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2009年12月17日木曜日

「KPI」や「見える化」なんてやめとけ(貴社の場合に限り)

「戦略じゃなくてノルマでしょ」なんて事を書いたが、どうも最近新手のノルマが流行している模様。

その昔BSC(BalancedScoreCard)の流行を契機に、CSF(CriticalSuccessFactor)、KPI(keyPerformanceIndicator)なんて言葉が随分流行した。
BSC自体は、狂牛病の騒ぎの沈静化とともにあまり聞かなくなってしまったが???(笑)
KPIという言葉だけは一般化し、ビジネスマンであれば知らぬ人もいない程、色々なところで使われる様になった。

さて、売上、利益という結果数値だけからの管理を脱するという意味では、BSCブーム後は「見える化」とか「経営ダッシュボード」「プロセス管理」とか色々表現こそ違いはあれ、結果数字だけを見るのでは無く、多角的に経営を左右する因子を的確に捉えオペレーションしていく。という事は一般的になってきたと思う。

その中で、「BSC」や「見える化」といった表現方法こそ差異があれ、KPIだけは言葉として生き残ったというのは何となく納得できるし、こういう考え方自体は酷く真っ当なもであろう。

さて貴方の会社で、以下の項目の内容は正確に把握できているか?

・営業マンの一ヶ月の平均訪問回数
・クレーム発生件数
・一顧客あたりの平均単価
・間接業務の労務時間
・Webや電話からの問い合わせ件数
・従業員の平均労働時間
・品切れ発生率
etc

かなり適当に、それっぽい項目を並べてみたが、こういった項目の内容の結果が、BS/PLに結果数字として載るのであって、結果に至るプロセスをしっかりと管理する事こそが重要だ。

で、これに目を付けたのがIT屋さん(笑)。とにかく「KPI」大好き!(笑)「見える化」ソリューション!(笑)


あるSFAベンダー(今や飛ぶ鳥を落とす勢い)のコンサル責任者の方と話しをした時に「KPIでしっかり管理すれば必ず業績が上がる」と強弁されて、目が点になってしまった。
こういう方って、なんと言うか、頭は良さそうなんだけど「リアリティー」が無いのよね。
自分自身が血反吐いて業績を向上させて来たとか、何かを成したとか、そいう経験、体験というか・・・(別に血反吐を吐く必要は無いんだけど)だから平気でこんな事言っちゃう。

いや、成長市場にいたり、同社の様にバズワードに乗ってガンガン売れている時は良いのよ。KPIでも。
っていうか、KPI管理のお陰で上手く行っていると信じる事ができる。という方が正解かな?

いいかな。上に出した様な指標はあくまでも指標でしかないんだよ。
訪問件数をカウントされた所で、実際には「で、どこに訪問する先なんてあるのよ?」ってなるよね。それでも無理に、訪問件数未達の者は減給だ!ってやったら、顧客の迷惑顧みず、訪問しまくって顰蹙買うのが落ちか、ウソ訪問し始める。確かに営業の場合、「兎に角、人に合う、会えばなにかある。合わない限りは何も生まれない」これは確かにその通りだし基本なんだけど、一生懸命顧客の事を考えて有効な提案を持って行き、有難がられる1回の訪問と、ノルマの為に、半ば無理やり押しかけての10回訪問。どちらが業績にインパクトを与えるのか?って議論もあるよね。こういうのは常識的に状況状況で都度判断すべきものなの。

野球でいうなら、BS/PLはチームの勝敗の数と言って良い。最終的にそれでチームの優勝が決まる。
これに対して、こういう指標はチーム打率や防御率、奪三振、ホームラン数、出塁率、etcなのだ。

これをリアリティーの無いIT屋さんの発言で例えると、「チーム打率3割、防御率2点、チーム本塁打200本・・・KPIを定めて、しっかり管理すれば間違い無く優勝できる!」って言っている様なもので、小生が固まってしまう理由も解って頂けるだろう。
チーム本塁打数が最重要目標だ。本塁打を打てばボーナス弾むぞ!ってなったら、バントなんて誰もしなくなるよね。確かに本塁打は多いに越した事は無いけど、バントや四球選択だって状況によってはとても重要。その逆も然り。

これは殆ど絶望的な勘違いなんだが、結局「KPI」=「目標」としてしまうから駄目なんだ。
KPIはindicator=指標であって決して目標=targetでは無いのだ。にも関わらず、KPIを目標だと思ってしまっている人や企業があまりにも多い。

だからと言って「指標」が必要無いなんて事は無い。チームの施策として、本塁打数の向上を目指す。その為にホームランバッターをトレードで呼んできたり、特別な練習をする。その上で方針がどこまで施策が有効に浸透して実行されているかどうかを計る必要はある。効果が出ていないのであれば、やり方を変える必要がある。それ以外の指標だって出来る限り多くの項目で、詳細な情報を、可能な限り迅速に把握できた方が良い事は言うまでもない。

漫然とマネジメントしていれば、何時までたっても変わらない。注力する分野を絞る事は重要だ。更にただ絞っただけ、例えば重点顧客からの売上を○%UPさせる見たいな営業施策を出しても、実際にそれだけでは実行される可能性は低いのも言うまでも無い。

どうすれば重点顧客からの売上をUPできるのか客観的、合理的に徹底的に考え抜き実行しなくてはならない。その結果上手く進捗できているのか?そうでないのか?あくまで「仮説の検証」為の道具がダッシュボードの様な機能で、それを計る項目がKPIなのだ。
打率や防御率など色々な指標が測れたところで、イコール強いチームができる訳では無いんだヨ。

にも関わらず、「重点顧客からの売上を○%UP」で、ロクに仮説設定もせず「KPI=重点顧客への訪問件数」みたいな事を平気でやってしてしまう。
そして、結果は、
「重点顧客の売上が全然伸びてないし、訪問も出来ていないじゃないか!バカモン!」(経営者)
「そりゃ、出来れば苦労しね~よ」(現場)
で終わり。
現場にしてみれば「だったら見せるか!ボケッ!」となる。普通に。

KPI・・・今日も、ピーピー、言わしたろかっ!

IT屋さんだとしてもコンサルタントを名乗るのであるならば、正しい仮説設定を支援した方よっぽど本質的だとおもうのだけどな~まあ、そんな事してしまうと肝心なシステムがいつ売れるか判らなくなるから無理か・・
KPIで管理されているし(笑)

2009年10月26日月曜日

で、結局戦略って何?

で、結局戦略って何?


経営戦略、事業戦略、営業戦略、IT戦略・・・兎に角、ビジネスマンは「戦略」という言葉が好き。ミーティングでも必ず一回は「○○戦略」とか「戦略的には・・」という言葉が出てくる。

しかし、本当に「戦略」の意味が解って言っているのかかなり疑問を感じる。

以前、マネジメントの定義も人の数だけある。と書いた様に、「戦略」の定義も人の数だけある。と言ってよい。

日本語は、どんな単語も自国語に取り入れられるので便利は便利なんだが、言葉の曖昧さに関しては事業を行っていくにあたって相当不利があると言ってよい。
ビジョン、理念、ミッションステートメント、戦略、戦術、マネジメント、行動規範、ガバナンス、CSR、マーケティング、・・・さて諸兄はこれらの言葉の定義をちゃんと説明できる自信はあるだろうか?
小生も、適切に表現するとなると少し厳しい。いや、小生がこうであると言っても、「それは違う」と言われてしまえば、辞書を引きながら企業にあてはめると、この意味が正しいなど不毛な論戦で決着をつけるしかない。
結局、この様に曖昧な言葉が企業の中に蔓延しているという事は、軍隊でいうなら、

総大将が「あの山の麓を目指して、進軍せよ」と言い。
各現場の指揮官が「左四十五度に進軍!」。
中隊長が「南南西に進め」。
小隊長が指をさしながら、「あの方向に進め!」。

こんな状態といって良い。にも拘らず、いわゆる「カタカナ語」「社内用語」も含めるともう「言葉の定義」なんてあったものでは無いというのが、日本企業の現状だろう。
これではまともな指揮命令なんてできる訳も無いのだが・・・いや、むしろその曖昧さこそ、日本的サラリーマンの美徳かもしれない・・・
権限も責任も曖昧にしたまま調和しながら進んでいく。そう言えば「役人言葉」は一つの芸術に近い。


さて、「戦略」の英語はStrategyとなる訳だが、そう表現すると何か血生臭い戦争を思い起こしはしないだろうか?それは正しい。

「戦略」は相手がいて初めて成り立つ言葉なのである。
しかし、多くの人が口にしたり、表現する「戦略」の多くは、相手が不在な事が実に多い。
驚いた事に、一応それなりに有名なコンサルファームが策定した「戦略」にも相手が居なかったりする。
相手不在の戦略と一体は何か?これは「願望」といって間違えない。「戦略」が「単なる願望」になってしまっているケースだ。「○○エリアのシェアを○%UPするとか」、「商品ラインナップを充実させ客単価の向上を目指す」。とか、酷いのになると、ひたすら販売目標数字だけを羅列して、これがわが社の戦略だ!と、わけの解らない事をおっしゃる方すらいる。(一度、脳を精密検査してもらった方が良い)

個人で独立しているコンサルやってる方なんかだと平気で、「何を、誰に、どうやって」売るのか?が戦略だなんて恥ずかしげもなく言ってしまう。

このロジックだと、「100円で仕入れたスプーンを、主婦に、ネットで販売する」が「戦略」って事になってしまう(笑)。もう評論するレベルですら無い。

お客様を「敵」と表現するのは不遜な気がするが、企業戦略において相手=敵とは市場であり顧客である。
「味方精鋭艦隊を持って、敵主力艦隊を撃滅す」と言って、それが「戦略」だと言われたら現場はタマッタものでは無い。
販売の数値目標みたいなのを「戦略」と言ってしまっている人は「戦艦2隻、空母3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦10隻沈めるのが我が軍の戦略」と言っている様なもので。笑い話しにもならない。
戦争における「相手」が、出来るだけ少ない損害で最大の打撃を与えようと向かってくるのに、こんな「願望」を幾ら唱えた所で勝てるわけない。

企業においての「相手」も(toCだろうが、toBだろうが)、出来る限り支払いは少なく可能な限り良い商品を手に入れようと向かってくるのだ。100円で仕入れたスプーンなら、貴方が幾ら赤字になろうが、50円、10円で手に入れようとするのが相手なのだ。いや単純に「5円でも要りません」と言われておしまいの可能性もある。
孫子が「敵を知り、己をしれば百戦危うからず」といった様に、戦略は「まず相手がどう動くか」が基本なのだ。
「何を、誰に、どうやって」売るのか?では無く、
「誰が、何を、どうやって」買うのか?こそそが戦略の一番基礎に来なければおかしいのだ。それがあってどう動くかが戦略なのだ。

しかも、ややこしい事に「企業」の場合「相手」は市場や顧客だけでなく「競合」という、大きな軸も加わる。
即ち、顧客-競合-自社という3Cのフレームこそが、戦略の立案のベースとなる。
上につく言葉は兎も角、どんな次元の戦略であってもビジネスマンが戦略を口にするなら、全てこのフレームに当てはめて語られていなければおかしい。「経営戦略」「事業戦略」(マーケティング戦略というのは本来このレベルだが、「広告戦略」の意味で使われるケースが多い。)「営業,販売戦略」どんな次元でもだ。
ちなみに「IT戦略」というのは何を意味しているのか、さっぱり良く解りません(笑)、システム屋さんに意味を聞いて見て下さい。

「戦略が現場に落ちないって嘆いている経営者の方、「願望」を「戦略」といって現場に押し付けるのは止めませんか?」
「それ、単なる「ノルマ」ですから♪~~~~~残念~~~~~切腹!」

「そういうお前は?って聞いちゃ嫌。切り!!」

2009年10月5日月曜日

で、結局課題って何?

たまには個人的な事でも書こうかな・・・

先週末あるクライアントの所で、現場のメンバーを集めてCPS(カスタマープランニングセッション)というワークショップを開催した。もともとはIBMが行っていた課題抽出の為のセッションで、それをサービスサイエンスで有名な諏訪良武さんがアレンジして体系的にまとめた手法である。

ブレーンストーミングの一種といって良いが、KJ法などとは異なり、連想ゲーム方式で課題を抽出していく為、抽出される課題数が非常に多く、網羅的に課題を浮かびあがらせる事が可能となる。
細かくは説明しないが、トヨタの「ナゼ5回」をワークショップ形式で、体系的、網羅的に行うセッションと言えばニュアンスは伝わるか?

今回は営業の現場(課長-担当クラス)メンバー15名を集めて2日間で約230個の課題を抽出した。
コンサルに入る際にはFaceToFaceのインタビューの形式も確かに重要だが、ここまで体系的、網羅的に課題を集める事は時間の制約もあり難しく、この様なセッションを行う事で現場の課題意識ほぼ全て洗い出して認識する事ができ非常に有効である。
しかし、全く欠点が無い訳では無い。あえて「課題意識」と表現した様に、逆に現場がある事象に対して、その事象を「課題」だと感じている事自体が「課題」であるケースがある。
また、今回は営業部門を対象としたセッションであったが、当然、自部門には甘く、他部門には厳しい内容になりがちでもある。
営業部門であれば、大抵、製造や開発、間接部門のやり方を「課題」と表現するし、逆に「開発」や「製造」部門でセッションをやれば「営業」が「課題」を引き起こしていると表現するだろう。

これは、殆どの企業で起こる「問題」である。
しかし引き出された「課題」を、そのまま鵜呑みにして表面的な解決を計ろうとしても、殆ど成果は生まない。
あくまで「現場の課題」を引き起こしているシステムの課題にメスを入れなくてはならない。
即ち「組織」の問題だ。

現場の課題だから、役員レベルなら解決できる問題という訳でも無い。どこかの国の官僚機構の様に、各機能組織の長は、自分の組織の最大の利益代弁者であるからだ。
CPSの様なセッションを各部門で実施すると、今以上に部門間の対立を引き起こしてしまう危険性がある。(もちろん各部門間で、課題意識が共有され解決に向かう面もある。)

我々にしてみれば、CPSを実施した後こそが本当に大変なのである。
本気で改革を進めようとすれば、部門の役員レベルとは利益が相反してしまう可能性が高い。
この点において、コンサルタントは残念ながら「政治性」を発揮する必要とされる。
真正面から、「本質的な課題」に向き合おうとすれば、いきなり梯子を外される自体になりかねない。
殆どの場合は「社長」と密に連携して進めていく必要性があるのだが、もちろん外部の人間と、今までずっと一緒に事業を推進してきた役員とで、どちらが信頼されるかは考えるまでもない。

改革のキーマンは間違い無く社長だが、現場や役員クラスにも、理解者、支援者をしっかり付けておく必要がある。
この事において重要なポイントは、政治性は必要だが人事には染まらない事だ。
社長の信任を得ると、どうしても具体的な人事に触れたくなるし、相談も受ける。

確かにあの役員では・・・とか、あの部長では・・・という個人の資質に寄って引き起こされている課題も多く、異動、更迭によって解決する可能性も高いのだが、その点には決して手を出さない。
人事は権力そのもので、権力は密の味だ一度覚えてしまうと必ず溺れる。部外者であるコンサルタントがこの密の味を覚えてしまうと、現場はとんでも無い事になってしまう。

あくまで問題を引き起こしている本質的な原因に向きっあっていく。それは人の問題では無く、人が問題を引き起こす様に仕組まれているシステムの問題。

つくづく因果なショーバイだと思う。てめぇのおまんま食うだけでも必死なのに、他人の為に眠れない日々を過ごす。投げ出したくる気持ち、手を抜きたくなる気持ち、目先の売上に走りたくなる気持ちと、どこまで戦えるのか?がいつも問われる。

ところで、課題を抽出するセッションなのに、何故カスタマープランニングセッションなのか?
簡単な話だ。「問題は目標と現状とのギャップ」という様に、全ての課題は、顧客により良いサービスを提供し、利益を生む為に解決されるべきなのだ。そして顧客と向き合っているのは現場だ。現場こそ真実の瞬間だ。
現場に迎合するのでは無い。顧客により良いサービスを提供する為に現場をもっと(気持ちよく、前向きに)働かせる。

企業のシステムというのは、唯一その為に最適化されたものであるべきなのだ。

しかし、企業のシステムは時間が経つと、いつのまにか無駄を生み、壁を作り、社内で敵対し、政治がはびこる・・・誰もおかしいと解っていながら何もできなくなる。飲み屋で愚痴を言って発散する。表面的な課題は一杯あるので会議が増える。結論のでない小田原評定を繰り返す。しかし解決しない。顧客の目を見ないクズ組織が生まれる。
これが「茹でガエル」である。



「茹でガエル」は自分では気づかない・・・・・



だからこそ我々が存在するのさ!
絶対に良くして見せるさ!頑張ろう!

2009年9月15日火曜日

で、結局マネジメントって何?

マネジメントとは、

考えれば考えるだけ良く解らない。恐らく人の数だけ定義があると言ってよい。
不況下の今、マネジメントの大家、P.ドラッカーの本が、再び書店で平積みされているのを見ると、正解を求めている人がそれだけ多いという事なのだろう。今回は非常に重たいこのテーマに触れたい。

小生が幾ら、このブログで「マネジメント」の言葉の定義をした所で、それは星の数ほどある定義の中の一つであって、それが正しいかどうかなんて事は殆ど意味をなさない。その前提で勝手な持論を展開する。
またマネジメントだけではあまりに広いので、企業におけるマネージャーの役割としてのマネジメントを考えてみたい。

小生それなりに色々な企業を見て来たが、この会社の「マネジメント」は素晴らしいと感じた会社は、殆どといって良いほど無い。大企業、外資、日本企業、中小企業、業種、業界、規模問わずだ。

その中でも、「日本型」という点に着目するならば、常に違和感を感じてきた。
「マネジメントと管理は違う。」
飽きる程、聞いてきた言葉だが、上手い表現かと問われれば決してそうとは思わない。

解り易く、伝わり易く小生が考えるマネジメントが如何にあるべきかを伝えるとすれば、マネージャーの仕事は「芸能事務所、芸能人のマネージャ職を思い浮かべれば良い」と表現する。
芸能事務所のマネージャー的なマネジメントこそ、一般企業のマネージャー職にも求められる姿勢だと考える。
芸能事務所のマネージャーといえば、華やかな芸能人の、裏方、雑用担当、と、そんな姿を想像しがちだが、この仕事の目的は、えげつの無い言い方をすれば、担当する芸能人を最大限活用して、最大の利益を得る為の仕事である。

芸能人というのは、容姿や歌唱力、演技力、会話上手など一芸に秀でた人間が選ばれるものだが、芸能人になるまでは、その辺にいるタダの人である。本人がサラリーマンやOLの道を選ぶならば、ちょっと素敵な人、歌のの上手い人となるだけの存在である。年収は他の人と変わらない。
しかし、芸能人が注目を浴びてスターとなれば、莫大な経済効果を生む。この違いは圧倒的である。
もちろんタダの人がほっておいてもスターとなれる訳では無い。本人の一芸が素晴らしく秀でている。とか、血の滲むような努力。とか、そういった要素もあるが、芸能事務所のマネージャーの業務は、それらも含めてスターに育成すべく、特徴を活かしたキャラクター作り、営業活動、仕事の選択、スケジュール管理を行い、時にはメンタルヘルスや、モチベーションにまで業務の範囲が及ぶ。
しかし、それはあくまで献身的なボランティア精神に寄るのでは無い、あくまで与えられた資源(芸能人)を活かし利益を最大化させる事がその本質としてある。そして何より、一番重要な事は、マネージャー≠芸能人という点だ。

そんな事は当り前じゃないか?と思う方も多いだろう。

では、貴方の会社は如何であろうか?

残念ながら、マネジャーとプレーヤーの線引きが明確な企業は殆どない。
むしろ、小生の見る限り、9割方は、

●マネージャー=芸能人
●部下=付き人、弟子 

という関係で成り立っている会社が多い。

「仕事は盗め」「背中で語る」などの言葉がある様に、マネージャーは仕事を教える人。部下は仕事を教わる人。といった関係が実に多い。マネージャー「仕事をする人」、部下「上司の仕事をフォローする人」と言っても良い。
そこには日本の伝統的な芸能、学問、工芸に見られる師弟制度の延長を感じる。
師匠が弟子の「管理」をしているか?といば、徹底的な従属関係があるだけで「教わる事は」あくまで弟子側の自発的な姿勢こそが求められ、師匠自体が積極的に弟子を育てるという事はしない。弟子自体が一人前になりたいという強い欲求がなければ「去る者は追わず」の世界である。

この事を考えると「マネジメントと管理は違う」という表現は、外れてもいないが、上手い表現だとも言い難い。

日本の伝統的な師弟関係の美徳、悪徳をここで評することは意味を持たないので行わない。
しかし、営利目的で、且つ弟子入りが目的で社員が入社してくる訳では無い企業においては、「マネージャー=スター、師匠、マイスター」で、「部下=付き人、弟子、雑用員」という関係は、経済合理性に欠いていると言わざるおえない。
一人のスターに、例えば5人の付き人を付けた所で、スターの今の生産性が「1」であるならば、いいところ「1.3」に伸びる程度であろう。むしろ付き人の面倒を見る為に「0.9」に落ちてしまう可能性すらある。
しかし、マネジメントにおいて、5人の部下をそれぞれ最大限に活かしたならば、スター1人「1」準スター1人「0.8」、卵3人「0.2」としても、
「2.4」の生産性が得られる。更に準スターや卵達をスターに育てられれば、最大「5」の生産性を得る事ができる。そう考えればマネージャーこそ雑要員とも言える。
手段に関しては、業種、業態、戦略などにより大きく異なる。ビジネスモデルに応じて、徹底したマニュアル化、オートメーション化により最大化を求める事もあれば、不確実性の高い分野であれば、知識の伝播や、瞬時の合理的判断によって、最大の成果を求める。

どの様な手段が適しているかは離れて、経済合理性で見るならばマネージャーとプレイヤーは完全に分離されるべきである。
これはマネージャーに与えられた、プレイヤー群の中に、スターとスターの卵、師匠と弟子が居る事を否定するものでは無い。

与えられた資源で最大現の成果を求める事にこそマネジメントの本質がある。
と、小生は考えている。

しかし残念な事に、「マネージャーは外や現場に積極的に出て行くべきだ」いや「マネージャーは、現場とは一線を画しプレーヤー的な業務はすべきでは無い」といった低次元で、幼稚な、実にくだらない議論が多く行われている。
あくまで最大の成果を得る為にはどの様にあるべきかが主眼であり、外に出た方が良ければそうすべきだし、出ない方が成果があがると考えるのであれば後者でも良い。正直どうでも良い事だが、あえて日本的なあるべき論でいうならば、殆どのケースで前者を選択した方が良いと考える。
しかし、それにおいても「マネージャー=スタープレーヤー」であってはいけない。(百歩譲って、元スタープレーヤーというならばまだ良いが、現役では絶対に駄目だ)

この点は日本型経営の大いなる欠陥であると小生は断言する。スタープレーヤーをマネージャーに任命して師弟制度にて、次のスター候補を見つけ、一子相伝で育てあげて行く。確かに技術的な面においては、この様な上司と部下の関係が、根底において日本企業を強くした面は否定しない。しかし先に述べた様に、これは断じてマネジメントでは無い。企業においては非合理である。
マネジメントにおいてプレーヤーの高度な技術やノウハウが一子相伝で伝える事を否定するのでは無く、それを包括して、組織の価値、成果を最大化していくのがマネジメントである。
即ち小生は、日本型マネジメントが間違えているのでは無く、多くの日本企業において、そもそもマネジメント自体が欠落している事を指摘している。
日本企業の多くは、愛社精神を育み、社内の信頼関係を重視し、技術やノウハウの伝承を行ってきたからこそ、強かったのでは無いか?経済合理性ばかりを追求する欧米型はやっぱり駄目だったではないか?そんな考え方を取り入れたから日本の企業も一緒に駄目になってしまったのではないか?

そうでは無い。それを含めて合理的に経営モデル自体をイノベーションさせる必要がある。

確かに欧米型の多くは、マネージャーとプレーヤーの線引きが明確である。上司も部下も経済的な成果のみを求めるあまり、給与に照らして、生産性が低いプレーヤーはとっととクビを切り、成果が上げる体制を組まなければ、マネージャー自体もクビが切られる(トップマネジメントであっても)。プレーヤー自身も、より楽で儲かる仕事が見つかれば我慢などせず、さっさと転職してしまう。
この様な経営モデルが弱さを持っている事も自明だ。
だからこそ、それを踏まえて合理的に、長期視点に立ち、技術、ノウハウの伝承、仲間との信頼関係、組織への愛着、創業者へのリスペクト、など短期の利益以外の多様な価値感を持つ日本型を活かす真のマネジメントが必要なのだ。ここに至ってマネジメントの放棄だけはあってはならない。(ここではあくまでも冷徹に、最大の成果を得る為の極めて合理的判断として)

部下、いやプレーヤーを活かし最大限能力を発揮させる事によって最大の成果を得る。この為に必要な事は、

第一条件として、一般的に見られる「マネージャー=上司」、「プレーヤー=部下」という従属関係、師弟関係を破棄する事。
第二条件として、プレーヤーこそ利益を生む中心であり、スターである。マネージャー自身は、原則なにも生み出さないコストである事を認識する事。(トップマネジメントであっても)
第三条件として、よってマネージャーは、組織の成果を最大化する事に対して責任と権限を持つ事。(日本的には長期視点に立った)

第一条件に違和感を覚える人も多いだろう。しかし第三条件によって権限を持つ。それは人を従属させ操る権限では無く、成果を最大化させる為の権限である。即ちむしろ「プレーヤー」を補完する立場と言った方が近い。
第二条件においては、マネージャーが直接「利益」を生んでは行けない。とも言える。あくまでもプレーヤー達に「利益」を生ませる事に、その存在価値がある。と言っても過言ではない。

如何であろうか?この小生の勝手な三つの条件に照らして、芸能事務所のマネージャー職こそが一般企業にも求められるマネジメント像に近く、日本企業の9割はマネジメント不在と表現した。

「成果」を「短期の利益」とするかどうか、そもそも「成果」=「利益」で良いのかの議論は、ドラッカー先生の本を読んで考えて見る事をお勧めする。
そして、これを読んだ貴方が規模や部下の人数を問わず、経営者なり営業課長なり、マネージャーという立場であるにも関わらず、会社の中で燦然と輝くスタープレーヤーであるとするならば、少し自身に振る舞いを考え直した方が良いと思う。
日本のベンチャーがあまり上手く行かないのは、やはり芸能界で例えるなら、スターを次々と生み出す画期的かつ効率的なモデルの芸能事務所を作ろうというものでは無く、自らがスターを目指してしまう所に限界がある。
「いや、うちは大手や他社と違って画期的なビジネスモデルを持っています」と言うが、実態は、「今の大スターや他の芸能人が持っていない「一芸」を持っている。だからきっと私は大スターになる。」という事が多い。それはそれで立派な事ではあるが、やはりマネジメントが不在なのだ。

あまり上手い例えではなかったか・・・・どちらかというとビジネスモデルの説明になってしまった。

マネジメントそのものをイノベーションせよ。
それが、明日への道となる筈だ。

2009年9月10日木曜日

市場の破壊者は下からやって来る!

三菱がi-MiEVを発売、日産がLEAFを発表と、EV(電気自動車)が、次世代自動車として注目を集めている。
恐らく、EVの分野でリードしているのは日本だろう。
(中国やアメリカからブラフっぽい情報が飛んでくるが)

では、日本が今後も自動車産業で主役で有り続けられるか?
小生はかなり疑問視している。

ではEVに力を入れ復権を狙っているアメリカ、以前大きな力を持っているドイツ、檄安ナノを作ったインド、どこが、これからのこの産業をリードしていくのか?

小生は中国では無いかと思っている。中国の車といえば、パクリカーばかり作って品質の悪いイメージしか無い。少なくとも、内燃機関の自動車にしろ、EVにしろ、まだまだ日本車に追い付くのは時間が掛ると考える人が多い。確かにそうなのだ。それは間違いない。中国の自動車産業が技術を幾ら輸入した所で、自動車で日本企業が築いてきた競争優位性に追いつく事は難しい。日本企業は更に高い次元に行ってしまうのだから。

しかし、違う。そういう既定の枠に捉われて物事を考えると、大きく事を見誤る可能性がある。既定の自動車市場の枠で考えていると足元をすくわれる。

車はどんどん大きく、豪華になっていく。マーケットの声に応じて、より大きく、より燃費が良く、より快適で、より安全で、・・技術を磨き、今よりも付加価値を上げる・・・自動車に関わるプレーヤ全てが、その点を磨き競争をしている。
日本の、EVもその延長線にある。あくまで持続的イノベーションの範囲なのだ。即ちレコードプレーヤが、CDプレーヤに取って代わったのと一緒で、確かに重要な事ではあるが、この技術はウークマンでも、i-Podでも無い。
28万円カー、タタのナノが破壊的か?これは既定の技術をチープに焼きなおしたもので、ヒットするかもしれないが、破壊的とまでは言えない。いわば数千円で売られていた簡易レコードプレーヤに近い。

では、何故、中国なのか?
今、中国では電動スクータが大人気らしい。小生はこの事を知って稲妻が走った。「これこそが破壊的では無いか!」予言的で、本当にそうかどうかは解らない。

電動スクーターは大きくは二種類あって、電気で動く自転車タイプと、電気で動くスクータータイプ。価格もエンジンで動くスクーターと殆ど変わらない。ガソリンスクーターのガソリン代が電気代で済むメリットは微々たるものだ。粗悪な中国製が世界でヒットするのか?

しかし、スクーターなので、バッテリーが小さく、取り外せて家で充電する事が出来る。社会インフラの充実を待つ必要は無い。オイル交換などの手間も掛らない。あの小うるさいエンジン音もない。
いざ、同じ価格で、ガソリンスクータと電動スクーターを並べられた時に貴方はどちらを選択するのか?
幾ら日本企業が高性能なガソリンスクーターを作った所で勝負は見えているのではないか?
日本企業ではヤマハが2002年に電動スクーターを発売しているが、あくまで試験的であり、しかもバッテリートラブルで販売中止となっており、本気で電動スクーターを販売している企業は無い。

中国の電動スクーター市場は今年は3000万台近い数字が予想されている。既に3000万台のEV(電動スクーターだってElectric Vehicleだ)が、便利に生活や企業の道具として動いている事実に驚かざる負えない。
正直、電動スクータなんて大した技術では無い。おそらく部品さえそろえば小生でも組み立てられてしまう。
しかし逆に言えば、単純で部品点数も少ない電動スクーターはバッテリーの価格さえ下がれば、エンジンスクーターの半値で販売する事だって可能になってくるだろう。これだけ普及してくれば、どんどん量産効果が得られ、間違い無くコストは下がっていく。そうなれば他の新興国でも大いに普及する。
幾ら日本が高機能な電気自動車を追求した所で、新興国での普及には相当な時間が掛る。

例えば三万円の電動スクーターが出ればどうなるのか?これが何を意味するのか。自転車とも競合してくる価格だ。
日本でも、自転車通勤が流行っている。自動車通勤や満員電車を回避する事が目的だ。但し10キロ以上になってしまうと運動などの目的が無いと正直辛いのが現実だろう。
ママさん達が子供を前後に乗せる事で問題視された3人乗り自転車の事も、少なくともママさん達の労力という点では、解決してくれる可能性が高い。

実際、自転車型の電動スクーターが部分的に大阪で流行って、警察は慌てて取り締まりを強化に乗り出した。
(フル電動だと原付扱い)

しかし普及が進めば、必然的に新しい時代にあった新しい法規制が出来て、店舗に駐車?駐輪?スペースが出来て、充電スタンドが置かれ、インフラが整う。(何故なら人はより便利さを求めるから)
(今の日本の様に無理繰り税金でインフラを整えて普及させようというアプローチには違和感を感じる)

普及が進めば、雨風をしのぐ工夫や、多人数乗車などの発展も進むだろう。そうなれば、今度は自動車がコンペチターになる。平日は使えず、土日のチョットしたドライブや買い物に、本当に3ナンバーの大排気量車が必要だろうか?200万のハイブリッドカーならいいのか?

そう、破壊的イノベーションは常に下位レイヤーから現れるのだ。ホンダの海外進出の足がかりを作ったのは、高性能バイクでは無く、安くて便利な「カブ」だった。「カブ」から高性能バイクや自動車に発展して、既存のメーカを追い出したのだ。

「電動スクーターこそ破壊的」さて、小生の予見は当たるのか?

ただし、勝利するのは電動スクーターメーカでは無い。電動スクーターメーカは単なる組み立て屋で、本当の勝利者は電池メーカだ。
中国には既に電気自動車を走らせ、リチウムイオン電池で世界3位のシェアを握る(と言われる)有名なBYDがある。リチウムイオン電池も、まだまだ日本企業の技術の方が勝っているって?

「でも、そんなの関係ね~♪」

BYDの電池を以て、数億台の電動スクータが動き出したらどうなる?ウォーレン・バフェットが同社に投資した意味。
よくよく考えて、本気で頭使わないとやられるよ。日本の自動車メーカは。

2009年9月7日月曜日

売上のジレンマ

最近、色々な経営者の方に「売上を一次的に落としてでも○○すべき」です。
と言っている気がする。

もし仮に小生がコンサルタントだとすれば、とんでも無い事だ。
「売上を3倍にする」とか「必ずコスト削減できる」とかそういった売り文句のコンサルタントは掃いて捨てる程存在するが、「売上を落とすコンサルタント」ではシャレにならない。

例えば、前職でも「で、それやると幾ら売上伸びるの?そういう事例はあるの?」
という言葉はクライアントから頻繁に聞かれた。
心の中では「上がるか!ボケェ!」と言いたい処をぐっと抑えて、「それは貴方方次第ですよ」っと、優しく説明した。もちろん売り込まれている方は「また怪しげな奴が売り込みにきやがった。うち社長はこういう連中に騙され易いからさっさと追い出してやろう」位に思っている訳だから、話がかみ合う筈も無く追い出される。

しかし、仮にも社長に「売上を落とせ」と、のたまうからにはそれなりに覚悟がいる。
企業にとって「売上」は全ての源だ。幾ら「利益重視」といった所で、「売上」がなければ「利益」もへったくれもない。

ところで「パレートの法則」というのをご存じの方も多いだろう。売上の80%は20%の製品で稼いでいるとか、2割の営業マンが8割の売上を稼いでいる。とかいわゆる2:8(ニッパチ)の法則とか言われているアレだ。
例えば5つの商品を展開する会社で、商品Aが全社の売上の8割を稼いでいるとしよう。残りのB、C、D、Eという商品は、一応、カタログには載っているが、殆ど売上を挙げていない商品群だという事になる。しかし、それらの商品であっても、製造したり、販促物を作ったりの手間暇は、主力商品Aと大差ない。
だからと言って単純に、B,C,D,Eからは撤退して、商品Aに注力すれば良いという問題では無い。

商品Aが、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)が提唱して、一時期ブームになったPPM(プロダクト・ポートフォーリォ・マネジメント)でいう所の、「花形商品」(市場成長率が高く、相対シェアも高い)であれば良いが、「金のなる木」(市場成長率が低く、相対シェアが高い)であれば、収穫期であり、しばらくすれば、「負け犬」に落ちてしまう。市場成長率が高く、自社のシェアが低い分野を見つけ投資していく必要がある。(PPMでは「問題児」)

そう、主力商品Aが、これからも明らかに伸びて行く市場であれば良いが、ジリ貧になる事が解っている市場だった場合、明らかに別の「打ち手」が必要になってくる。それを既存商品群から探すか、全く新規に開発するか、のどちらかである。もちろん米国流であれば収穫期を終え、負け犬に落ちた(落ちそうな)事業なり、商品なりは、とっと売却して、新しい成長分野はよそから買ってくる。で良いが、日本企業でそんな事は難しい。
(日本で経営と執行の分離と言う言葉が流行り執行役員制度がかなり普及したが、向こうでいう経営は、こんな事ばかり考えている人達の事で、物作りへの愛着や、現場への拘り、なんて皆無な人達といったら極端だろうか?社員や事業に愛着のある日本の経営者はそこまでドライには考えられないという点で)

さて、主力商品Aが収穫期から「負け犬」への移行期にあるとしよう。何しろ全社の8割の売上を誇る商品だから、ほっておけば会社ごとジリ貧となり、やがては倒産となる。
この事は解っている。何か手を打たなければまずい・・・・しかし現実は何一つ変わらない・・・変えられない。

小生はこれを勝手に「売上のジレンマ」と呼んでいる。
何故か?「今まで自社の成長を支えてくれた愛着がある商品だから」というのもあるかもしれないが、殆どは「売上」が原因だ。
例えば、この会社の商品全て、高額かつ、商談期間が1~2年掛るとしよう。会社の年商は50億。
去年の商品Aの売上は40億という事になる。市場の衰退によって、今年は前年比9割の36億に落ちるかもしれない。しかし、逆ににいうと、人や金という資本の投下を去年と同じ配分で行っておけば、36億はキープできて、全社では46億の売上が保てるのだ。
逆に、商品Cを次の成長ドライバと捉え、人や金を大量投入すればどうなるか?商談期間が1~2年だから、今年の商品Cの売上は、前年比同様の2億(10億/5)に留まり、リソースを割かれた商品Aは、一気に売上が落ちてしまう可能性が高い。仮に20億位まで落ちれば、全社の売上は30億にまで下がる。しかも本当に商品Cが次期主力商品に育ってくれる保証はない。

さて、こんな極端な例を出すと、「そんなに単純じゃね~」って言われそうだが、「売上のジレンマ」は、もっと現場レベルでも起きている。

例えば営業マンであればどうか?

主力商品が、なんとなく市場成長が止まってきている事は肌感覚でつかんでいても、ノウハウもあり、顧客もついている。会社が戦略商品、重点商品への注力を指示してきても、ノウハウも無く、顧客も新規に開拓しなければならないとすれば、うかうか手を出せない。今までどおり、主力商品をやっていれば、昨年の9割は保てる。いや、営業マンは全体を俯瞰しないので、自分は昨年同様、もしくは、昨年以上の結果が残せると考えてしまう。たまたまその営業マンは昨年以上の成績を収めるかもしれないが、結局全社では売上減となる。

「物売り型営業からソリューション営業」に。という言葉は近年流行った言葉である。
簡単に言えば、自分のノルマを達成する為に顧客の都合は無視して兎に角売り込む。こういうスタイルから顧客が抱えている課題を共有して、その課題を解決する様な提案をしていこう。というものだ。ごもっともな話しだが、「顧客の課題」が自社の製品で解決できない場合はどうするのか?
「弊社の商品では、今回の課題は解決が難しいです」と素直に言えば、確かに長期的には信頼を得られ、後々の売上に繋がっていく可能性はある。
しかし解決ができなくても「大丈夫です。コレ買って貰えば必ず解決します!」と、なんの根拠も無く売り込めば、一時的な売上は上がるが、顧客の信頼を無くし長期的には駄目になる。
ノルマに追われているのに「一時的に売上が落ちても、長期的に見れば・・・」と考える殊勝な営業マンがどれほど居るだろうか?
経営者だって「ソリューション営業の実践」とか、上辺では格好の良い事を言っておきながら、イザ、期末で売上が足りないと、「何でもいいから売ってこい!!」と、檄を飛ばす人が実に多い。

他にも、顧客ターゲットなんかもそうだ、「ポテンシャルがあるが自社のシェアが低い顧客」をターゲット顧客として注力していく。期初には、それこそコンサルとかに騙されてこんな方針を出す。しかし、現実問題、ポテンシャルがあるが、自社のシェアが取れていない顧客というのは競合とベタベタな企業という事になる。こんな顧客に種まきからコツコツやっていたら、売上が上がるのは何時の日になるか解ったものでは無い。
それより、今付き合っている顧客から、安定して売上を上げた方がよっぽど現実的だと考えるだろう。
「ターゲットに注力していたら、今年は売上ゼロでした」って許して貰える会社なら良いけど・・・
(でも上記三点位なら、経験上、実際にはそれほど売上落ちない)
こういう事が重なって、結局は「売上」がハーメルンの笛吹き男となって、悪い方へと行進していってしまう。

結局、経営者であれど、いや経営者であるからこそ、頭では解っていても「売上が落ちる」という現実に、建設的に向き合うのは難しい。迷う。ためらう。しかし、病気を治すには、時は、外科手術や劇薬を飲む(痛みを伴う)必要がある時もあるのだ。

「契約頂ければ、必ず売上を伸ばします」と気持ちの良い事ばかりを言うコンサルタントを信用しますか?
(結構、一時的な売上を伸ばすのは簡単。例えば訪問件数ノルマとか、テレアポノルマとか徹底して物量を増やす。質はトークスクリプトをロープレで徹底的に仕込む。今までダラダラやっていた組織はコレだけで、一時的には売上は上あがる。しかし結局こんなことで伸びるのは、今まで手抜きをして落ちていた、ストレッチ部だけで、結局はマーケットに淘汰される)

本気でクライアントの事を考えていれば、時として建設的に売上を落とす為の背中を押して上げる事も重要だと思うのだ。だってほっとけばどのみち倒産なのだ。
もちろん死ぬ直前のクライアントに、外科手術を強行すれば体力が持たず、そのままご臨終になってしまうので別の方法が必要だ。
そうなる前に、売上を落とすコンサルティング。如何でやんすか?
(やっぱり駄目だよな~)

2009年8月10日月曜日

栗鼠と虎どちらが怖い?

リストラ

以前にも触れた話題で恐縮だが、またこの事に触れたいと思う。
今、私の知っている経営者の方々の最大の関心事はやはりこの事が中心の様だ。
大企業を中心に回復傾向と伝えられるが、だからと言って設備投資が回復しているかというと、どうも実態としてはそうではない、あくまでも、縮小均衡といったイメージを拭えない。
今本当に苦しいのは中堅、中小だろう。
売上半減という話しをざらに聞く、一時期のインパクトとして単月や3ヶ月位が半減ならまだ許容の範囲だろうが、半減がずっと続き、回復の目処が立たないのだから、当然キツイ。

その様な中で小生が話しを聞いた経営者は、「レイオフ」では無く「リストラ」として人員削減を検討している。そして、その対象は50歳を超えた様な、ベテラン社員に向けられている。

何故か?コスト(給料)が高いから?
では無くって、はっきり一言で言ってしまうなら「無能」だからだ。
普通にコストが高くても、それに対してあまりあるリターンが得られるならば、当然ながら人員削減の対象にはならない。

経営者に直接話しを聞くと、
「単に無能なだけならばまだ良いが、周りにまで悪影響を及ぼしている」
「幾ら指導しても言い訳ばかりで変わろうとしない」

高度成長期~バブル期に、長く、サラリーマンを務めていた為、その価値観を変えられない。
こういう人物は事実一杯居る。小生自身も過去この手の人物に随分と苦しめられた経験がある。
小生自身は、この人物を活かす方法を、悩んで悩んで、悩みまくっているのに本人はどこ吹く風で、今のままでも「上手くごましきれる」と考えているのだから本当にタチが悪い。どこで訓練されたのか、ウソといい訳だけは超一流。
それでも渡っていけたのがバブルであり、それはそれで一流の処世術で、ある意味高度なスキルとも言える。

もちろんそれなりに、業績が良ければ何とか活かそうと考えられるのだが、今の状況ではそうも行かない。
それに、中堅、中小企業にとっては今は若くて優秀な社員を採用できる、千載一遇のチャンスなのだ。

経済の合理性で言うならば、この様な社員が居続ける事は甚だ非合理だ。
しかし経営者だからと言って、外資の様にドライに、キャビネットに鍵を掛け、入館証を没収して、明日から来るな。と、出来る訳でもない。人情もあるし、法的な事もある。

被削減対象者側はどうであろう。
長年奉仕して来て、50歳を超えてから、突然首を切られて放りだされるのだから、納得がいく訳が無い。
普通に考えて、再就職は難しいだろう・・・家族はどうなるのか・・・

殆ど経営者も、やはりその事を思う人が多い。
考えみれば、小生もサラリーマン時代、役職が付いて、チームなり部署なりを取り仕切る様になってからは殆ど人の事で悩んでいた。部署の業績とかの「結果」なんて、ある意味なる様にしかならないと割り切れる。
「人事を尽くして天命を待つ」で、駄目だったら、駄目で、全然悩まない。降格なり、退職なりなんらかの責任を取れば良いだけの事。
問題はどうやって「人事を尽くすか」って事だが、戦略とか戦術とかプロセスとか言ったところで、所詮それを実行するのは人。ヒト。人間。

小生が、示した方針なんて、その人だけは、どこ吹く風で、わが道を行く。
しかも、当時、明確な人事権を与えられていた訳では無いのだから、悩みは経営者以上だったかもしれない。
責任はあるが、権限が無いのだから・・・

話しはそれるが、この時は、本社の無理解にホトホト苦労した。
その時は、明確な人事権どころか、評価体系ですら、本社に合わせなくてはならなかった。
拠点の立ち上げと、既に立ち上がりきっている(ついでに腐ってきている)本社ではやるべき事は全く違う。
サービス提供や、営業活動、イベントの企画、と言ったコアな業務から備品の発注といった、本当に細々な業務まで、ルールも無い中で、一つ一つ少ないメンバーがマルチに対応して回さなくていけないのに、本社(東京)の売上達成基準やサービスの提供回数で評価されるんだからメンバーが不憫で仕方が無かった。
しかも商材は、東京でも1年~3年位の期間を取らなければ決まらない様な商材だ。
経済規模は30分の1、地元に信頼されて足場を作って、コツコツと実績を重ねて、なんとか結果が出る。
更に、小生が赴任した時は大きなマイナス要因もあり、本当に愕然とした。

しかも、こういう当り前の事を、上や、本社に「この状況をなんとかしてくれ。」と言っても話しが全く通じないのだ。
小生が何を訴えているのか、理解ができないのだから会話が成立しない。
ベンチャーの場合。なんと無くブームに乗って、成長してきただけだで適当にあいつは良くやっているからとか、成績が良かったから、とか、前職が大企業の部長だったから、とかそんな理由で役員とかになってるので、基本的な企業組織の運営がどうあるべきかが、常識的な範囲ですら解らないのだ。
それと、当り前だが、出来ない人間が、どれだけ駄目かなんて事は本社からは全く見えていのだ。

腐っても仕方が無いので、与えられた環境で最善を尽くすしかない。
一応、小生が自身で定めた任期の間で、マイナス要因も完全に除去したし、事業体としての形も作ったと自負しているので、自分の仕事にはそれなりに満足している。
しかし、やるべき事が解っているのに、環境によって妥協しなければいけないという事ほど辛い事は無い。

少し、愚痴っぽくなってしまった・・・しかし、どんなに悪環境でも、腐らずに、前を向いて仕事をしていれば、自身の成長という、お金や地位では無い最高の報酬を得られる。

その意味では、この時、所属していた会社には本当に感謝している。

さて、話しを戻そう。
以前、「クビ切りという麻薬」と言うのを書いた。
小生はリストラ反対論者なのかというと全く違う。幸か不幸か企業という組織は常に進化し続けなくては存続する事はできない。
会社を新しい成長ステージに入るにあたって、変革を拒み続ける様な社員は、やはりその組織から外れ、違う場所で自分が活かせる仕事を探してもらった方が健全だと思う。
また、その一方で、どこに向かおうとしているのかも社員に示さず、急場しのぎに「首切り」を行う様な行為には激しい違和感を覚える。
その場合、退場するのは、まず経営者からであるべきではなかろうか。

出勤など勤務状況も、問題が無く、まじめに仕事に取り組んでいるのに、経営者の一方的な都合で解雇するのは非人道的な行為である。
とするのは感情論として確かに同意できるのだが、国家が労働の流動性を法律で縛る様な行為には、結局は国の産業を衰退させ、逆に多くの失業者を生む事になるだろう。

現時点で、法律では従業員側が圧倒的に保護されている。問題になった時、労働者の話しは聞くが、経営側の意見が聞かれる事は無い。
(問題になった時理由は聞かれるが・・)
結局、小生の実感としては、法律に触れない様に上手く自主退職に追い込む事が常套手段として用いられてしまい、法律が機能していないのが現状だと思う。
労働組合も、一部の過激なイデオロギーと同質化し、組合の強さが経営に悪影響を与える事が既知となってからは伝統的大企業以外は、殆ど機能していないのが現状だ。

その事は逆に裏を返せば、従業員は常にその能力を評価されるのにも関わらず、経営者はその能力を評価される事は無いという問題が見えてくる。即ち従業員は殆ど経営が適切に行われているか、不適切であるか、関係なく、解雇などのリスクを負っている為に、様々な権利を与えてこれを保護しようと言うのが今の仕組みである。

上場会社であれば、売上や利益など、経営指標で評価できるだろう?と思うのは大間違いである。
無能な経営者でも、殆ど宗教ばりのマインドコントロールで従業員をこき使って成果を上げていたり、今回のリーマンショックが示した様に、何の倫理感も無く、ただただ強欲に利益を求めて結果を出しているのかもしれない。そして何より、経営指標に表れる数字は、経営者の能力では無く、経営者と従業員の両方の能力の総和なのである。
従って、経営者が駄目であれば、株主が経営者のクビを切れるので、経営の健全性が保てると言うのは大いなる誤解であると言わざる負えない。
実際、ヒルズに芸能人を囲ったり、高級外車を何台も会社名義で購入したりするクセに、社員は散々こき使って、使い捨てにする様な頭のおかしい連中は言うに及ばず、素行は品行方正でも、無能な経営者の犠牲となっている社員は多く存在する。

では、どうするか?いわゆる法律的な判断や、IR的な指標のみで、経営者の正当性を判断するのでは無く、まず経営として正当性、妥当性を評価でき、改善指示、場合によっては経営者の退場を求められる仕組みの構築こそ急がれるべきだ。


小生のアイディアとしては、以下二点。

一つは、有名無実化している監査役をしっかり機能させ、さらに株主に対して経営の健全性を担保するに留まらず、従業員かの視点や社会道義的な面を加え多角的に経営の健全性をチェックできる仕組みを構築。

二つ目は、労働組合の存在目的を単に賃金の交渉や、雇用解雇の面から、労使協議を行うと言った経営者vs従業員(正社員)と言った存在理由を大幅に見直し、経営自体への高次元に積極関与。例えば法人企業が営利目的である以上、経済の合理性から見て、組合側から社員、管理職、役員の改善や退場を指示できる仕組みの構築など。

この様な取組によって経営(者)自身の正当性が、まずしっかりと評価される仕組みが出来てこそ、労働の自由化(雇用、解雇に関する規制を大幅に緩和する)に関する議論に移れるのでは無いだろうか?

無論、現状の法律においても、充分に機能していれば、経営の健全性はある程度、評価できる様に思われるが、現実問題としてこれらが有効に機能しているとは言い難い状況である。

しかし、やっぱりというか、なんというか、経済合理性から見た、弱肉強食、弱者切り捨ての労働自由化政策か、労働者を手厚く保護する過保護な国民総ニート政策かの二元論で論じられてしまっている感が強い。
(もちろん、民主主義におていは、人数が多い後者の方が有利で、前者は圧倒的マイノリティ(地方では少々違うと思うが)であって、自民も民主もどちらかというと、如何に上手く後者に歩み寄るかの議論ばかりなので、前者を掲げる政党があっても面白いと思うのだが・・・
まあ。ホワイトカラーエグゼンプションを「残業代未払い法案」とか言って議論もせずに潰す様な我が国では自殺行為に近いケド)

勿論、小生のアイディアも、経営の健全性を評価する人や組織が、秘密警察の様に機能してしまい、結果、企業を衰退させる結果になる危険性があるので、充分な議論が必要な事は当然だ。
しかし、国の経済のグロスが伸びない限り、限られたパイを奪い合う椅子取りゲームは続く。能力では無く、たまたま生まれた年が良いと椅子に座り続けられて、生まれた年が悪いと椅子は全て埋まっていて、ゲームに参加すらできないと言った状況は、健全な競争を阻害していると言わざる負えない。
健全な競争には、健全なルールが必要だ。

いずれにせよ、真に大人の議論をしないと本当にこの国は駄目になると、勝手に一人で危機感を高めている今日この頃・・・

2009年7月17日金曜日

経営に感情なんて要らない

「経営に感情なんて要らない」

過激なタイトルで、済みません。
リーマンショック以降の経済危機で、MBA的な合理的で、理論に頼った経営が否定される傾向にある。
人を大事にして、長期的な視点に立つ日本的な経営を忘れてしまった為に、日本企業も駄目になってしまった。今こそ日本型経営に戻るべし。
こういう論調が目立つ様になってきた。

MBA的な合理的で理論に頼った経営が、職場の環境をギスギスさせ、鬱病を蔓延させ、結果競争力を失った。
この手の記事や本が指摘している状況は、確かに今の日本企業の多くの現状であるとは思う。しかしこの主因として、米国流経営の否定というのは無理が有りすぎる。恐らくは、

・MBAエリート主義への反発
・合理性の至上主義への反発(様はリストラ(正確にはレイオフ)への反発。
・成果主義的、スタンドプレーへの反発

センセーショナルに物事を伝える為に、日本の企業人の多くが思っているこの様な気持ちを上手く汲むキャチフレーズとして、この様な表現を用いているのであって、本気でそうとは考えていないとは思うが・・・

この様な世情を反映してか、今は社員のモチベーションを向上させる為の取り組み、成果主義の見直しなどがしきりと取組まれている様だ・・・
また、もっと人の感情を大事にしよう。企業理念を共有して、労使が志を皆で共有し一丸で企業運営をしていこう。
こういう言葉がとても目立つ。

なぁ~に、
でも、これらは、格別今か始った事ではなく小生がサラリーマン時代も、この手の研修は何度か受けた事があるし、会社イベントの毎に、「○○精神の唱和」なんって言うのをやらされていた時期があった。リッツカールトンのクレド宜しく、企業理念をパウチッコ?されたものを強制携帯させられたりした事もあった。(携帯していないのがバレると、特別警察に絞られる(笑))

でも、経営者の想いとは裏腹に、小生は「はっきり言って余計なお世話。」「バッカじゃねぇの?」としか思わなかった。
なかんずく、研修の内容がなかなかのモノであったとしても、そこで一旦向上したモチベーションは、現実の職場と、業務に一週間もすれば、うち砕かれた。むしろ砕かれた反動で、以前よりやる気をなくした。

全くの不良社員だ。小生はやっぱりひねくれているのだろうか?(笑)
いや、この点に関しては他の社員も同様であった様だ。

「経営に感情は持ちこむな。必要な事は徹底した理論だけだ。」

いやぁ勿論、経営者にも感情はある。しかし経営に感情を持ち込むとどうなるか?
「あいつも、良い年だし頑張っている見たいだから、そろそろ部長にしてやるか」
「あの取引先には、要求が厳しくて腹が立つ、景気が回復した、らこっちから断ってやる」
まあ、こんな酷いのは例外として、良くあるのがやっぱり、
「うちの社員はレベルが低いうえに、モチベーションも低い」「もっと社員ががんばれば、ウチの商品はもっと売れて良いはずだ。どうすれば社員達が熱くなるのか?」こういう話しだ。

それで「熱い魂で」とか「全社一丸で」とか口走る。

ちなみにこういう会社には大体、社長の愚痴聞き役のお抱えコンサルタントがいて、「整理整頓の徹底」とか「挨拶の徹底」とか、こういう取組をよくやっている。

確かに、整理整頓や挨拶といった基本的な事が出来ていない会社は駄目だと小生も思う。しかしそれを口うるさく言った所で大抵会社は変わらない。
何故なら、社員達がもっとも餓えているのは、具体的な「勝ち方」なのだ。「これをやれば会社が良くなる」という事が腹に落ちて、初めて
社員達は熱く燃え上がる。結果として、挨拶が大きな声でハキハキとできる様になり、整理整頓も行われる。腹に落とすには、具体的で理論的でなければ駄目だ。

全く「勝ち目」が見えていないのに、「やる気」を出せと言われても、余計なお世話でしかない。
「勝ち目」が見えないから、どうやってベストな状態で「逃げる」かを考えているのだから・・・

具体的な「勝ち方」とは何か?それは即ち、徹底した勝つ為の理論でしかない。
兵士がもっと頑張れば戦いに勝てる!なんていう大将には絶対について行きたく無い。

「死兵」という言葉がある。
死を覚悟して、奮起した兵隊達の事である。これは大将が感情的に振る舞う事で、兵がその様な状態になるのでは無く、むしろ己を捨てて、その戦いの意義や、正義を追求する姿勢に共感が生まれ、兵がこの大将の為なら、死んでも構わないと思うのではないのか?

兵士自体の質は全くの無関係なのだ。現に、大坂の陣での後藤基次や真田雪村(信繁)の兵の殆どは、寄せ集めの浪人だったが、兵達はその様な状態にあったという。

では、企業における、正義や志とは何ぞや?高い社会性を持つ事と同時に、やはり売上を上げて利益を上げなくていけない。
理論を破棄して、感情や情緒に振り回される事の危険性は先の大戦で日本人がもっと学んだ事では無いのか?
「お国の為に」「精神力で勝つ」「鬼畜米英」・・・
(中央公論社から出版されている「失敗の本質」という本がお勧めだ。軍事マニアには物足りないと思うが・・・)

即ち、「米国流合理主義経営」が駄目なのでは無く、
根っこにある部分が、「経営者自身の名声、金銭、欲望」の為に理論を構築するのか?「社会正義、意義、志」の為に理論をを構築するかの違いであって、米国人経営者が全員前者で、日本人経営者が全員後者である筈も無い。

また「社会正義、意義、志」だけで、具体的に「ではどうするのか?」が無ければ、これは単なるホラ吹きな夢想家だ。

「理論」や「理屈」を否定するのは簡単だし、
「優しさ」や「怒り」をもっと表現しよう。「共感」を大事にしよう。というのも、なんとなくカッコが良い。
しかし現実は「優しさ」は差別を生み、「怒り」は反感を買い、「共感」は排他となる。

もし本当に燃える様な志を持っているならば、昼夜を問わず、どうすれば「志」を仲間達と達する事が出来るのか方法論を考え続け、試行錯誤するものだ。それに必要なのは「理論」であり、逆に「感情」とは戦い続ける必要がある。

でも現実的には「竹やりでB29を撃墜せよ!」って命令している経営者が一杯いるのが現状かな?・・・クワバラ、クワバラ

2009年4月24日金曜日

クビ切りという麻薬

連日取り上げられる、派遣切り、内定取り消し、大企業のリストラのニュース。マスコミが取り上げるのは本当にごく一部の事例でしかない。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。

小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。

しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。

経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。

新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。

これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。

繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!

残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。

小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。

こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。

経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。

2009年2月3日火曜日

ブラック企業になれますか?

IT産業とかIT企業。という言葉はすっかり定着した感があるが、そのイメージはと聞かれれば「虚業」「如何わしい」「新3K(きつい、厳しい、帰れない)」「ゼネコン体質」と、小生が思い浮かぶだけでもマイナスイメージのオンパレードだ。

「虚業」に関しては、ライブドア事件以来すっかり定着したが、「新3K」とか「ITゼネコン」は、かなり昔からこの業界には蔓延している。SIerやソフトハウスと呼ばれる企業の多重請負体質が、その要因となっている。

小生、仕事柄このIT企業の経営層と話す機会が結構あるのだが、昨今の経済環境は当然これらIT産業へもダメージをもたらしている。もともとIT技術者はグローバル化し、中国、インドでのオフショア開発も盛んになり、人月の単価は下落傾向にあったが、それでも、つい去年の中までは、システム投資も右肩上がりだった為、業界自体はまだまだ伸びている感があった。そこへ今回の経済危機。単価が下がっている状況で、需要が一気に冷え込んだのだから、中堅以下のシステム会社(ここではあえてそう表現する)は相当に厳しい状況と言える。

「受託開発や請負派遣だけでは、もうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」

こう言う話しは経済危機よりも前も随分と聞いたが、一気に深刻化したといえる。
しかし、残念ながら、小生「大変ですね」としか答え様がない。
「受託開発」というのは「ITゼネコン」の言葉が表わす様に、どこか一次請け、二次請け、下手をすると三次、四次・・・がいて、エンドユーザはどこかすら知らず、言われたシステム(の一部)を開発する事が多い。もしくは元請け会社に出向してプロジェクトメンバーとして振る舞う「業務請負」形式で仕事を取ってきたりする。

確かにシステム会社の中でも、元請け会社に「業務請負」として「常駐」させる事(はっきり言って偽装請負です。)を生業としている企業は一番馬鹿にされている。(その次が受託開発かな)
では「脱却」とは何を指しているのか?
その殆どは「自前でパッケージソフトを開発して直接販売」したり「エンドユーザに対して、直接ソリューション提供していく」などの行為を指している様だ・・・

言葉をIT産業に戻そう。小生の勝手な見解を言わせて頂くなら「世の中に「IT産業」なんて産業は存在していない」。
もし、そんな産業が存在するならば、それは全て「虚業」である。

「IT産業」に所属する「IT企業」はハードメーカ、ソフトメーカ、通信事業者・・多種、多様に渡る様であるが、一般的にはIT=Information Technology=情報技術である。「情報技術産業」?例えば「宇宙技術」「航空技術」なら解る。何かしらのIndustryに対するTechnologyであるのに対して、informationはそうでは無い。
辞書を調べるとInformation Technology=情報工学となる様だ、小生は英語全く駄目なのでボロが出そうだが、技術そのものが産業になる事なんて本来ありえない筈だ。例えば、数ミクロンという単位で金属を削れる職人が揃っている金属加工技術会社です。なんてありえないのだ。

・金属加工のスペシャリストを派遣する「人材派遣会社」です。
・金型等を数ミクロン単位の精度で削る「金属加工会社」です。

のどちらかだろう。

更に続けよう。

基本的にIT企業という言葉で語られる成功企業は、「ショッピングモールの運営」であったり、「携帯電話の販売」であったり「金融商品の販売」であったり「ゲーム、娯楽を提供、販売」「本の販売」「広告収益で稼ぐメディア」であったり「電子文房具」や「電子大福帳」を作っているメーカであったりする。
もちろん裏にはネットワーク機器のメーカやサービス企業がいる。そのさらに裏にはOSメーカやらもあり、ちゃんと川下である一般消費者に対して明確な価値提供が行われており、川上からバリューネットワークが構築されているのである。
然るに、情報技術だけでは何の経済的価値を生むことは無い。

話がだいぶ飛躍したので戻し、5年ほど前、ネットでブラック企業の最右翼とされるシステム会社の幹部と話しをした際に聞いた言葉を紹介しよう。
その人は「うちがここまで大きくなり成功したのは、決して上流工程に手を出さなかった為だ」と言い切った。

その当時、その会社の新卒採用は1000名を超えていた。当然、彼ら(彼女ら)もプログラマーなどの下流工程の仕事を、下請けでやっていると限界を感じて来る。キャリアパスに不安を覚え、上流のSEを目指そうとうするのは自然の流れだ。しかしこの会社は規模は大きいが上流を決してやらない為、殆ど30際前後で辞めていくそうだ。
社員達はきっと、自分のキャリアだけで無く、多少の愛社精神からもウチの会社も、もっと上流をやれば会社としても「脱却」できるのに・・と考え憮然と辞めていくのだろう。容易に想像がつく。
が、その会社は実は意図して「脱却」しない様にしているのだ。
まさにブラック企業の面目躍如といったところか。。。

しかし、考えても見て欲しい。小生の知る限り日本の「IT産業」とやらの6割位は、単なる「人材斡旋業」だ?いくらカッコつけようが、契約形態が派遣契約じゃなかった所で、「脱却」したいと口だけ言ってみたところで、その中身は単に「労働力」という価値を提供してるだけに過ぎない。すなわち、経営者は、労働力を採用し、その労働力を必要としているところを見つけてきてマージンを稼ぐという斡旋稼業の元締なのだ。それ以外の価値を提供しているならば、教えてほしい。(まさかJavaに強いとか、コンサル力とか、ERPに自信有り、とか言わないよね。)
結局この6割の中でも、成功している企業は、自分達のビジネスが「人材斡旋業」であるとしっかり定義して、割り切った企業ではないだろうか。即ち可能な限り安く商品を仕入れて、可能な限り高く売る。この場合の商品は社員だ。引き受けてのない社員は在庫だ。高齢、高給の社員は仕入れ値が高い。そういうものを排除できる仕組みが必要だ。だからブラック企業と呼ばれる。よりディープに、法律すれすれ、モラルは捨てろ!ブラックに徹しきる力が成長の源だ。ディープブラック!ハードブラック!・・・(失礼!)


「受託開発や請負派遣だけではもうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」

真面目に答えるならば、

「あなたの会社が提供している価値は何?」

「小売業?メディア?ゲーム会社?金融業?広告代理店?違いますよね」、「人材斡旋業ですよね。労働力を売っているのですよね?」
ならば「人材斡旋業から金融業や小売業、文房具メーカとかに業種転換したいの?」「なに業がしたいの?」「そんな事出来るのア・ナ・タに・・・」

それとも「もっといい客に高く労働力を売りたいの?」だったらかっこ良い事言わず、ちゃんと腹を括るべきでは?その代わりア・ナ・タは立派な「ミニブラック企業」の経営者ですよ。
「単なる人売り見たいな事はしたくない?」だったら「貴方にとって理想の斡旋業を経営してみては?」

「IT産業」・・・この言葉がギョーカイの経営者を甘えさせている気がしてならない。
そんな産業は存在しない。と思う。
決して、苦しむ人を小馬鹿にするつもりはないけれど、本当の意味で日本がIT大国になるならば、こういう経営者達のレベルアップを期待せずにはいられない。