2009年8月10日月曜日

栗鼠と虎どちらが怖い?

リストラ

以前にも触れた話題で恐縮だが、またこの事に触れたいと思う。
今、私の知っている経営者の方々の最大の関心事はやはりこの事が中心の様だ。
大企業を中心に回復傾向と伝えられるが、だからと言って設備投資が回復しているかというと、どうも実態としてはそうではない、あくまでも、縮小均衡といったイメージを拭えない。
今本当に苦しいのは中堅、中小だろう。
売上半減という話しをざらに聞く、一時期のインパクトとして単月や3ヶ月位が半減ならまだ許容の範囲だろうが、半減がずっと続き、回復の目処が立たないのだから、当然キツイ。

その様な中で小生が話しを聞いた経営者は、「レイオフ」では無く「リストラ」として人員削減を検討している。そして、その対象は50歳を超えた様な、ベテラン社員に向けられている。

何故か?コスト(給料)が高いから?
では無くって、はっきり一言で言ってしまうなら「無能」だからだ。
普通にコストが高くても、それに対してあまりあるリターンが得られるならば、当然ながら人員削減の対象にはならない。

経営者に直接話しを聞くと、
「単に無能なだけならばまだ良いが、周りにまで悪影響を及ぼしている」
「幾ら指導しても言い訳ばかりで変わろうとしない」

高度成長期~バブル期に、長く、サラリーマンを務めていた為、その価値観を変えられない。
こういう人物は事実一杯居る。小生自身も過去この手の人物に随分と苦しめられた経験がある。
小生自身は、この人物を活かす方法を、悩んで悩んで、悩みまくっているのに本人はどこ吹く風で、今のままでも「上手くごましきれる」と考えているのだから本当にタチが悪い。どこで訓練されたのか、ウソといい訳だけは超一流。
それでも渡っていけたのがバブルであり、それはそれで一流の処世術で、ある意味高度なスキルとも言える。

もちろんそれなりに、業績が良ければ何とか活かそうと考えられるのだが、今の状況ではそうも行かない。
それに、中堅、中小企業にとっては今は若くて優秀な社員を採用できる、千載一遇のチャンスなのだ。

経済の合理性で言うならば、この様な社員が居続ける事は甚だ非合理だ。
しかし経営者だからと言って、外資の様にドライに、キャビネットに鍵を掛け、入館証を没収して、明日から来るな。と、出来る訳でもない。人情もあるし、法的な事もある。

被削減対象者側はどうであろう。
長年奉仕して来て、50歳を超えてから、突然首を切られて放りだされるのだから、納得がいく訳が無い。
普通に考えて、再就職は難しいだろう・・・家族はどうなるのか・・・

殆ど経営者も、やはりその事を思う人が多い。
考えみれば、小生もサラリーマン時代、役職が付いて、チームなり部署なりを取り仕切る様になってからは殆ど人の事で悩んでいた。部署の業績とかの「結果」なんて、ある意味なる様にしかならないと割り切れる。
「人事を尽くして天命を待つ」で、駄目だったら、駄目で、全然悩まない。降格なり、退職なりなんらかの責任を取れば良いだけの事。
問題はどうやって「人事を尽くすか」って事だが、戦略とか戦術とかプロセスとか言ったところで、所詮それを実行するのは人。ヒト。人間。

小生が、示した方針なんて、その人だけは、どこ吹く風で、わが道を行く。
しかも、当時、明確な人事権を与えられていた訳では無いのだから、悩みは経営者以上だったかもしれない。
責任はあるが、権限が無いのだから・・・

話しはそれるが、この時は、本社の無理解にホトホト苦労した。
その時は、明確な人事権どころか、評価体系ですら、本社に合わせなくてはならなかった。
拠点の立ち上げと、既に立ち上がりきっている(ついでに腐ってきている)本社ではやるべき事は全く違う。
サービス提供や、営業活動、イベントの企画、と言ったコアな業務から備品の発注といった、本当に細々な業務まで、ルールも無い中で、一つ一つ少ないメンバーがマルチに対応して回さなくていけないのに、本社(東京)の売上達成基準やサービスの提供回数で評価されるんだからメンバーが不憫で仕方が無かった。
しかも商材は、東京でも1年~3年位の期間を取らなければ決まらない様な商材だ。
経済規模は30分の1、地元に信頼されて足場を作って、コツコツと実績を重ねて、なんとか結果が出る。
更に、小生が赴任した時は大きなマイナス要因もあり、本当に愕然とした。

しかも、こういう当り前の事を、上や、本社に「この状況をなんとかしてくれ。」と言っても話しが全く通じないのだ。
小生が何を訴えているのか、理解ができないのだから会話が成立しない。
ベンチャーの場合。なんと無くブームに乗って、成長してきただけだで適当にあいつは良くやっているからとか、成績が良かったから、とか、前職が大企業の部長だったから、とかそんな理由で役員とかになってるので、基本的な企業組織の運営がどうあるべきかが、常識的な範囲ですら解らないのだ。
それと、当り前だが、出来ない人間が、どれだけ駄目かなんて事は本社からは全く見えていのだ。

腐っても仕方が無いので、与えられた環境で最善を尽くすしかない。
一応、小生が自身で定めた任期の間で、マイナス要因も完全に除去したし、事業体としての形も作ったと自負しているので、自分の仕事にはそれなりに満足している。
しかし、やるべき事が解っているのに、環境によって妥協しなければいけないという事ほど辛い事は無い。

少し、愚痴っぽくなってしまった・・・しかし、どんなに悪環境でも、腐らずに、前を向いて仕事をしていれば、自身の成長という、お金や地位では無い最高の報酬を得られる。

その意味では、この時、所属していた会社には本当に感謝している。

さて、話しを戻そう。
以前、「クビ切りという麻薬」と言うのを書いた。
小生はリストラ反対論者なのかというと全く違う。幸か不幸か企業という組織は常に進化し続けなくては存続する事はできない。
会社を新しい成長ステージに入るにあたって、変革を拒み続ける様な社員は、やはりその組織から外れ、違う場所で自分が活かせる仕事を探してもらった方が健全だと思う。
また、その一方で、どこに向かおうとしているのかも社員に示さず、急場しのぎに「首切り」を行う様な行為には激しい違和感を覚える。
その場合、退場するのは、まず経営者からであるべきではなかろうか。

出勤など勤務状況も、問題が無く、まじめに仕事に取り組んでいるのに、経営者の一方的な都合で解雇するのは非人道的な行為である。
とするのは感情論として確かに同意できるのだが、国家が労働の流動性を法律で縛る様な行為には、結局は国の産業を衰退させ、逆に多くの失業者を生む事になるだろう。

現時点で、法律では従業員側が圧倒的に保護されている。問題になった時、労働者の話しは聞くが、経営側の意見が聞かれる事は無い。
(問題になった時理由は聞かれるが・・)
結局、小生の実感としては、法律に触れない様に上手く自主退職に追い込む事が常套手段として用いられてしまい、法律が機能していないのが現状だと思う。
労働組合も、一部の過激なイデオロギーと同質化し、組合の強さが経営に悪影響を与える事が既知となってからは伝統的大企業以外は、殆ど機能していないのが現状だ。

その事は逆に裏を返せば、従業員は常にその能力を評価されるのにも関わらず、経営者はその能力を評価される事は無いという問題が見えてくる。即ち従業員は殆ど経営が適切に行われているか、不適切であるか、関係なく、解雇などのリスクを負っている為に、様々な権利を与えてこれを保護しようと言うのが今の仕組みである。

上場会社であれば、売上や利益など、経営指標で評価できるだろう?と思うのは大間違いである。
無能な経営者でも、殆ど宗教ばりのマインドコントロールで従業員をこき使って成果を上げていたり、今回のリーマンショックが示した様に、何の倫理感も無く、ただただ強欲に利益を求めて結果を出しているのかもしれない。そして何より、経営指標に表れる数字は、経営者の能力では無く、経営者と従業員の両方の能力の総和なのである。
従って、経営者が駄目であれば、株主が経営者のクビを切れるので、経営の健全性が保てると言うのは大いなる誤解であると言わざる負えない。
実際、ヒルズに芸能人を囲ったり、高級外車を何台も会社名義で購入したりするクセに、社員は散々こき使って、使い捨てにする様な頭のおかしい連中は言うに及ばず、素行は品行方正でも、無能な経営者の犠牲となっている社員は多く存在する。

では、どうするか?いわゆる法律的な判断や、IR的な指標のみで、経営者の正当性を判断するのでは無く、まず経営として正当性、妥当性を評価でき、改善指示、場合によっては経営者の退場を求められる仕組みの構築こそ急がれるべきだ。


小生のアイディアとしては、以下二点。

一つは、有名無実化している監査役をしっかり機能させ、さらに株主に対して経営の健全性を担保するに留まらず、従業員かの視点や社会道義的な面を加え多角的に経営の健全性をチェックできる仕組みを構築。

二つ目は、労働組合の存在目的を単に賃金の交渉や、雇用解雇の面から、労使協議を行うと言った経営者vs従業員(正社員)と言った存在理由を大幅に見直し、経営自体への高次元に積極関与。例えば法人企業が営利目的である以上、経済の合理性から見て、組合側から社員、管理職、役員の改善や退場を指示できる仕組みの構築など。

この様な取組によって経営(者)自身の正当性が、まずしっかりと評価される仕組みが出来てこそ、労働の自由化(雇用、解雇に関する規制を大幅に緩和する)に関する議論に移れるのでは無いだろうか?

無論、現状の法律においても、充分に機能していれば、経営の健全性はある程度、評価できる様に思われるが、現実問題としてこれらが有効に機能しているとは言い難い状況である。

しかし、やっぱりというか、なんというか、経済合理性から見た、弱肉強食、弱者切り捨ての労働自由化政策か、労働者を手厚く保護する過保護な国民総ニート政策かの二元論で論じられてしまっている感が強い。
(もちろん、民主主義におていは、人数が多い後者の方が有利で、前者は圧倒的マイノリティ(地方では少々違うと思うが)であって、自民も民主もどちらかというと、如何に上手く後者に歩み寄るかの議論ばかりなので、前者を掲げる政党があっても面白いと思うのだが・・・
まあ。ホワイトカラーエグゼンプションを「残業代未払い法案」とか言って議論もせずに潰す様な我が国では自殺行為に近いケド)

勿論、小生のアイディアも、経営の健全性を評価する人や組織が、秘密警察の様に機能してしまい、結果、企業を衰退させる結果になる危険性があるので、充分な議論が必要な事は当然だ。
しかし、国の経済のグロスが伸びない限り、限られたパイを奪い合う椅子取りゲームは続く。能力では無く、たまたま生まれた年が良いと椅子に座り続けられて、生まれた年が悪いと椅子は全て埋まっていて、ゲームに参加すらできないと言った状況は、健全な競争を阻害していると言わざる負えない。
健全な競争には、健全なルールが必要だ。

いずれにせよ、真に大人の議論をしないと本当にこの国は駄目になると、勝手に一人で危機感を高めている今日この頃・・・

2 件のコメント:

suzumaru さんのコメント...

確かにそうですね。団塊世代の方には私も苦労した経験があります。考え方、時代背景が違うので付き合わないようにするしかありませんね。リストラについてはう~ん、よくわかりません。善悪ではないなぁ、としか言えませんね。
では。

bukubukumaru さんのコメント...

経営者側も労働者側も、結局のところは、経済合理性で判断するのが一番平等だとは思うのですが・・・
まあ、それだけでは弱者切捨て社会になってしまうので、難しいですね。

正直、そういうこと抜きに、個人的には、老害的な人物とは仕事したくない!!!
って強く思います。