2009年10月23日金曜日

誰が為に金は撒かれる

前回のちょっと補足。

小生、民主党は確かに嫌い。特に幹部連中に関してはもう生理的といって良い位嫌いだ。だからと言って自民党が好きという訳ではない。

ただ、このブログで政治的な話題に触れる時、一貫してるのは民主が、自民が、では無く、国民自身がいい加減意識を変えろという事。

戦後日本は、奇跡的(良い意味で)な「民主的な共産主義」で成長してきた。
一億総中流と言われ、貧富の差が少なく、社会保障が充実し、税金による富の再分配が機能し誰もが、真面目に働けば周りと同じ様な生活が出来る。小生が考えても理想的な国家だと思う。

しかし、バブル崩壊を機に、このシステムを支えていた前提が色々な面で崩れ去った。従来のシステムが通用しなくなった。

それから、ダラダラと「失われた10年」を過ごした後に、「市場原理主義」の導入、
「官から民へ」を打ち出したのが小泉-竹中路線で推進した「痛みを伴う構造改革」だった。
当初人々はこれに熱狂した。IPOブームが起き、時代の仇花といえる「ホリエモン」が脚光を浴びた。
そして時は立ち、リーマンショックがこの路線の熱を完全に冷ましてたのと同時に、一筋の光明を見出したつもりが、それすらも失って、八方塞がりになってしまった。

小生は今の民主党の人気には「民主的な共産主義国家」への回帰への想いが、その根底にある様に思えてならない。
即ち、それはかつての自民党政治へのノスタルジーといってもよいのではないか?

実際に民主党を支持している人は「そんな馬鹿な」と叫ぶだろうが、しかし、では現実に「暮らしが良くならない原因は国(自民党)が悪いから」と言うのは何故か。
裏を返せば「生活は国が支えてくれるもの、仕事は国が作ってくれるもの」=「民主的な共産主義」ではないのか?飛躍しすぎだろうか?
都市部では「箱モノ」中心は限界が見えているので、自民では無く民主。ただそれはイメージで、地方ではむしろ「箱モノ」をやらなくなったから自民に入れる理由が無くなり民主。
自民はダブルパンチを食らった訳だが、箱モノを経由してバラ撒くか、直接バラ撒くかの違いであって、穿った見方をすれば、票の集め易い「特定の人間」により直接的にバラ撒ける様にしたという見方もできる。
郵政の動き見れば、あながち間違った見方とも言えないだろう。
どの道、国民が新しい道を選択したなんて感覚は、少なくとも小生は持っていないし、そこには新しい国家としての成長戦略なんて何一つ見いだせない。
直接バラ撒きで内需を喚起するというが、間接バラ撒きで内需が喚起しないわけでもあるまいに。

話しは戻るが、「民主的な共産主義国家」は決して「助け合い」「共生」の精神を育んできた訳では無い。
その末期のバブルの馬鹿騒ぎを見れば良く解るだろう。
むしろ「利己的な個人主義」を育んできたと表現した方が相応しい。

学校-会社-老後と全て決められたレールを用意して貰う事が当り前過ぎて、自立して生きて行く事が出来ない。
もしレールが外されていようものなら、怒る。だだをこねる。他人が悪いと叫ぶ。拗ねる。
「大企業が悪い」「経営者が悪い」「政治が悪い」「官僚が悪い」
そして必ず、総論賛成各論反対。
公共事業を減らせと言いながら、自分に関わる事業が削減になれば猛烈に反対する。
福祉を充実させよと言いながら、自分が増税になれば「姥捨て山法案」・・・
失業すれば「仕事を紹介しろ」。ならまだましもで「生活を保障しろ」と言う。
こんな話は枚挙にいとまがない。少しでも自分に火の粉が掛れば「おかしい」「理解できない」「反対反対」と喚き叫ぶ。この傾向は民主党政権になっても全く変わっていない。

世代別の政党支持率を見て見ればその実態が良く解る。
色々の出自のデータがあるが、どの調査でも民主党への支持は高齢世代が高く、若年層ほど低くなっている。
実際に「民主的な共産主義国家」を謳歌し「逃げ切った」若しくは「逃げ切り直前」世代ほど高く、実際に格差問題などに苦しんでいる世代ほど支持率が低いという事だ。
これは、単に、不景気に見られるナショナリズムの台頭という表現で片付く話しでは無い。
(例えば右寄りの集会に何十万人も若者が集まって来た。というならそう言えるだろうが)

小生はマスコミvsネットに見られるイデオロギー対決的な要素が民主、自民の差になっている事は殆どないと考えている。それらは寧ろ圧倒的マイノリティーで、殆どの国民は実はあまりその点には関心が無い。
口先では「800兆も借金を作って、次世代はどうしていくのだ」で心の中では「目先の生活をもっと良くしろ」これだけだと言っても良い。
本音では、自分の暮らしさえ上向いて自分の子供さえ豊かなら、他人や未来の社会なんて本音ではどうでも良いのではなのか!?そんな幼稚な精神が煤けて見える。

「共生」を誤解してはいけない。利己主義は他人に依存していなければ生きていけない人間の事だ。他人は自分様を助ける存在でなければならないと考える人間の事だ。自分だけはいつも他人が支えてくれる。と考えるのは「共生」ではない。

もちろん人間は一人では生きていけない。だからこそ、まず自分なのだ。自分にしっかりと自立した精神を宿して初めて、他人を助ける事ができる。それぞれに自立した人間が、他人の自立を助ける。
自立した精神を持っている人は、助けられた時に心から感謝する事ができる。利己主義者は、助けられた時に当然だと考える。

会社に、学校に、他人から与えられた環境でしか生きていけない軟弱な精神の大人の体をした子供達。
今この国に必要なのは「個人への回帰」、「個人の自立」であって、更には、それがあって初めて国家としての自立も成り立つものだと思う。

弱者切り捨てでも、自己責任論でもない。自立した個人が周りの自立を支援する。
低所得者も、老人も、母子家庭も、出来うる範囲での「自立」があって、初めて幸せに繋がる。
自分の意思と、自分の考えで生活をしなければ、自分が満足する事なんてできない。
「弱者」扱いこそ「差別」ではないのか。逆差別、弱者貴族を作ってはならない。

中学卒業してまず社会に出て働いて、結婚して、子供を作り、30歳で高校に入ってその後、アルバイトで過ごし、40歳から大学に行く。その後サラリーマンとして働き、55歳で留学。65歳から作家を目指す。

こんな人生だって全然良いじゃないか。もっと人生は自由であるべきだ。そして自由も自立からしか生まれない。

元々「騙すより騙されろ」と子供に教えてきた日本人。小生は「強欲市場原理主義」では無く、「道徳的市場原理主義」こそがこれからの日本の道だと思う。自立した個人が、公平中立なルールと高い道徳心を持って競争し、国力を高めていく。そして自立した大人が、子供を自立させ、周囲を支える。そんな社会こそが目指すべきで姿ではないのかと思う。

「道徳的市場原理主義」なんて、欧米中では実現したくても出来ないだろう。

小生は逃げ切り、逃げ切り直前世代では無く、初めからレールが外されてしまっている。今の20代、10代、と言った世代が、いつか新しいムーブメントを巻き起こしてくれるのではないかと期待している。
そして、それは、ホリエモンの様な形では無く、もっと社会性が高く、道徳心に富んだものになるだろう。

40近くなった小生は、その土壌をしっかりと築き上げて行きたいと愚考している。

最後に、
民主党が今のまま突き進めば格差はますます広がっていくだろう。
これは小生の予言としてとどめておく。
しかし、今のまま、また政権が変わっても何も期待が出来ない。
まず、変わらなければ行けないのは我々自身であり、所詮政治はそれを映す鏡でしかないのだから。

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