前回の続編として「何故、キャンペーンが上手くいかないか」を書いてみたい。
前回の「アウトバウンドうざい」を読まれ「何を、誰に、どうやって」で考えるから駄目。と書いた訳だが、耳慣れた方であれば、「何だ4Pでは無くって4Cで考えなさい」という話か?と思われた方も居るだろう。
4Pというのはご存じの通り
「製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)」の略で、
マーケティングミクスを構築する際の有名なフレーム。ただし、4Pだと顧客視点では無いという事で言われ始めたのが4Cで、
「顧客価値(Customer Value)、顧客コスト(Customer Cost)、コミュニケーション(Communication)、利便性(Convenience)」で考えなさいというもの。
正直、小生、これ4Pも4Cも同じ事を言っているだけとしか思えないので、ここで、くどくど説明する気は無い。お好きな方をどうぞ!って感じ。ついでに4P、4C自体どうでも良い(こんな事言うと怒られそうだが)
また「アウトバウンドうさい」見たいな話しをすると、なんだ「CS(顧客満足)の話し」ね!とか短絡的に考える方も居るが、この際「CS」も、どうでも良い(これも怒られそうだ)
小生なりの結論を言おう、重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を考える事。
なんだそんな当たり前の事か?と思われるかもしれないが、では、何故大手カード会社があの様な最悪のキャンペーンを張ってしまうのか?
少なくとも、コンシューマ(一般消費者)相手のビジネスをしている大手企業のマーケティング担当者は、相当な勉強をしているし、各種マーケティングキャンペーンを成功させて来た自負もある。膨大なデータもある。
コンシューマ相手のマーケティングに関して、小生が論戦を挑んでも、あっと言う間に論破されてしまうだろう。
にも関わらず、何故「最悪なキャンペーン」を手間暇掛けて行ってしまうのか?
「顧客起点」「顧客心理」という二語で、勘の良い方なら、ある人物を想像しただろう。そうセブンアイの鈴木敏文氏だ。
最近、イトーヨーカドーのキャンペーンで「下取りセール」と言うのをやっていたのをご存じの方も多いだろう。同氏へのインタビュー記事やTVでも紹介されている。小生は同氏の公演でこのセールの話しを聞いた。
要約すると、
①近年は顧客の価格に対するロイヤリティーが失われている。定価に対しての信頼感が無い。
→オープン価格や、ディスカント、セールの日常化によって定価の3割引きと謳われても、顧客自身が○割引に慣れ過ぎて、定価なんてあって無い様なものでしょ?どこでも3割引き、探せば4話引きとかで売られているんでしょ?と感じて来ている為、「普通に○割引セール」とキャンペーンを張っても、殆ど効果が無い。例え実際には小売として相当の値下げ努力をしていても。
②定価で売っても、キャシュバックした方が信頼される。
→具体的に○円戻ってきます。と、した方がロイヤリティが得られる。しかし単にキャッシュバックしますでは訴求力に欠ける。
今はモノ余りの時代で、家の中には使ってないけど、捨てられないモノが一杯ある。そういうモノを引き取って、目に見える「お金」という形で換金する事で、心理的な壁が無くなる。結局は同じ値下げでもよっぽど効果的が得られる。
実際にこのキャンペーンは相当な成果を上げたそうだ。事実小生の嫁も、まんまとこのキャンペーンに引っかかっていた。
また、例の如く、このキャンペーンも社内からは、2割引き、3割引きで売っても売れないのに、そんな事やっても効果が無いと言われたそうだ。同氏の著書を読んだ事のある方なら周知とは思うが、ここでも「周りが反対する事をやると成功する」「売り手発想では無く顧客心理から考える」という例の法則を、また成功させた訳だ。「売り手発想だと、直ぐに5割引きとかそう言う方個性に走ってしまう」との事
無論、この話しを聞いてキャンペーンの種明かしをされても「あっ!確かに、なるほど!」との想いは持っても騙されたとは思わない。
~~以下は完全な小生の仮説として書く。(本当に大手カード会社の内情がそうであると告発するものではない)
一方カード会社の最悪なキャンペーンはどうだろうか?
①利用状況が急に上がった会員は、キャシングに対するニーズが高い。
→利用状況のデータから最近利用が急に増えてきた会員ならば、現金に困っている事が多くキャシングの利用をする可能性が高い。事実そういうデータも取れている。
②キャシングは銀行、消費者金融、他カード会社など、様々なコンペチターが居る。自社のカードのキャッシングを利用してもらう為の後押しが必要。
→金利の引き下げや、ポイントを倍して、一部の方だけの特別キャンペーンとして認知してもらう。
この様なキャンペーンも、「顧客心理」から考えられたものでは無いのか?「下取りキャンペーン」とどう違うのか?
・・・・・そう、発想の起点が「顧客か、売り手か」の違いである!
「下取り」と「最悪」の①、②を良く読み比べて欲しい。
マーケッターが陥る最大の課題は正にここにある。
「売り手起点で4P(4C)を構築しても全く意味がない」
「売り手起点で顧客心理を考えても全く意味が無い」
売り手起点で発想されたキャンペーンは、この後、では、具体的にどうやってキャンペーンを張ろうと検討される。「最悪キャンペーン」の例の場合、プロモーションは利用明細や、Webの会員個人サイトでは、明らかに訴求力が弱い。では直接電話しよう。社員を使うとコストが高いので「業者」を使おう。平日だと電話に出ない可能性が高いので、日曜日の昼にしよう。
こうやって「最悪キャンペーン」が実施されてしまう訳だ。「顧客起点で顧客心理」をしっかり検討していたら、日曜日の昼間に借金の勧誘電話をする事の愚かしさに真っ先に気づく筈だ。
鈴木敏文氏の「顧客起点」「顧客心理」というのは、言葉にするのは簡単だが、実践するのは酷く難しい。「顧客起点」で「顧客心理」を読んだつもりでも、実際には「売り手」起点になってしまっている事が実に多いのだ。
また、同氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、
小生が書いた。
消費者自身が種明かしされた時に「あっ!確かに、なるほど!」と思える。
の二点には、実に重要なインサイトが隠れている。
「最悪キャンペーン」にこの二点をあてはめて欲しい。
「データから急に利用が増えた会員は、キャシングに対するニーズが高い様です。今は不景気でカードの利用自体の増加は見込めません。該当会員に対して、キャンペーンを打ちたい」と社内で提案した場合、反対する人がどれほど居るだろうか?
また、この様な社内の検討があってこの様なキャンペーンをやってみました。と種明かしされた消費者が「あっ!確かに、なるほど!」と思うだろうか?
これは「最悪キャンペーン」に限った事では無い。殆どのキャンペーンが「3割引きで駄目なら、5割引で頑張ろう」になってしまうのだ。
消費者として、そのキャンペーンを種明かしされた際「あっ!確かに、なるほど!」と思えるかどうか?をマーケティングキャンペーンを検討する際に重要なバロメータとして認知してみては如何か。
次回、失敗戦略や失敗キャンペーンが企画されてしまうメカニズムに関して記載したい。
2009年5月13日水曜日
2009年5月11日月曜日
アウトバウンドうざい
日曜日のお昼。家族団欒の時を過ごしているとき、一本の電話を嫁が受けた。
嫁はカード会社からTELとの事だったので、何の疑いもなく私に電話を回したわけだが・・・カード会社からの電話など掛って来た記憶が無いので、少し「ドキッ」とした。カードを落とした?とか不正利用?とか残高不足で引き落としが間に合わなかった?とか。
内容は「今キャッシングをご利用頂くとポイントが倍になります。金利も安いです」という宣伝を一方的に3分程。「キャッシング」って様は無担保ローンだからサラ金と一緒。利用しようと思った事は一度も無い。借金を勧める電話を家族団欒の真昼間に受けていい気分になる訳もない。小生あんまり怒ったりするのは柄では無いので聞くだけ聞いて電話を切ったのだが・・・
実は、このカード会社のカードは5年ほど前、あるショッピングモールでキャンペーンをやっている時に作ったものだ。カードを作ると全品2割引きで年会費無料という事で定価が50万程する時計が、セールで30万になっていてカードを作ると更に6万円引き!なので問答無用で入会したが、メインのカードは別のカード会社の物を使っていたので、それっきり全く使っていなかった。
しかし、1年程前そのメインのカードにある問合せをしたところあまりに腹の立つ対応をされたので、もうここのカードを使うのは辞めようと思い(この時も優しい小生はこの担当者には何も言わず)それからはショッピングモールで作ったカードをメインカードに切り替えた。
ここからは単に推測でしかないが、このTELを掛けてきたカード会社は会員数は業界トップクラスの会社なので、会員数は数千万になる。全員にこの様なアウトバウンドコールをするのは現実的では無い。だとすると、何かしらのデータから抽出してターゲットを決めて掛けてきたに違いない。急に利用が増えた会員をデータからリストアップしてTELして来たのではないだろうか?
マスでは無く、データからターゲットを決めて、キャンペーンを張るのはもはや常識的すぎる手段だ。
確かにこのキャンペーンで、キャッシングの実績が何パーセントか上がるかもしれない。不景気なこのご時世に急にカードの利用額が上がっている会員なら、効果度は高いだろう。そうなればターゲッティングの冥だと親会社の銀行もホクホクだろう。
また、この様なアウトバウンドコールは自社の社員では無く、ほぼ間違い無くどこかのアウトソーサに委託する。
試しにWebで「営業 BPO」(BPOはビジネスプロセスアウトソーシングの略)で検索してみれば、その様な業者が山の様にある事に気づくだろう。
TELアポやアウトバウンドコールは外部に委託し、そこで引っかかった良質なリード(見込み客)は自社の営業マンが対応する。とか。形態は色々。確かに労働単価の高い自社の正社員営業マンがTEL掛けまくるというのは非効率だ。最近は営業アウトーシングとして、クローズ(受注)までを成果報酬などで請負う企業も多くなった。
このカード会社は、「業者を使い効率的に実績をあげられる有効な手段」を実施したと満足かもしれない。
なるほど「売る側」の理屈としては「効率的」かもしれない。
しかし、常識的に日曜日の真昼間に「キャンペーンやってますので借金しませんか?」と電話を掛けてこられて、いい気分になる顧客がどれほど居るだろうか?少なくとも小生はこのカードも解約かメインカードからの降格の対象になっている。
業者はノルマをこなすだけで、与えられたリストから、何人に電話を掛けて、何人と繋がって、何人が最後まで聞いた。というデータを、依頼主に返して報酬を得るだけだ。
もちろんアウトーソースの形態や業者の質も様々だし、一概に否定する訳ではないが、本当に顧客と自社の商品やサービスに愛着を持って「業者」が接するだろうか?大切な「顧客接点」を業者にアウトソースする事の意味をよくよく再考した方が良い。
もちろん「業者」かどうかは小生が勝手に言っているだけで、本当のところは解らない。
しかし、どちらにせよ、彼ら(このカード会社)は、少なくとも小生の事など全くどうでも良い顧客だという事は良く伝わった。
「業者」と共に、コンサルとかマーケッターが口にする「ターゲティング」や「セグメンテーション」には多くの「嘘」がある。自社起点で「何を?誰に?どうやって売るか?」のロジックになってしまっているケースがあるからだ。コンサルやマーケッタ自体も「業者化」している証拠だろう。
それって基本じゃないの?と思った方は要注意!これのマズさはまた機会があれば説明したい。
このカード会社も他に漏れず、会社概要には「お客様の多様なニーズに的確お答えして・・・」なんて書いてある訳だが、
小生のニーズは「借金」か!!!
嫁はカード会社からTELとの事だったので、何の疑いもなく私に電話を回したわけだが・・・カード会社からの電話など掛って来た記憶が無いので、少し「ドキッ」とした。カードを落とした?とか不正利用?とか残高不足で引き落としが間に合わなかった?とか。
内容は「今キャッシングをご利用頂くとポイントが倍になります。金利も安いです」という宣伝を一方的に3分程。「キャッシング」って様は無担保ローンだからサラ金と一緒。利用しようと思った事は一度も無い。借金を勧める電話を家族団欒の真昼間に受けていい気分になる訳もない。小生あんまり怒ったりするのは柄では無いので聞くだけ聞いて電話を切ったのだが・・・
実は、このカード会社のカードは5年ほど前、あるショッピングモールでキャンペーンをやっている時に作ったものだ。カードを作ると全品2割引きで年会費無料という事で定価が50万程する時計が、セールで30万になっていてカードを作ると更に6万円引き!なので問答無用で入会したが、メインのカードは別のカード会社の物を使っていたので、それっきり全く使っていなかった。
しかし、1年程前そのメインのカードにある問合せをしたところあまりに腹の立つ対応をされたので、もうここのカードを使うのは辞めようと思い(この時も優しい小生はこの担当者には何も言わず)それからはショッピングモールで作ったカードをメインカードに切り替えた。
ここからは単に推測でしかないが、このTELを掛けてきたカード会社は会員数は業界トップクラスの会社なので、会員数は数千万になる。全員にこの様なアウトバウンドコールをするのは現実的では無い。だとすると、何かしらのデータから抽出してターゲットを決めて掛けてきたに違いない。急に利用が増えた会員をデータからリストアップしてTELして来たのではないだろうか?
マスでは無く、データからターゲットを決めて、キャンペーンを張るのはもはや常識的すぎる手段だ。
確かにこのキャンペーンで、キャッシングの実績が何パーセントか上がるかもしれない。不景気なこのご時世に急にカードの利用額が上がっている会員なら、効果度は高いだろう。そうなればターゲッティングの冥だと親会社の銀行もホクホクだろう。
また、この様なアウトバウンドコールは自社の社員では無く、ほぼ間違い無くどこかのアウトソーサに委託する。
試しにWebで「営業 BPO」(BPOはビジネスプロセスアウトソーシングの略)で検索してみれば、その様な業者が山の様にある事に気づくだろう。
TELアポやアウトバウンドコールは外部に委託し、そこで引っかかった良質なリード(見込み客)は自社の営業マンが対応する。とか。形態は色々。確かに労働単価の高い自社の正社員営業マンがTEL掛けまくるというのは非効率だ。最近は営業アウトーシングとして、クローズ(受注)までを成果報酬などで請負う企業も多くなった。
このカード会社は、「業者を使い効率的に実績をあげられる有効な手段」を実施したと満足かもしれない。
なるほど「売る側」の理屈としては「効率的」かもしれない。
しかし、常識的に日曜日の真昼間に「キャンペーンやってますので借金しませんか?」と電話を掛けてこられて、いい気分になる顧客がどれほど居るだろうか?少なくとも小生はこのカードも解約かメインカードからの降格の対象になっている。
業者はノルマをこなすだけで、与えられたリストから、何人に電話を掛けて、何人と繋がって、何人が最後まで聞いた。というデータを、依頼主に返して報酬を得るだけだ。
もちろんアウトーソースの形態や業者の質も様々だし、一概に否定する訳ではないが、本当に顧客と自社の商品やサービスに愛着を持って「業者」が接するだろうか?大切な「顧客接点」を業者にアウトソースする事の意味をよくよく再考した方が良い。
もちろん「業者」かどうかは小生が勝手に言っているだけで、本当のところは解らない。
しかし、どちらにせよ、彼ら(このカード会社)は、少なくとも小生の事など全くどうでも良い顧客だという事は良く伝わった。
「業者」と共に、コンサルとかマーケッターが口にする「ターゲティング」や「セグメンテーション」には多くの「嘘」がある。自社起点で「何を?誰に?どうやって売るか?」のロジックになってしまっているケースがあるからだ。コンサルやマーケッタ自体も「業者化」している証拠だろう。
それって基本じゃないの?と思った方は要注意!これのマズさはまた機会があれば説明したい。
このカード会社も他に漏れず、会社概要には「お客様の多様なニーズに的確お答えして・・・」なんて書いてある訳だが、
小生のニーズは「借金」か!!!
2009年4月24日金曜日
クビ切りという麻薬
連日取り上げられる、派遣切り、内定取り消し、大企業のリストラのニュース。マスコミが取り上げるのは本当にごく一部の事例でしかない。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。
小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。
しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。
経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。
新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。
これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。
繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!
残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。
小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。
こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。
経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。
小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。
しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。
経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。
新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。
これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。
繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!
残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。
小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。
こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。
経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。
2009年4月13日月曜日
プリウスとレクサス
ホンダのインサイトが189万円ならトヨタの新型プリウスは205万円。
かつて日産ブルーバードとトヨタコロナで過剰な販売合戦が行われ「BC戦争」と称された事があるが、今度はハイブリッドカーを主力とした「PI戦争」と言うべきか。
今回、新型プリウスは当初、現行型より値上がりするとみられており、一番安いモデルでも250万円位のプライスタグがつけられるとの大方の予想であった。しかしインサイトが189万円で、予想を上回る受注を得た結果205万円での販売を踏み切らせたのは間違いない。
ハイブリットの仕組みの違いや、ベースとなるプラットフォームの違い、等々を考えるとあからさまなインサイト潰しであるとの声が上がるのも無理は無い。しかし何故そこまでするのか?をもっと踏み込んで考えると直接「インサイト」を潰す。よりももっと広義で「ハイブリッドカー=トヨタ」というブランドを守りたいのでは無いかという気がしてならない。
トヨタが初代プリウスを販売したのが1997年である。価格は215万。世界初の量産ハイブリッドカーであり、この価格で出すのは戦略的な価格であって「売れば、売るほど赤字」では無いかと言われた。初代プリウスのプラットフォームはプレミオ/アリオンという中型車と共有していると言われ、そのプラットフォームに完全に独自のハイブリット技術を盛り込んだのだから、初代においてもバーゲンプライスだったのは言うまでもない。
ホンダはその2年後に初代インサイトを発売するが、これは2名乗車であり、いろいろな面で「買わないでくれ」オーラに満ちていた。一先ず燃費世界一でトヨタに負けていないというメッセージを出す事が重要で、ホンダにしてもインサイトは売れば売れるほど赤字だったのだろう。
技術的にもトヨタのハイブリットはモータのみで独立して駆動するのに対して、ホンダのハイブリッドはあくまでモータはエンジンの補助動力という扱いである。(それは今でも変わらない)
しかしトヨタは215万のプリウスを本気で販売した。いち早くブランドを確立。部品コストの量産効果を得たかったからで、その戦略は見事に成功した。今のところハイブリッドカーと言えばプリウスであり、エコカーで最先端を行っているのはトヨタというイメージを市場に作る事に成功した。この為、技術は進化し、コストは下がり、ブランド力は向上するという、先行者として、教科書どおりの戦略で成功を収めた。
今回の新型プリウスは205万でもちゃんと利益が出る様になっていると踏んでいる。流石に昨今の経済情勢と「売れるプリウス」で、売れば、売るほど赤字という訳には行くまい。で、あるならばトヨタが利益が出るギリギリのラインまで価格を下げてもインサイトを潰し、プリウスブランドを守るのは当然である。
一方のホンダは初代インサイトの後ハイブリッドを止めた訳では無く、現在でも現行インサイトの前からシビックハイブリッドを販売している。現行のシビックハイブリッドは229万からである。シビックより格下のフィットがベースとなっているインサイトの価格が189万で安いと言われているのだから、決して高い価格では無い。しかしこのシビックハイブリットは恐ろしく売れていない。
決論から言ってしまえば、新型インサイトはプリウスの様な形をしているから売れた。ホンダにしてみれば、初代インサイトの形を引き継いでいる。とか、空力を追求した結果。とか「言い訳」は一杯できるが、実際のところ初代インサイトの形なんて相当なマニアじゃなきゃ覚えていないし、ハイブリッドカーで無い車種で素晴らしい空力を実現している車も多く存在している。
消費者の視点から見れば、シビックの形をしたハイブリッドカーはハイブリッドカーとして認知させず、プリウスの形をしたインサイトこそがハイブリッドカーなのである。ホンダはトヨタの作った「エコカー=ハイブリッドカー=プリウス」に上手く乗った形であって、言い代えればインサイトは「ホンダの作った安いプリウス」なのである。
そう考えると「PI戦争」もう勝負はついてしまったかも知れない。
だからという訳では無いが、もう1点の論点を加えたい。それは「レクサス」だ。すでに一定の成功を収めた北米でのレクサスでは無く、あくまでも国内における「レクサス」だ。
2003年から開始した、国内でのレクサスの販売状況は惨憺たる現状だ。2008年上期で1万5000台で計画の約半分という状態だから、2008年下期、2009年上期は壊滅的状況だろう。
この不振に対してもいろいろな事が言われている。「訪問販売をしない営業方針に問題がある」「性能、品質面でまだまだ独高級車などに及ばない」etc・・小生いまいちしっくりこない。
そもそもトヨタはなぜ国内でレクサスの販売を始めたのか?
理由は簡単である。少子高齢化、人口減の日本においては薄利多売では無く、一台あたりの利益率を高める必要があるからだ。自動車の場合、メーカの台あたりの利益は販売価格の1割~2割と言われている。すなわち利益率が仮に1割だとして100万の車を10台売っても利益100万だが、1000万の車を2台売れば200万の利益が出る。一般には利益率は高級車程出るので(おそらく1000万の車なら300万は堅そう)この点を考えると、人口減の日本においてトヨタがレクサスを展開したのは至極妥当な判断だったと思える。もちろん、すでにイメージが出来上がっている「トヨタ」ブランドで展開するのは限界がある。なのでホンダは「アキュラ」日産は「インフィニティ」といった北米でのブランドを日本に持ち込む時期を「レクサス」の状況を見ながら見計らっている。
何が言いたいか?日本における「レクサス」という組織は「利益」を挙げる事を目的に作られた組織なのではないのか?(内部の事情は知らないので、本当の所は知りえないが・・)
北米、欧州においては既にレクサスブランドだった、日本におけるアルテッサ、ソアラ、アリスト、セルシオ、ハリヤーといった車種をモデルチェンジ、もしくは一部改良して「レクサス」として販売した。もちろん利益率は相当高いと想像できる。
(だからと言って、ベンツやBMWの日本における利益率がレクサスに比べて低いとは思えない。)
しかしこれでは消費者がわざわざ高いコストを支払い、高い利益をメーカに与えるインセンティブはどこにも無い。ゴージャスなディーラの「おもてなし」対して払うのか?もちろん「組織」の言い訳としては、性能、品質、価格、サービスどれをとっても「ベンツ」や「BMW」より素晴らしい。と言うだろうし、実際にそういう面も多いのだろう。しかしそれは「組織」としての「言い訳」にしかならない。
ブランド構築の方法論が完全に逆である。もし「レクサス」組織の存在目的が「利益」であるとするならば、今すぐにでも改めるべきである。
もっとハッキリ言おう!
「レクサス」は今のところ「シビックハイブリッド」でしか無い。
「レクサスって何?」と聞けば「トヨタの高級車ブランド」と答える人が多いだろうが、「高級車って?」と聞いて「レクサス」と真っ先に答える人は少ない筈だ。既存車種である「シビック」にモーターを加えてハイブリッドカーです。もしそれが「プリウスより価格も性能の優れています。」と言っても誰も相手にしない様に、既存車種に高級車の要素を加えて「高級車です」といっても通用しないのだ。
レクサスに割り当てられた技術者達が既存プラットフォームや共有化された部品の中で「利益率」を意識しながら車を作るのでは無く、全くのゼロベースで真の高級車を考えて作ってみてはどうか?もしかすると完成した車はものすごく利益率が悪く、かつ、今までのやり方で作った車と性能、品質面でも変わらないかも知れない。しかし、本気で高級を追求したのであれば、組織として高級に対する試行錯誤が生まれる。そうする事によって初めて「トヨタの高級ブランド「レクサス」」が誕生するのではないのか?
しかし、今もし「レクサス」が利益追求型組織のままでいるならば、既存車種の「格上げ」が終わった後に取る行為はベンツ、BMWに対する「インサイト」の発売だろう。それではエコカーの市場でイノベーションを起こしたプリウスの様に、高級車の市場でイノベーションは起こせない。私がトヨタの社長であれば「レクサス」の組織は利益追求型組織では無く、イノベーション追及型組織にする。そうした方が後々「利益」に繋がると考えるからだ。
ブランド構築は急がば回れですよヨ。トヨタさん。
ああっ・・ついでにホンダに関しては今一度「オヤジ」さんに雷を落とされた方が良いね。
かつて日産ブルーバードとトヨタコロナで過剰な販売合戦が行われ「BC戦争」と称された事があるが、今度はハイブリッドカーを主力とした「PI戦争」と言うべきか。
今回、新型プリウスは当初、現行型より値上がりするとみられており、一番安いモデルでも250万円位のプライスタグがつけられるとの大方の予想であった。しかしインサイトが189万円で、予想を上回る受注を得た結果205万円での販売を踏み切らせたのは間違いない。
ハイブリットの仕組みの違いや、ベースとなるプラットフォームの違い、等々を考えるとあからさまなインサイト潰しであるとの声が上がるのも無理は無い。しかし何故そこまでするのか?をもっと踏み込んで考えると直接「インサイト」を潰す。よりももっと広義で「ハイブリッドカー=トヨタ」というブランドを守りたいのでは無いかという気がしてならない。
トヨタが初代プリウスを販売したのが1997年である。価格は215万。世界初の量産ハイブリッドカーであり、この価格で出すのは戦略的な価格であって「売れば、売るほど赤字」では無いかと言われた。初代プリウスのプラットフォームはプレミオ/アリオンという中型車と共有していると言われ、そのプラットフォームに完全に独自のハイブリット技術を盛り込んだのだから、初代においてもバーゲンプライスだったのは言うまでもない。
ホンダはその2年後に初代インサイトを発売するが、これは2名乗車であり、いろいろな面で「買わないでくれ」オーラに満ちていた。一先ず燃費世界一でトヨタに負けていないというメッセージを出す事が重要で、ホンダにしてもインサイトは売れば売れるほど赤字だったのだろう。
技術的にもトヨタのハイブリットはモータのみで独立して駆動するのに対して、ホンダのハイブリッドはあくまでモータはエンジンの補助動力という扱いである。(それは今でも変わらない)
しかしトヨタは215万のプリウスを本気で販売した。いち早くブランドを確立。部品コストの量産効果を得たかったからで、その戦略は見事に成功した。今のところハイブリッドカーと言えばプリウスであり、エコカーで最先端を行っているのはトヨタというイメージを市場に作る事に成功した。この為、技術は進化し、コストは下がり、ブランド力は向上するという、先行者として、教科書どおりの戦略で成功を収めた。
今回の新型プリウスは205万でもちゃんと利益が出る様になっていると踏んでいる。流石に昨今の経済情勢と「売れるプリウス」で、売れば、売るほど赤字という訳には行くまい。で、あるならばトヨタが利益が出るギリギリのラインまで価格を下げてもインサイトを潰し、プリウスブランドを守るのは当然である。
一方のホンダは初代インサイトの後ハイブリッドを止めた訳では無く、現在でも現行インサイトの前からシビックハイブリッドを販売している。現行のシビックハイブリッドは229万からである。シビックより格下のフィットがベースとなっているインサイトの価格が189万で安いと言われているのだから、決して高い価格では無い。しかしこのシビックハイブリットは恐ろしく売れていない。
決論から言ってしまえば、新型インサイトはプリウスの様な形をしているから売れた。ホンダにしてみれば、初代インサイトの形を引き継いでいる。とか、空力を追求した結果。とか「言い訳」は一杯できるが、実際のところ初代インサイトの形なんて相当なマニアじゃなきゃ覚えていないし、ハイブリッドカーで無い車種で素晴らしい空力を実現している車も多く存在している。
消費者の視点から見れば、シビックの形をしたハイブリッドカーはハイブリッドカーとして認知させず、プリウスの形をしたインサイトこそがハイブリッドカーなのである。ホンダはトヨタの作った「エコカー=ハイブリッドカー=プリウス」に上手く乗った形であって、言い代えればインサイトは「ホンダの作った安いプリウス」なのである。
そう考えると「PI戦争」もう勝負はついてしまったかも知れない。
だからという訳では無いが、もう1点の論点を加えたい。それは「レクサス」だ。すでに一定の成功を収めた北米でのレクサスでは無く、あくまでも国内における「レクサス」だ。
2003年から開始した、国内でのレクサスの販売状況は惨憺たる現状だ。2008年上期で1万5000台で計画の約半分という状態だから、2008年下期、2009年上期は壊滅的状況だろう。
この不振に対してもいろいろな事が言われている。「訪問販売をしない営業方針に問題がある」「性能、品質面でまだまだ独高級車などに及ばない」etc・・小生いまいちしっくりこない。
そもそもトヨタはなぜ国内でレクサスの販売を始めたのか?
理由は簡単である。少子高齢化、人口減の日本においては薄利多売では無く、一台あたりの利益率を高める必要があるからだ。自動車の場合、メーカの台あたりの利益は販売価格の1割~2割と言われている。すなわち利益率が仮に1割だとして100万の車を10台売っても利益100万だが、1000万の車を2台売れば200万の利益が出る。一般には利益率は高級車程出るので(おそらく1000万の車なら300万は堅そう)この点を考えると、人口減の日本においてトヨタがレクサスを展開したのは至極妥当な判断だったと思える。もちろん、すでにイメージが出来上がっている「トヨタ」ブランドで展開するのは限界がある。なのでホンダは「アキュラ」日産は「インフィニティ」といった北米でのブランドを日本に持ち込む時期を「レクサス」の状況を見ながら見計らっている。
何が言いたいか?日本における「レクサス」という組織は「利益」を挙げる事を目的に作られた組織なのではないのか?(内部の事情は知らないので、本当の所は知りえないが・・)
北米、欧州においては既にレクサスブランドだった、日本におけるアルテッサ、ソアラ、アリスト、セルシオ、ハリヤーといった車種をモデルチェンジ、もしくは一部改良して「レクサス」として販売した。もちろん利益率は相当高いと想像できる。
(だからと言って、ベンツやBMWの日本における利益率がレクサスに比べて低いとは思えない。)
しかしこれでは消費者がわざわざ高いコストを支払い、高い利益をメーカに与えるインセンティブはどこにも無い。ゴージャスなディーラの「おもてなし」対して払うのか?もちろん「組織」の言い訳としては、性能、品質、価格、サービスどれをとっても「ベンツ」や「BMW」より素晴らしい。と言うだろうし、実際にそういう面も多いのだろう。しかしそれは「組織」としての「言い訳」にしかならない。
ブランド構築の方法論が完全に逆である。もし「レクサス」組織の存在目的が「利益」であるとするならば、今すぐにでも改めるべきである。
もっとハッキリ言おう!
「レクサス」は今のところ「シビックハイブリッド」でしか無い。
「レクサスって何?」と聞けば「トヨタの高級車ブランド」と答える人が多いだろうが、「高級車って?」と聞いて「レクサス」と真っ先に答える人は少ない筈だ。既存車種である「シビック」にモーターを加えてハイブリッドカーです。もしそれが「プリウスより価格も性能の優れています。」と言っても誰も相手にしない様に、既存車種に高級車の要素を加えて「高級車です」といっても通用しないのだ。
レクサスに割り当てられた技術者達が既存プラットフォームや共有化された部品の中で「利益率」を意識しながら車を作るのでは無く、全くのゼロベースで真の高級車を考えて作ってみてはどうか?もしかすると完成した車はものすごく利益率が悪く、かつ、今までのやり方で作った車と性能、品質面でも変わらないかも知れない。しかし、本気で高級を追求したのであれば、組織として高級に対する試行錯誤が生まれる。そうする事によって初めて「トヨタの高級ブランド「レクサス」」が誕生するのではないのか?
しかし、今もし「レクサス」が利益追求型組織のままでいるならば、既存車種の「格上げ」が終わった後に取る行為はベンツ、BMWに対する「インサイト」の発売だろう。それではエコカーの市場でイノベーションを起こしたプリウスの様に、高級車の市場でイノベーションは起こせない。私がトヨタの社長であれば「レクサス」の組織は利益追求型組織では無く、イノベーション追及型組織にする。そうした方が後々「利益」に繋がると考えるからだ。
ブランド構築は急がば回れですよヨ。トヨタさん。
ああっ・・ついでにホンダに関しては今一度「オヤジ」さんに雷を落とされた方が良いね。
起業
起業なんかするもんじゃない。
最近まわりで、起業する人間が増えている気がする。
不景気で会社の先行きを不安を覚えたり、嫌な目にあったり。理由は様々あると思うが、「度胸あるな~」と関心する。
起業した新規に法人登録された会社が生き残れる可能性は・・・
1年以内に60%が倒産
5年以内に80%が倒産
10年以内に95%が倒産
らしい!
まあデータの取り方とかによっては違うと思うが、こんなもんでしょうね。
脱サラしてまず何を始めるか?
手っ取り早そうなのは、
コンビニや飲食店などのフランチャイズ。いや~ロイヤリティが高そうだ・・
いちから自分の暖簾で始める・・・普通にキツイ。仕入も高いそうだし・・
ネットショップ?副業なら良いけど、これだけで食べてくのは・・・
人材派遣や受託請負型のシステム会社?まあこれは自己資本もかからないし始めるのにはそれほどリスクは無いかな?大体自分の元居た会社や取引先に雇って貰う事から始められるし・・・しか~し。昨今の不況や、新興国でのオフショア開発の状況を見ていると、そうそう安泰とも言えなさそうだし、そもそもそのモデルでこの時代発展させるのは至難の業だと思う。
上記に挙げた様な業種は、一言で言えば参入障壁が低い業種。まあだから割に気軽に始められる訳だが、参入障壁が低いという事は誰にでも始められる訳だから競争は当然激しい。
なにか画期的なビジネスモデルや商品があれば良いが・・その様なビジネスの場合、大体、開発コストやら、製造コストが掛るので人や金や設備投資が必要で、資金を集めるのが大変だし、集まったとしてもとてもリスクは非常に高い。
そんな訳で!?(どんな訳?)
私のまわりだとコンサルタントとして起業する人が多い。コンサルだと基本的に資本は全く必要ない。自宅とパソコンできればプリンター位なので簡単。まあサラリーマン時代の経験や人脈を活かせばなんとかなりそう!
が、人脈は兎も角、サラリーマン時代の経験って・・・と思わなくもない。
営業部門に長く居て、実績をあげてきたから「営業コンサルタントです」と言われましても。と普通なる。で、色々な本とかから知識を得て、自分なりに脚色して○○○式とか付けて、あまりその手の本とか読んでなさそうな中小零細企業を相手にする。あとは自慢のしゃべりで寝技に持ち込めばなんとか・・・まあ、こういうパターンで上手く行っている人も確かに結構います。それでそこそこ会社が大きくなっても、まあ良くて年商数億規模、社員数十名規模から大きくはならない。
だって、そもそもノウハウ売っているんだから、当然最初は必殺トークで中小企業のおっさん達が喜んでも、喜び勇んでセミナー開きまくって、本とか書きまくればノウハウ自体がコモディティ化する。また、その人がそうした様に今度はそのノウハウを脚色して○○△式なんてのを売り出す人が出てくる(笑)
いゃあ、その人自体は天才的にコンサルタントとしての能力が高く、単なるノウハウ売りでは無く、本質的な企業課題に突っ込んでいけたとしても、その後に続くかわいいコンサルさん達は、その人のノウハウを切り売りするか単なる営業しかできない。
有名戦略系ファームの様に、コンサルを育てあげるノウハウは残念ながら営業一筋のこの方には望めないだろう。
そもそも、この手の方はコンサルファームの言う事なんか机上の空論。私は実践。と言って商売しているんだから本望だろうけど。
ちなみに、この手の会社の特徴は
・HPが会社の紹介というより単なる代表の紹介サイトだったりする。
・サービスとか代表の枕詞に「最強」「絶対」「世界一」「カリスマ」とかがつく事が多い。
・いつもセミナーやっている。
・出版や寄稿自慢が多い。
→普通にそれって限界あるよね。
割切っていれば良いのよ。それでも。でも勘違いして自分の経営能力が如何に優れているか?的な話しをし始めちゃうと・・あらら。
別に小生この手の方々を否定している訳では無いんですよ。クライアントにはノウハウやショック療法も必要です。
ただね。ご自身の会社の経営がどの様にして成り立っているか?ちゃんと理解して次の成長戦略描いてます?まさか次はテレビ出演しコメンテータを務めて、とか考えてないよね!?コンサルだもんね!と、ちょっと問うてみたくもなる。
ただ、起業では無く独立であったらコンサルは良いかもしれない。これまでの派遣や業務請負は単純作業やノンコア業務で、目的もコスト削減でしたが、例えば社内の改革プロジェクトを立ち上げる際に、経験や専門スキルのある人に入ってもらう。
こういうニーズは増えるだろう。
なんか起業の話からコンサルの話しになってしまったが、まあ、普通に大変だと思います起業は。
最近まわりで、起業する人間が増えている気がする。
不景気で会社の先行きを不安を覚えたり、嫌な目にあったり。理由は様々あると思うが、「度胸あるな~」と関心する。
起業した新規に法人登録された会社が生き残れる可能性は・・・
1年以内に60%が倒産
5年以内に80%が倒産
10年以内に95%が倒産
らしい!
まあデータの取り方とかによっては違うと思うが、こんなもんでしょうね。
脱サラしてまず何を始めるか?
手っ取り早そうなのは、
コンビニや飲食店などのフランチャイズ。いや~ロイヤリティが高そうだ・・
いちから自分の暖簾で始める・・・普通にキツイ。仕入も高いそうだし・・
ネットショップ?副業なら良いけど、これだけで食べてくのは・・・
人材派遣や受託請負型のシステム会社?まあこれは自己資本もかからないし始めるのにはそれほどリスクは無いかな?大体自分の元居た会社や取引先に雇って貰う事から始められるし・・・しか~し。昨今の不況や、新興国でのオフショア開発の状況を見ていると、そうそう安泰とも言えなさそうだし、そもそもそのモデルでこの時代発展させるのは至難の業だと思う。
上記に挙げた様な業種は、一言で言えば参入障壁が低い業種。まあだから割に気軽に始められる訳だが、参入障壁が低いという事は誰にでも始められる訳だから競争は当然激しい。
なにか画期的なビジネスモデルや商品があれば良いが・・その様なビジネスの場合、大体、開発コストやら、製造コストが掛るので人や金や設備投資が必要で、資金を集めるのが大変だし、集まったとしてもとてもリスクは非常に高い。
そんな訳で!?(どんな訳?)
私のまわりだとコンサルタントとして起業する人が多い。コンサルだと基本的に資本は全く必要ない。自宅とパソコンできればプリンター位なので簡単。まあサラリーマン時代の経験や人脈を活かせばなんとかなりそう!
が、人脈は兎も角、サラリーマン時代の経験って・・・と思わなくもない。
営業部門に長く居て、実績をあげてきたから「営業コンサルタントです」と言われましても。と普通なる。で、色々な本とかから知識を得て、自分なりに脚色して○○○式とか付けて、あまりその手の本とか読んでなさそうな中小零細企業を相手にする。あとは自慢のしゃべりで寝技に持ち込めばなんとか・・・まあ、こういうパターンで上手く行っている人も確かに結構います。それでそこそこ会社が大きくなっても、まあ良くて年商数億規模、社員数十名規模から大きくはならない。
だって、そもそもノウハウ売っているんだから、当然最初は必殺トークで中小企業のおっさん達が喜んでも、喜び勇んでセミナー開きまくって、本とか書きまくればノウハウ自体がコモディティ化する。また、その人がそうした様に今度はそのノウハウを脚色して○○△式なんてのを売り出す人が出てくる(笑)
いゃあ、その人自体は天才的にコンサルタントとしての能力が高く、単なるノウハウ売りでは無く、本質的な企業課題に突っ込んでいけたとしても、その後に続くかわいいコンサルさん達は、その人のノウハウを切り売りするか単なる営業しかできない。
有名戦略系ファームの様に、コンサルを育てあげるノウハウは残念ながら営業一筋のこの方には望めないだろう。
そもそも、この手の方はコンサルファームの言う事なんか机上の空論。私は実践。と言って商売しているんだから本望だろうけど。
ちなみに、この手の会社の特徴は
・HPが会社の紹介というより単なる代表の紹介サイトだったりする。
・サービスとか代表の枕詞に「最強」「絶対」「世界一」「カリスマ」とかがつく事が多い。
・いつもセミナーやっている。
・出版や寄稿自慢が多い。
→普通にそれって限界あるよね。
割切っていれば良いのよ。それでも。でも勘違いして自分の経営能力が如何に優れているか?的な話しをし始めちゃうと・・あらら。
別に小生この手の方々を否定している訳では無いんですよ。クライアントにはノウハウやショック療法も必要です。
ただね。ご自身の会社の経営がどの様にして成り立っているか?ちゃんと理解して次の成長戦略描いてます?まさか次はテレビ出演しコメンテータを務めて、とか考えてないよね!?コンサルだもんね!と、ちょっと問うてみたくもなる。
ただ、起業では無く独立であったらコンサルは良いかもしれない。これまでの派遣や業務請負は単純作業やノンコア業務で、目的もコスト削減でしたが、例えば社内の改革プロジェクトを立ち上げる際に、経験や専門スキルのある人に入ってもらう。
こういうニーズは増えるだろう。
なんか起業の話からコンサルの話しになってしまったが、まあ、普通に大変だと思います起業は。
2009年4月6日月曜日
不況を乗り越えるのは
未曾有の大不況である。
小生のまわりでも失業者が増えてきたし、回りの企業に聞いても景気の良い話しは何ひとつない。
小生自身はサブプライムローンの問題がテレビ、新聞に取り上げられ始めた時期、2007年の5、6月位であったろうか?この時点でのこれは相当にまずいことになるのではないかととの予感はあった。この頃の経済アナリストなどの専門家の認識は、日本での影響は限定的という楽観的な見方ばかりであったが、小生は金融や、経済の専門家では無いが米国の個人消費が世界のGDPの約3割を締め、またその消費が個人の借金によって支えられている事位の知識はあった。その流れが逆流し始めると大変な事になるぞ。という単なるカン見たいなものであるが、当時勤めていた会社の社内情報共有システムにもその事を書きこんだ。
即ちサブプライムローンの焦げ付きによって、貸し渋りが発生、通常のプライムローンであってもなかなかローンが組めなくなる。景気の循環が悪くなり、リストラや賃下げ、失業者の増加が起きる。このマイナス循環が発生する事によって、借金して「お買いもの」をする米流の個人消費が、出来なくなってしまうのではないか?自動車や家電といった日本を支える輸出産業は北米市場依存度が高い。開拓しつつある新興国においても、その発展が北米への輸出に頼っている以上、これは相当にマズイ事になるのではないか?というのが小生が考えた懸念である。
(ちなみに2008年末の時点で、某有名経済紙の2009年の経済予想で、著名アナリストが未だにデカップリンク論を強弁しているのは閉口した。国内の自動車販売は今回の問題が大きくなる以前から冷え込んでいたというのがその論拠の様に書かれていた記憶があるが、ここまでくると読んでいるこちらが気恥ずかしい。)
2007年末から徐々にこの問題の扱いは大きくなってきたが、当の米国の個人消費はさほど落ち込まなかった。米国の個人消費を占う年末のクリスマス商戦におてても、小生の想像よりは落ち込みが少なかった。伸び率でいうと確かに低調であったが、それでも前年比で3.7%の増である。
米国人というのは、どこまでも楽観的、前向きな人種だなと変な関心をした覚えがある。
年が明けて、米国が利下げなどの対応を行うにつれ、小生もこれはしばらくすると落ち着くかな?と思えたが、去年末私が懸念した実態経済の落ち込みが先では無く、リーマンブラザースの破たんという形で金融市場の方が一気に吹っ飛んでしまった。
小生は実態経済の悪化から始まって金融収縮が起こると読んでいたが、全くの逆であった。金融が先に吹っ飛び、消費どころでは無くなった形だ。その意味で本当の不況はこれからでは無いかと思う。金融破綻→米国個人消費市場→日本の輸出産業の落ち込み→輸出産業を取り巻く国内サービス業の落ち込み(今はこの段階だと言える)、その次に来るのは、流通小売。とりわけ、スーパー。これは国内の個人消費マインドが完全に冷え込んでいる事を意味する。外需も内需も駄目であれば、良くなる要素はどこにもない。
専門外の慣れない話しはここまでとして、今後の実態経済の方向性と、景気向上策として日本版「グリーンニューディール」を行うべしとする向きが多い。環境技術で世界をリードしているのは日本だろう。その強みを伸ばす方向性は全く否定しない。
しかし、違和感もある。ハイブリッドカーへの買換えの支援をして、みなが車を買い換える事が本当に、エコかとどうか(笑)?
という議論ももちろんあるが、良くいう「環境立国」が本当に日本の目指すべき長期目標となりうるのかという点である?
自国の強みを活かして、尚且つ環境に良い社会を目指す事に何の違和感があるのか?と言われれば、それは「変革」とい言葉があてはまる。極論すれば、高速道路やダムを作る会社を儲けさせるか?環境技術を持つ製造業を儲けさせるか?の選択をした所で、日本という国家のシステムは何一つ変わらない。
今回の世界同時不況は、資本主義の限界を突き付けた面が多分にある。小生はこの不況を抜け出す国は、国家システムそのものを次世代型に「変革」できた国では無いかと考える。
ひどく具体的な話しで言うならば、ある駄目駄目総合電気メーカがあるとする。赤字は7000億にもなる。旧態前として変化せず、経営陣は自己保身しか考えない。縦割りが酷く効率化できない、部門の利益しか考えていない。技術はあるが市場に対して画期的な新商品も出せない。若手は古株に抑圧されて自由にできない。
例えばこんな会社が、これからは○○という分野のニーズが高くなりそうだから、今後はその分野の研究開発に力を入れて主力製品を変えていこう(笑)。
とやっただけで、この会社が今後飛躍できるのか? 良くって現状維持だろう・・
では何を目指せば良いのか?小生は今こそ「IT立国」を目指すべきだと愚考する。
IT産業なんて存在しない!と以前書いた人間が何を言っているのか?と思われるかもしれないが、21世紀は、環境技術の時代では無く、情報技術の時代だと思っている。それは情報スーパーハイウェイ構想(古っ!)とか電子政府を目指すとかそういう話しでは無い。
小生は、ネットの活用度は高い。気になる情報、知りたい知識はネットから得る。もちろん新聞や本といったソースも積極的に使ってはいる。しかし何時でも情報を引き出せる世の中になった変化は計りしれない。社会人、私人としてもこれは相当な変化をもたらしてきた。しかし社会システム自体はこの変化についていけていない。
一例を挙げよう、今試験会場に、インターネット接続可能なPCの利用が許可されたら、どうなるだろうか?試験の内容にもよるだろうが、皆100点を取るだろうか?おそらく中には50点しか取れない人もでるだろう?その差は答えを知っているかどうか(暗記している)の点差では無く、如何に上手にググれるか?の勝負になると言って良い。
この事が何を意味しているのか?あくまでも極論としてだが、記憶力コンテストだった今までの試験、受験というのは、批判はありながらも、物事を知っているor知らないという価値が実社会においても評価にもなるという事の正当性があった訳だが、現代の実社会において、それで人間の能力を測るのに全く無意味になってしまっている。
(本音ではまじめに「努力」が出来る人間か否かのコンテストでしょうが・・)
それよりも如何に、正確に情報を引き出すかのリテラシーを持った人間の方が遥かに評価ができるという事だ。(あくまで暗記 vs Google使いを、一視点軸で見ればだが)
もちろん学校教育におていインターネットの上手な使い方をしっかり教るべきという話しではない。
情報は何時でも、正確にネットから引き出せると仮定した時に必要な要素な何か?情報を記憶するのに長けている。情報を引き出すのに長けている。の問題では無く、その情報をもとに「思考」し本質的な解を求め行動できるかどうかが問われるのではないのか?
残念ながら日本の教育において「思考」する訓練というのは殆ど行われていない。これからの実社会において、個々人の思考力の差が、国家の力となる筈である。これほど情報のインフラが劇的に変化しているにも関わらず、相変わらず教科書に載っている内容を、如何に暗記するかの教育をやっている。日本人はただでさえ言語というハンディがある。情報のインフラが世界中で繋がり整備されてもそれを活用するのに、スタート時点でだいぶ遅れをとってしまう。
時間は掛るかもしれないが、言語の壁は現状の延長戦上にある教育もしくは、ITの進歩によって解決していく可能性はある。しかし情報を活用し活かす「思考力」に差がでれば、これは絶望的に国家の力を衰退させてしまう。
それから、政治。今の政治システムは本当に民が主体だろうか?議会制民主主義自体、見直す時期には来ていないか?政党の必要性が本当にあるのか?官僚の在り方は?それは、自民党憎し、官僚憎し、社保庁憎し、という次元の話しではない。様々な悪癖を、個々に起きた事象、現象の表面を捉え、悪い、憎い、腹を切れと合唱し、法律で規制する事が本質的な物事の解決になるだろうか?その本質はシステム自体が引き起こしているのでは無いのか?インターネットの発展は直接民主主義への可能性だって充分検討余地ができる筈だ。
一遍を見れば、企業においてはITを活かす事で、既存の縦割り型機能別の弊害を解消し、フラットで迅速な意思決定を可能にし、競争力を高めている企業は幾らでもある。もちろん国家政治と企業を並列で捉えられない面は多い。しかし表面的に現れる現象、事象は個々の能力や、モラールによって引き起こされているのでは無く、起こるべくして現象、事象を引き起こしている本質的なシステムの問題が必ず存在する。
この点においては安倍前首相の「戦後レジュームからの脱却」というテーマはひどく現実的な解であった様に思う。しかし多分に戦後政治へのアンチテーゼであり、何を目指す為に脱却するのかの論点が薄かったのと、自身の政治指導力に関しての疑問が残った感も否めない。
国家を日本株式会社と見た場合、今大変な危機にある事は言うまでもない。企業の状態を示す有名な言葉に「ゆで蛙」という言葉がある。本当にそうであるかは置いておいて、沸騰したお湯の中に蛙を放り込むと、当然ビックリして飛び出そうとする。しかし、水を浸した鍋に蛙を入れ段々と温めて行くと、蛙は沸騰するまで気づかずに茹であがって死んでしまう。という現象を企業の状態に例え、このままだと自社は危ない。何とかしなくてはと。心では思いつつ行動に移せない状態で、ちっとも変革できない様を示している。
日本は今まさに茹であがろうとしているのではないか?小生は常にそんな危機感を抱いている。
ハーバード大のクリステンセン教授が有名な著書「イノベーションのジレンマ」で、組織の能力は、資源(人とかお金)、プロセス、価値基準に従うと示している。資源は容易に移す事が可能だが、プロセスは価値基準によって最適化される為、破壊的イノベーションを生みだすには、既存組織に優秀な人材やお金を幾ら投入した所で無駄で、全くの別組織を作るか、全く別の価値基準をその組織に与えるしかないと示している。この事は会社勤めの経験者であれば誰もが納得する話しであろう。小生もサラリーマン時代ベンチャー企業に在籍した時期がある。その会社は創業から10年足らずで一部上場を果たす程の勢いであったが、突如逆風に曝された。(もちろん実際は突如では無く完全に論理的に説明できるのだがここでは割愛する)
しかし一度成功を味わった価値基準は容易には変革できない。同書でトヨタはプロセスを絶えず変革する事で強さを得たという説明がある。トヨタは勿論、現場からのQCサークルによる「カイゼン」によってプロセスを磨きあげてきた。
一方、組織の持つ価値基準はどうであろうか?ハッキリいってこれはを変えるのはボトムアップでは無理だ。出来るとしたら革命でありクーデターが必要になる。必ずトップダウンで行う必要がある。
歴史は国家システムの変革は常にこの二点(革命か破壊的な指導者)によってもたらされている。
しかし、フラット化した国家の構築ができれば(グローバルなフラット化では無く)真に民衆による政治が可能になる筈だ。確かにそのシステムを最初に築くには、ある程度上記二点の要件を満たす必要性がある。
しかし一度、それを築ければ自律的組織となり、常に適切な自己変革ができるであろう。
その為に絶対条件となるのは、正確な情報を引き出すリテラシーと、その情報から自ら思考できる「思考力」の二点に他ならない。
前者はネット社会において否応なしに飛躍的に高まって行くだろう。しかし後者はほっておいても育たない。またこの二点が育って且つ国家システムがそれに応じられない時は、国民にフラストレーションのみが高まるだけであろう。
今こそIT立国を目指せ!それは21世紀型の国家の形である。
(長くなったので後半はかなり端折ったので飛躍し過ぎだろう。またの機会に細かく説明したい)
小生のまわりでも失業者が増えてきたし、回りの企業に聞いても景気の良い話しは何ひとつない。
小生自身はサブプライムローンの問題がテレビ、新聞に取り上げられ始めた時期、2007年の5、6月位であったろうか?この時点でのこれは相当にまずいことになるのではないかととの予感はあった。この頃の経済アナリストなどの専門家の認識は、日本での影響は限定的という楽観的な見方ばかりであったが、小生は金融や、経済の専門家では無いが米国の個人消費が世界のGDPの約3割を締め、またその消費が個人の借金によって支えられている事位の知識はあった。その流れが逆流し始めると大変な事になるぞ。という単なるカン見たいなものであるが、当時勤めていた会社の社内情報共有システムにもその事を書きこんだ。
即ちサブプライムローンの焦げ付きによって、貸し渋りが発生、通常のプライムローンであってもなかなかローンが組めなくなる。景気の循環が悪くなり、リストラや賃下げ、失業者の増加が起きる。このマイナス循環が発生する事によって、借金して「お買いもの」をする米流の個人消費が、出来なくなってしまうのではないか?自動車や家電といった日本を支える輸出産業は北米市場依存度が高い。開拓しつつある新興国においても、その発展が北米への輸出に頼っている以上、これは相当にマズイ事になるのではないか?というのが小生が考えた懸念である。
(ちなみに2008年末の時点で、某有名経済紙の2009年の経済予想で、著名アナリストが未だにデカップリンク論を強弁しているのは閉口した。国内の自動車販売は今回の問題が大きくなる以前から冷え込んでいたというのがその論拠の様に書かれていた記憶があるが、ここまでくると読んでいるこちらが気恥ずかしい。)
2007年末から徐々にこの問題の扱いは大きくなってきたが、当の米国の個人消費はさほど落ち込まなかった。米国の個人消費を占う年末のクリスマス商戦におてても、小生の想像よりは落ち込みが少なかった。伸び率でいうと確かに低調であったが、それでも前年比で3.7%の増である。
米国人というのは、どこまでも楽観的、前向きな人種だなと変な関心をした覚えがある。
年が明けて、米国が利下げなどの対応を行うにつれ、小生もこれはしばらくすると落ち着くかな?と思えたが、去年末私が懸念した実態経済の落ち込みが先では無く、リーマンブラザースの破たんという形で金融市場の方が一気に吹っ飛んでしまった。
小生は実態経済の悪化から始まって金融収縮が起こると読んでいたが、全くの逆であった。金融が先に吹っ飛び、消費どころでは無くなった形だ。その意味で本当の不況はこれからでは無いかと思う。金融破綻→米国個人消費市場→日本の輸出産業の落ち込み→輸出産業を取り巻く国内サービス業の落ち込み(今はこの段階だと言える)、その次に来るのは、流通小売。とりわけ、スーパー。これは国内の個人消費マインドが完全に冷え込んでいる事を意味する。外需も内需も駄目であれば、良くなる要素はどこにもない。
専門外の慣れない話しはここまでとして、今後の実態経済の方向性と、景気向上策として日本版「グリーンニューディール」を行うべしとする向きが多い。環境技術で世界をリードしているのは日本だろう。その強みを伸ばす方向性は全く否定しない。
しかし、違和感もある。ハイブリッドカーへの買換えの支援をして、みなが車を買い換える事が本当に、エコかとどうか(笑)?
という議論ももちろんあるが、良くいう「環境立国」が本当に日本の目指すべき長期目標となりうるのかという点である?
自国の強みを活かして、尚且つ環境に良い社会を目指す事に何の違和感があるのか?と言われれば、それは「変革」とい言葉があてはまる。極論すれば、高速道路やダムを作る会社を儲けさせるか?環境技術を持つ製造業を儲けさせるか?の選択をした所で、日本という国家のシステムは何一つ変わらない。
今回の世界同時不況は、資本主義の限界を突き付けた面が多分にある。小生はこの不況を抜け出す国は、国家システムそのものを次世代型に「変革」できた国では無いかと考える。
ひどく具体的な話しで言うならば、ある駄目駄目総合電気メーカがあるとする。赤字は7000億にもなる。旧態前として変化せず、経営陣は自己保身しか考えない。縦割りが酷く効率化できない、部門の利益しか考えていない。技術はあるが市場に対して画期的な新商品も出せない。若手は古株に抑圧されて自由にできない。
例えばこんな会社が、これからは○○という分野のニーズが高くなりそうだから、今後はその分野の研究開発に力を入れて主力製品を変えていこう(笑)。
とやっただけで、この会社が今後飛躍できるのか? 良くって現状維持だろう・・
では何を目指せば良いのか?小生は今こそ「IT立国」を目指すべきだと愚考する。
IT産業なんて存在しない!と以前書いた人間が何を言っているのか?と思われるかもしれないが、21世紀は、環境技術の時代では無く、情報技術の時代だと思っている。それは情報スーパーハイウェイ構想(古っ!)とか電子政府を目指すとかそういう話しでは無い。
小生は、ネットの活用度は高い。気になる情報、知りたい知識はネットから得る。もちろん新聞や本といったソースも積極的に使ってはいる。しかし何時でも情報を引き出せる世の中になった変化は計りしれない。社会人、私人としてもこれは相当な変化をもたらしてきた。しかし社会システム自体はこの変化についていけていない。
一例を挙げよう、今試験会場に、インターネット接続可能なPCの利用が許可されたら、どうなるだろうか?試験の内容にもよるだろうが、皆100点を取るだろうか?おそらく中には50点しか取れない人もでるだろう?その差は答えを知っているかどうか(暗記している)の点差では無く、如何に上手にググれるか?の勝負になると言って良い。
この事が何を意味しているのか?あくまでも極論としてだが、記憶力コンテストだった今までの試験、受験というのは、批判はありながらも、物事を知っているor知らないという価値が実社会においても評価にもなるという事の正当性があった訳だが、現代の実社会において、それで人間の能力を測るのに全く無意味になってしまっている。
(本音ではまじめに「努力」が出来る人間か否かのコンテストでしょうが・・)
それよりも如何に、正確に情報を引き出すかのリテラシーを持った人間の方が遥かに評価ができるという事だ。(あくまで暗記 vs Google使いを、一視点軸で見ればだが)
もちろん学校教育におていインターネットの上手な使い方をしっかり教るべきという話しではない。
情報は何時でも、正確にネットから引き出せると仮定した時に必要な要素な何か?情報を記憶するのに長けている。情報を引き出すのに長けている。の問題では無く、その情報をもとに「思考」し本質的な解を求め行動できるかどうかが問われるのではないのか?
残念ながら日本の教育において「思考」する訓練というのは殆ど行われていない。これからの実社会において、個々人の思考力の差が、国家の力となる筈である。これほど情報のインフラが劇的に変化しているにも関わらず、相変わらず教科書に載っている内容を、如何に暗記するかの教育をやっている。日本人はただでさえ言語というハンディがある。情報のインフラが世界中で繋がり整備されてもそれを活用するのに、スタート時点でだいぶ遅れをとってしまう。
時間は掛るかもしれないが、言語の壁は現状の延長戦上にある教育もしくは、ITの進歩によって解決していく可能性はある。しかし情報を活用し活かす「思考力」に差がでれば、これは絶望的に国家の力を衰退させてしまう。
それから、政治。今の政治システムは本当に民が主体だろうか?議会制民主主義自体、見直す時期には来ていないか?政党の必要性が本当にあるのか?官僚の在り方は?それは、自民党憎し、官僚憎し、社保庁憎し、という次元の話しではない。様々な悪癖を、個々に起きた事象、現象の表面を捉え、悪い、憎い、腹を切れと合唱し、法律で規制する事が本質的な物事の解決になるだろうか?その本質はシステム自体が引き起こしているのでは無いのか?インターネットの発展は直接民主主義への可能性だって充分検討余地ができる筈だ。
一遍を見れば、企業においてはITを活かす事で、既存の縦割り型機能別の弊害を解消し、フラットで迅速な意思決定を可能にし、競争力を高めている企業は幾らでもある。もちろん国家政治と企業を並列で捉えられない面は多い。しかし表面的に現れる現象、事象は個々の能力や、モラールによって引き起こされているのでは無く、起こるべくして現象、事象を引き起こしている本質的なシステムの問題が必ず存在する。
この点においては安倍前首相の「戦後レジュームからの脱却」というテーマはひどく現実的な解であった様に思う。しかし多分に戦後政治へのアンチテーゼであり、何を目指す為に脱却するのかの論点が薄かったのと、自身の政治指導力に関しての疑問が残った感も否めない。
国家を日本株式会社と見た場合、今大変な危機にある事は言うまでもない。企業の状態を示す有名な言葉に「ゆで蛙」という言葉がある。本当にそうであるかは置いておいて、沸騰したお湯の中に蛙を放り込むと、当然ビックリして飛び出そうとする。しかし、水を浸した鍋に蛙を入れ段々と温めて行くと、蛙は沸騰するまで気づかずに茹であがって死んでしまう。という現象を企業の状態に例え、このままだと自社は危ない。何とかしなくてはと。心では思いつつ行動に移せない状態で、ちっとも変革できない様を示している。
日本は今まさに茹であがろうとしているのではないか?小生は常にそんな危機感を抱いている。
ハーバード大のクリステンセン教授が有名な著書「イノベーションのジレンマ」で、組織の能力は、資源(人とかお金)、プロセス、価値基準に従うと示している。資源は容易に移す事が可能だが、プロセスは価値基準によって最適化される為、破壊的イノベーションを生みだすには、既存組織に優秀な人材やお金を幾ら投入した所で無駄で、全くの別組織を作るか、全く別の価値基準をその組織に与えるしかないと示している。この事は会社勤めの経験者であれば誰もが納得する話しであろう。小生もサラリーマン時代ベンチャー企業に在籍した時期がある。その会社は創業から10年足らずで一部上場を果たす程の勢いであったが、突如逆風に曝された。(もちろん実際は突如では無く完全に論理的に説明できるのだがここでは割愛する)
しかし一度成功を味わった価値基準は容易には変革できない。同書でトヨタはプロセスを絶えず変革する事で強さを得たという説明がある。トヨタは勿論、現場からのQCサークルによる「カイゼン」によってプロセスを磨きあげてきた。
一方、組織の持つ価値基準はどうであろうか?ハッキリいってこれはを変えるのはボトムアップでは無理だ。出来るとしたら革命でありクーデターが必要になる。必ずトップダウンで行う必要がある。
歴史は国家システムの変革は常にこの二点(革命か破壊的な指導者)によってもたらされている。
しかし、フラット化した国家の構築ができれば(グローバルなフラット化では無く)真に民衆による政治が可能になる筈だ。確かにそのシステムを最初に築くには、ある程度上記二点の要件を満たす必要性がある。
しかし一度、それを築ければ自律的組織となり、常に適切な自己変革ができるであろう。
その為に絶対条件となるのは、正確な情報を引き出すリテラシーと、その情報から自ら思考できる「思考力」の二点に他ならない。
前者はネット社会において否応なしに飛躍的に高まって行くだろう。しかし後者はほっておいても育たない。またこの二点が育って且つ国家システムがそれに応じられない時は、国民にフラストレーションのみが高まるだけであろう。
今こそIT立国を目指せ!それは21世紀型の国家の形である。
(長くなったので後半はかなり端折ったので飛躍し過ぎだろう。またの機会に細かく説明したい)
2009年3月12日木曜日
クラウドはお好き?
クラウンドコンピューティング(以下クラウド)。はっきり言います。小生この言葉が大嫌い。
大嫌いと言う位だから、これは完全に私の個人的な嗜好の話しという前提で書きます。
クラウドコンピューティングに関して、下記Wikipediaより、
*****
従来のコンピュータ利用形態はユーザー(企業、個人など)がコンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア)とデータを自分自身で所持し管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。
*****
まず何か嫌いか?クラウドは「規模の経済」が働きすぎる。クラウドのビジネスをするのであれば、インターネットの向こうに多額の投資をする必要がある。データセンターや運営やサーバ、管理コスト。当然、利用者が増えれば、増えるほどこのコストは下がっていき、より良い「向こう側」を構築する事ができる。同時に「浮いたお金」でどんどん広告、宣伝を行う。利用者が増える。この循環がどんどん発生する。
当然ここには自己資本で始めた様な新規ITベンチャーがこのビジネスに参入する余地はない。すでにあるクラウド?上にサービスを構築するしかなくなるだろう。どこかのベンダーがそう表現する様に、クラウドベンダーは電気会社や水道会社の様な、インフラ企業となる事目指しているのだから当然かもしれないが、例えば革新的なソフトウェアのアイディアが生まれたとしても、それを作るのは、どこかのクラウドのインフラ上に構築する以外無い。と、するとそれはとても悲しい事では無いだろうか?クラウドはむしろオープン化の逆を行っている様に思えてならない。もちろんクラウドがデファクトになったとすればの話しだが・・・
ここまで書くと何かピンとこないだろうか?
クラウド勢はOSとオフィスソフトで覇権を握ったマイクロソフトを攻撃の対象としている。しかし、もしもどこかがクラウドで覇権を握れば、もはやそれを覆すのは至難の業になるのは自明で、結局は次のマイクロソフトを生むだけなのだ。
もちろん等のマイクロソフト自身もクラウド参入を表明している訳だが、まだまだいろいろな意味で含みを持たせている。どちらにも転べる様に・・・もちろん小生がマイクロソフトの熱心な信者では無い事も明言しておく。
ただ、
1・どこかのクラウドベンダーがマイクロソフト倒す。
2・マイクロソフトがクラウドの覇者となる
3・クラウドは流行らず、旧来のマイクロソフト型ビジネスが続く。
4・旧来のマイクロソフトビジネスとクラウドビジネスが共存する
実は小生はどうなろうが大した興味は無い。クラウドは嫌いと書いたが、もし仮に1・な世の中になっても受け入れる事はできる。クラウドが嫌いな最大の理由は、利用者側からみた時のクラウドの影響がどこまでどの様にあるかを考えた時である。
クラウド、クラウドと連呼したところで、それがもたらす影響は、
1・サーバの置き場所が変わる
2・支払う費用が変わる(安くなるとは限らない)
3・支払い方法が変わる
だけ。である。本当に「だけ」である。他に何かあるのであれば、是非教えて欲しい。
「インターネットに接続すればいつでも、どこでもプラットフォームに関係なく利用する事ができる」
「サーバのスペースや管理者が必要なくなる」
「使わなくなったら、辞める事ができる」
「ITを利用するのにどの様なサービスを利用したいか選ぶだけで良くなる」
幾ら、詭弁を弄した所で上記3つから外はれない。
○○コンピューティングという言葉で、思いだすのはEUC(エンドユーザコンピューティング)という言葉だ。ずいぶん昔に流行った言葉であるが、EUCがもたらしたインパクトは何であったか?企業内コンピューティングという観点で振り返ってみたい。
それこそ、20年も前に遡れば、パソコンはまだ企業では使われておらず、ホストコンピュータと呼ばれる大型コンピュータが企業における情報処理の中心だった。あとは部門毎位にホストコンピュータに繋がる端末(これ自体は何の処理もしない)と、ワープロと、電卓と言ったところだろう。
売上の集計や在庫管理、経理処理等々、何をするにも部門の利用者(エンドユーザ)は、電算室に依頼を出し、電算室の人間が自ら、プログラムを作成し、テストを行い。完成させる。というフェーズを経て、ホストコンピュータの空いている時間に、バッチ処理として流してもらう必要がった。すなわち業務担当者達はコンピュータを利用していた訳では無く、コンピュータに処理してもらっていた。分かりやすく言うと、どこか目的地に移動するにあったて、公共機関。電車やバスを利用するのか、自家用車で行くかの違いと似ている。前者は自分が好きな時間に、好きな場所で乗って、好きな場所で降りるわけにはいかない。あくまでも乗る場所は、バス停か駅。時間は時刻表に従う。降りる場所も決められた場所となる。後者は何の原則なんの制約も受けない。(法律と道路の及ぶ範囲で)
ビジネスの世界でパソコンの利用が一人一台となり、コンピューターの利用が各個人レベルに落ちた事は、非常にインパクトがあった。むろん当初はスタンドアロンで表計算やワープロが中心であったが、それでも「ちょっとした業務」を自分のパソコンで出来る様になったメリットは図りしれない。その後、企業内ネットワークが発達しクライアント&サーバ型のエンタープライズアプリケーションの登場により、いよいよホストコンピュータ中心のコンピューティングから、エンドユーザコンピューティングが活発化する。もちろん企業の中にいろいろな「ミニシステム」が構築されたり、気軽に導入出来るからといって部門レベルでのシステムが構築され、分散しすぎた企業内システムが弊害を引き起こしてきた事も事実だ。
しかし、インパクトの面で見れば、エンドユーザコンピューティングはクラウドコンピューティングとは比べモノにならない程、我々のコンピュータの利用の方法を変えてきた。
確かに理論上は、クラウドコンピューティングは規模の経済の上に成り立つ為、利用者が増え、業者も淘汰が進めば、支払うコストは少なく済む筈だ。しかし件のマイクロソフトはOSやビジネスソフトを圧倒的に支配するまでになったが、コスト面では利用者が恩恵を受けた事は少ない。むしろ望みもしないバージョンアップを強要され、本来払いたくもないコストを支払わされてきた感がある。
クラウドがそうであると危険を提唱するつもりは無い。なぜならクラウドが覇権を握る可能性が非常に低いと考えるからだ。小生、雲のこちら側の人々にも知り合いは多くいる。が、残念ながら「クラウド」という言葉など全く興味が無い人が殆どだ。経済危機の中でどう舵取りしていくか?本当に真剣だ。あちら側の人達との温度差を考えれば、小生がそう考える理由がそこにある。
あちら側の人達に望む事は、本当にビジネスに役に立つコンピュータ利用方法の提供であって、(エンタープライズアプリケーション導入プロジェクト成功率が3割?)、良く分からない「雲」を「こんどはコレですよ!」と、こちら側に売り込みをされる事では無い。
本来は経済危機に立ち向かう立派な武器になる筈のコンピュータを、「雲」などと言ってごまかすのはもうやめて欲しい。スタンドアロンでも、クライアントサーバでも安くて役に立つのであればいい筈だ。環境に役立てるのであれば、超ハイスペックになったクライアントPCのCPUをフルにぶん回した方がよっぽど良い。
(ちなみに小生は去年8月にノートPCを新調したが、全く快適では無い。WindowsVistaは最低のOSだ。折角のハイスペックなPCのパワーの殆どOSに取られ、業務効率はちっとも上がらない。)
おそらく向こう側の人達も本音では、こんな事言われなくても十分理解している。しかしエンタープライズのアプリケーションを企業経営にどう役立てるのかを提言するより、コンピュータ屋の得意なプラットフォームやテクノロジーの話しに挿げ替える方が楽に決まっている。雲の向こうにいる人達は神様になりたいのかもしれないが、顧客はもっと別の足元で悩んでいる。
最低限、その人達に解る言葉で伝えなければその宗教は流行らない。その為の伝道師達作りにも躍起の様だが、自分が儲ける事を考えている神様と、おこぼれをもらおうとする伝道師達の関係では、あやしげな新興宗教となにひとつ違いは無いのではないか?
大嫌いと言う位だから、これは完全に私の個人的な嗜好の話しという前提で書きます。
クラウドコンピューティングに関して、下記Wikipediaより、
*****
従来のコンピュータ利用形態はユーザー(企業、個人など)がコンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア)とデータを自分自身で所持し管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。
*****
まず何か嫌いか?クラウドは「規模の経済」が働きすぎる。クラウドのビジネスをするのであれば、インターネットの向こうに多額の投資をする必要がある。データセンターや運営やサーバ、管理コスト。当然、利用者が増えれば、増えるほどこのコストは下がっていき、より良い「向こう側」を構築する事ができる。同時に「浮いたお金」でどんどん広告、宣伝を行う。利用者が増える。この循環がどんどん発生する。
当然ここには自己資本で始めた様な新規ITベンチャーがこのビジネスに参入する余地はない。すでにあるクラウド?上にサービスを構築するしかなくなるだろう。どこかのベンダーがそう表現する様に、クラウドベンダーは電気会社や水道会社の様な、インフラ企業となる事目指しているのだから当然かもしれないが、例えば革新的なソフトウェアのアイディアが生まれたとしても、それを作るのは、どこかのクラウドのインフラ上に構築する以外無い。と、するとそれはとても悲しい事では無いだろうか?クラウドはむしろオープン化の逆を行っている様に思えてならない。もちろんクラウドがデファクトになったとすればの話しだが・・・
ここまで書くと何かピンとこないだろうか?
クラウド勢はOSとオフィスソフトで覇権を握ったマイクロソフトを攻撃の対象としている。しかし、もしもどこかがクラウドで覇権を握れば、もはやそれを覆すのは至難の業になるのは自明で、結局は次のマイクロソフトを生むだけなのだ。
もちろん等のマイクロソフト自身もクラウド参入を表明している訳だが、まだまだいろいろな意味で含みを持たせている。どちらにも転べる様に・・・もちろん小生がマイクロソフトの熱心な信者では無い事も明言しておく。
ただ、
1・どこかのクラウドベンダーがマイクロソフト倒す。
2・マイクロソフトがクラウドの覇者となる
3・クラウドは流行らず、旧来のマイクロソフト型ビジネスが続く。
4・旧来のマイクロソフトビジネスとクラウドビジネスが共存する
実は小生はどうなろうが大した興味は無い。クラウドは嫌いと書いたが、もし仮に1・な世の中になっても受け入れる事はできる。クラウドが嫌いな最大の理由は、利用者側からみた時のクラウドの影響がどこまでどの様にあるかを考えた時である。
クラウド、クラウドと連呼したところで、それがもたらす影響は、
1・サーバの置き場所が変わる
2・支払う費用が変わる(安くなるとは限らない)
3・支払い方法が変わる
だけ。である。本当に「だけ」である。他に何かあるのであれば、是非教えて欲しい。
「インターネットに接続すればいつでも、どこでもプラットフォームに関係なく利用する事ができる」
「サーバのスペースや管理者が必要なくなる」
「使わなくなったら、辞める事ができる」
「ITを利用するのにどの様なサービスを利用したいか選ぶだけで良くなる」
幾ら、詭弁を弄した所で上記3つから外はれない。
○○コンピューティングという言葉で、思いだすのはEUC(エンドユーザコンピューティング)という言葉だ。ずいぶん昔に流行った言葉であるが、EUCがもたらしたインパクトは何であったか?企業内コンピューティングという観点で振り返ってみたい。
それこそ、20年も前に遡れば、パソコンはまだ企業では使われておらず、ホストコンピュータと呼ばれる大型コンピュータが企業における情報処理の中心だった。あとは部門毎位にホストコンピュータに繋がる端末(これ自体は何の処理もしない)と、ワープロと、電卓と言ったところだろう。
売上の集計や在庫管理、経理処理等々、何をするにも部門の利用者(エンドユーザ)は、電算室に依頼を出し、電算室の人間が自ら、プログラムを作成し、テストを行い。完成させる。というフェーズを経て、ホストコンピュータの空いている時間に、バッチ処理として流してもらう必要がった。すなわち業務担当者達はコンピュータを利用していた訳では無く、コンピュータに処理してもらっていた。分かりやすく言うと、どこか目的地に移動するにあったて、公共機関。電車やバスを利用するのか、自家用車で行くかの違いと似ている。前者は自分が好きな時間に、好きな場所で乗って、好きな場所で降りるわけにはいかない。あくまでも乗る場所は、バス停か駅。時間は時刻表に従う。降りる場所も決められた場所となる。後者は何の原則なんの制約も受けない。(法律と道路の及ぶ範囲で)
ビジネスの世界でパソコンの利用が一人一台となり、コンピューターの利用が各個人レベルに落ちた事は、非常にインパクトがあった。むろん当初はスタンドアロンで表計算やワープロが中心であったが、それでも「ちょっとした業務」を自分のパソコンで出来る様になったメリットは図りしれない。その後、企業内ネットワークが発達しクライアント&サーバ型のエンタープライズアプリケーションの登場により、いよいよホストコンピュータ中心のコンピューティングから、エンドユーザコンピューティングが活発化する。もちろん企業の中にいろいろな「ミニシステム」が構築されたり、気軽に導入出来るからといって部門レベルでのシステムが構築され、分散しすぎた企業内システムが弊害を引き起こしてきた事も事実だ。
しかし、インパクトの面で見れば、エンドユーザコンピューティングはクラウドコンピューティングとは比べモノにならない程、我々のコンピュータの利用の方法を変えてきた。
確かに理論上は、クラウドコンピューティングは規模の経済の上に成り立つ為、利用者が増え、業者も淘汰が進めば、支払うコストは少なく済む筈だ。しかし件のマイクロソフトはOSやビジネスソフトを圧倒的に支配するまでになったが、コスト面では利用者が恩恵を受けた事は少ない。むしろ望みもしないバージョンアップを強要され、本来払いたくもないコストを支払わされてきた感がある。
クラウドがそうであると危険を提唱するつもりは無い。なぜならクラウドが覇権を握る可能性が非常に低いと考えるからだ。小生、雲のこちら側の人々にも知り合いは多くいる。が、残念ながら「クラウド」という言葉など全く興味が無い人が殆どだ。経済危機の中でどう舵取りしていくか?本当に真剣だ。あちら側の人達との温度差を考えれば、小生がそう考える理由がそこにある。
あちら側の人達に望む事は、本当にビジネスに役に立つコンピュータ利用方法の提供であって、(エンタープライズアプリケーション導入プロジェクト成功率が3割?)、良く分からない「雲」を「こんどはコレですよ!」と、こちら側に売り込みをされる事では無い。
本来は経済危機に立ち向かう立派な武器になる筈のコンピュータを、「雲」などと言ってごまかすのはもうやめて欲しい。スタンドアロンでも、クライアントサーバでも安くて役に立つのであればいい筈だ。環境に役立てるのであれば、超ハイスペックになったクライアントPCのCPUをフルにぶん回した方がよっぽど良い。
(ちなみに小生は去年8月にノートPCを新調したが、全く快適では無い。WindowsVistaは最低のOSだ。折角のハイスペックなPCのパワーの殆どOSに取られ、業務効率はちっとも上がらない。)
おそらく向こう側の人達も本音では、こんな事言われなくても十分理解している。しかしエンタープライズのアプリケーションを企業経営にどう役立てるのかを提言するより、コンピュータ屋の得意なプラットフォームやテクノロジーの話しに挿げ替える方が楽に決まっている。雲の向こうにいる人達は神様になりたいのかもしれないが、顧客はもっと別の足元で悩んでいる。
最低限、その人達に解る言葉で伝えなければその宗教は流行らない。その為の伝道師達作りにも躍起の様だが、自分が儲ける事を考えている神様と、おこぼれをもらおうとする伝道師達の関係では、あやしげな新興宗教となにひとつ違いは無いのではないか?
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