだ。

しかし、企業のシステムは時間が経つと、いつのまにか無駄を生み、壁を作り、社内で敵対し、政治がはびこる・・・誰もおかしいと解っていながら何もできなくなる。飲み屋で愚痴を言って発散する。表面的な課題は一杯あるので会議が増える。結論のでない小田原評定を繰り返す。しかし解決しない。顧客の目を見ないクズ組織が生まれる。
これが「茹でガエル」である。



「茹でガエル」は自分では気づかない・・・・・



だからこそ我々が存在するのさ!
絶対に良くして見せるさ!頑張ろう!