お隣、韓国が強い。バンクバー五輪のメダル数。サムソン。という事で「韓国に学べ」というワードをあちらこちらで見かける。なんでも経済産業省にも「韓国室」が出来たとか・・・・
あ~~あ。ま~た始まった。もうなんと言うかもうホントに「馬鹿の壁」に全速力で激突していく人達が後を絶たない。
そのうちサムソン出身の「韓流コンサルタント」が登場するのも時間の問題だろう。いや、もう居るのかな?
別に小生、サムソンの会計は怪しいとか、半国営企業だからとか、「嫌韓」を展開したい訳でもなんでもない。
ただ、はっきり言ってサムソンから日本の家電メーカとの戦略上の違いとは何であるか?勿論、オペーレーション上の「些細」な違いはあるだろう。意思決定が早い。とか、人材採用や活用方法が・・など、しかしこれらは本当に些細な違いでしかない。逆に日本のメーカ同士だって会社によって、その位の「個性」の「違い」はあるさ。で、済む。
極論言ってしまえば、馬鹿の一つ覚えの様に「良い物をより安く」で、やってきた日本の家電メーカが追いつかれ、追い越されただけの話では無いのか?この点に関しては、「いや、まだ日本のメーカの方が・・・」なんて事言う気は更々ないが、日本のメーカ自身が過去、歩んできた道では無いのか?
後発国のメーカに追い付かれる。追い越されるなんて当たり前過ぎる話で、この状態で一体何を学びたいのか?小生にはサッパリ解らない。凄く抽象的な表現だが、コーチが選手を指導していたら選手の方が上手くなったので、逆に教えを請うて競技で競う様な話しだ。
もうとっくに立っている土俵が違うのに、それが理解できないらしい。スポーツ選手に選手寿命がある様に、企業にだってそれはある。ただしそれは体力とか、気力の話しでは無く、ビジネスモデルの寿命だ。ピークを超えた選手は適切なタイミングでの引退をし、それこそコーチや、競技団体関係者、タレント、起業、会社員など第二の人生を選択して行く事になる。企業だって同じ事だ。にも関わらず、アホ(過ぎる)なマスコミを中心に「よきライバル」として切磋琢磨していく対象だと思ってしまっている。
IntelやAppleは新興国の企業を上手く巻き込みながら、荒稼ぎするビジネスを考え出した。それぞれ「半導体メーカ」、「パソコンメーカ」として、新興国の企業をライバル視して切磋琢磨してきた訳ではない。
この手の話は、別に今回始まった話しでは無い。トヨタが最高益を出せば、トヨタ本が流行り、トヨタに「学べ」の大合唱。トヨタ流コンサルが引く手あまた(笑)。ソニーが良ければ、「ソニーウェイ」「ソニー流」。
「○○流を取り入れる。」「トイレ掃除???」「野村監督に・・・」
いや政治だってそうだ、ニュース番組なんかでは必ず「アメリカでは」「ドイツでは」「フランスでは」とか出てくる。
兎にも角にも「学べ」-「学ぶ」が大大大好き。学ぶLove!
はっきり言おう!政治にしろビジネスにせよ、「学んで」なんとかなったのはもう30年以上前。
ちなみに「学ぶ」の語源は「まねる」から来ていると言われる。
さて、さて、では、どうするか?
答えは既に書いてある。
IntelやAppleは~の下り
>荒稼ぎするビジネスを考え出した。
「学んだ」では無い。もちろん、残念ながら「見える化」でも「トイレ掃除」でも無い。
「考えた」のだ。
小生の持論として、これからの日本を良くして行くには「教育」を変えるしか無いと思っている。
いつまでも「学ぶ」が中心にある教育では駄目。高度情報化社会になった現代において、残念ながら「学ぶ」の価値はどんどん下がって行く。この辺の事は最近になってようやっと著名人達が言いだした事なので詳しくは書かないが、「考える」訓練が圧倒的に足りていない。
残念ながら、自分の周辺50m位の事しか考えていない、見ていない、ビジネスマンが実に多い。もちろんお酒を飲めば、鳩山首相がとか民主党がみたいな話しが出るが、所詮、マスコミの受け売りを「持論」として語っているだけにすぎない。
本屋に行けば良く解る「○○したければ、○○しなさい!」「○歳からの○○」「何故○○は○○なのか」「女子高生ドラッカー???」・・・・
正直泣きたくなる・・・・女子高生に教えて貰わないと駄目なの?しかもドラッカーって・・・・
さて、思考方法として「なぜ5回」とか「ロジックツリー」とか、その辺が有名な訳だが、「考える」を深めて行くと必ず、
対象が大きくなって行く。ある些細な課題を対象にしても、グリグリとその真因を考えていると最終的には「社会全体」とか「国」とか「民族性」とか、途方も無く大きなテーマにぶち当たる。
例えば即興で、
①「何故、うちの会社の企画はヒット商品を生み出せないのか」
②「企画部が他社の後追いばかりやっているから」
何故?
③「担当役員が、直近の収益性ばかり見て居る為、冒険的な取組に反対する」
何故?
④「営業役員が強く。直ぐに数字になるものを求める傾向が強い」
何故?
⑤「上場したのをきっかけに、社長が直近の売上ばかりを気にする様になってしまった」
何故?
⑥「株主は自分が短期に儲ける事だけ考えて、長期的視点で企業を育てる事を考えていない」
何故?
⑦「株式会社の制度そのものが・・・」
※ちなみになぜ五回方式だと、分岐が無くMECEにならないので、ちと結構辛い。今回の様に、まずは、一度、ばーと頭の中で「何故」を繰り返したら、それを最初の「仮説」としてセットする。そしたら他の要因が無いか色々分岐しさせていく。一通り要因を出し尽くしたら、今度は真因となってそうな要因が、どの様な影響を与えているか逆に考えていく。グルグルと。
そうしていると、どの要因が一番のボトルネックになっているか?現実的に対応の取れる要因か?が解ってくる。駄目な人はロジックツリーを紙とかパワーポイントとかに作って一生懸命「漏れなく、ダブりなく」と呪文を唱えて穴埋しはじめる。そして「漏れなく、ダブりなく」で100点満点を取ろうとしてしまう。ハッキリ言ってそんな事はあまり気にしなくて良い。この事は文法ばかりを気にしている為、会話が全く駄目な日本の英語教育と似ている。これも「学ぶ馬鹿」の弊害だ。
ついでに対象を「何故、サラリーマンは大きく、重たい鞄を持って通勤しているの」とか、日常に広がっているちょっとした「何故」を考えると結構よいビジネスアイディアが生まれて来たりする。
話がそれたが、考える力を強化していくと、その対象がどんどん大きくなって行くのは理解して頂けるだろう。ビジネスコンサルをやっていた人が、ちょっと宗教系に走ってしまったり、政治評論や経済評論の方に行ってしまう事とも無縁ではなかろう。(とは言えそっちのプロでは無いんだけど・・・)
どうしても、物事の本質を見極めようとしていると、より大きなテーマに当たる。
それで良い。ワールドワイドにビジネスを展開しようとした時に、その事は非常に重要だ。
政治にしたって、結局は国民のレベルを反映しているに過ぎない。マスコミの垂れ流す、馬鹿情報に振り回されるか、自分で考えてしっかり投票できるかで、大きな違いを生む。
「Don't Study Let's Think」
「学ぶ」から卒業しよう!
偉そうでスミマセン。でも小生「あ~すっきり!」です。
2009年11月13日金曜日
日本の起業家って本当にベンチャー?
今週の日経ビジネス紙(11.9号)のタイトルは、「今こそ起業資本主義~立て、日本の草食系ベンチャー」というもの。
草食系ベンチャーとはなかなか上手い表現をするな~と関心したのだが、肝心な記事で紹介されている草食系は2社に留まり、後はインドや、アメリカのベンチャーの紹介と、ベンチャーの支援体制の違い。と、内容に関しては正直もう何百回と目にして、耳に聞いた内容で、この手の話しの結論は、いつもの日本はベンチャーを育てるマインドや制度が不足しているで終わり。
せめて、設立目的や、お金に関する拘り度、資金集めの方法、車やファッションに対する意識など、仮説立てした上で、調査を行い。時系列で企業家達の意識が如何に変化してきているのか?草食系増加のファクトと、それに基づくもう少し深い洞察が欲しい。その上で、今後のベンチャー育成はこうあるべきではないか?という提言が欲しい。
さて、何故日本からは「Google」や「Amazon」が生まれないのか?「ホンダ」や「Sony」だって昔はベンチャーだったではないか?
こう言った話しは、この記事に関わらず、数年前から至る所で議論されている。
政治家、官僚、財界人、成功した起業家、学者、評論家、マスコミといったいつもの顔ぶれが揃って・・・
でも小生も、走り出したばかりの起業家のはしくれとして言わせてもらえば、正直ピンと来ない。
確かに、ベンチャーを取巻く環境として、色々とハード面で見直す事。VCの充実や、国の支援(エンジェル税制など)、融資制度の見直しなど、取組むべき課題は多いと思う。しかしそれらの提言が、実行されたからと言って、日本から「Google」や「Amazon」規模に育つベンチャーが生まれてくるとは、とても思えない。
確かに、この問題を考えた時に、働く事に対しての意識の違い。しいては教育環境、社会環境の違いは非常に多くのウエイトを占めていると思う。
但し、こういった要因は、それこそ「Google」「Amazon」規模の成功事例が出てこないとなかなか変化しないのではないかとも思える。
社会環境が悪いから、育たないのか。育たないから、環境が変わらないのか。という鶏が先か卵が先かの問題の様にも思うが、ライブドア事件が、ベンチャーは「胡散臭い」「虚業」「拝金主義」とイメージを社会に植え付け、一層社会環境がベンチャーに対して閉じた環境になってしまった事を考えると、逆説的だが、やはり一つのムーブメントとして形になるものが生まれ、社会に認知されない限り難しいのではないかと考えてしまう。
この点を考えると、日本におけるベンチャーの位置付け、定義そのものに疑問符がつく。
日本で一般的に「ベンチャー」と認知されているキーワードは「新技術」「アイディア」「他国模倣」などが浮かぶ。
1.「新技術」はバイオやデバイス、ロボットや、IT技術などの先進性のある技術シーズの事業
2.「アイディア」は、技術的な先進性は認められないが、独創性を持ち、今まで誰も気づかなかった分野の事業
3.「他国模倣」は、あまりピンとこないかも知れないが、米国で流行したITサービスなどをいち早く日本で展開する事業
この三点でいうならば、実は日本で一番成功しているのは「他国模倣」だろう。「ブログ」や「ネット広告」「ソーシャルネットワーク」「EC(ElectricCommerce)」など、いわゆるIT系のサービスで、米国で流行したものを、日本でいち早く取り入れた事業。(先進性も独創性も認められない)
日本のベンチャーの成功例として取り上げられる企業。「楽天」や「SyberAgent」「Mixi」などをイメージすると早い。
1.「新技術」や2.「アイディア」の事業は、どうしてもニッチマーケットがターゲットとなっている為、スケール面での限界点が直ぐに来てしまうことが多い。
しかし、それなりに日本で成功している「他国模倣」においても、「模倣」であるが故、国内市場に留まってしまう。この意味では、そもそもの問題提起である、日本から何故「Google」や「Amazon」が・・・に関して、スケール面においてこちらも、既に回答ができ上がってしまっている。
即ち、日本のベンチャーを考える上で、決定的に欠けてている要因は、事業ドメインがそもそもスケールが求められる領域に居ない。という事なのだ。
「ホンダ」や「Sony」を考えた時に、確かに「新技術」や「アイディア」「他国模倣」全ての要素を持って立ちあがったが、戦う土壌がオーディオ、家電、バイク、自動車といった既に大きな市場が求められるメインストーリムにおいて勝負を挑んでいった。という事実が、今の日本でベンチャーを検討する際の観点から抜け落ちてしまっている。もちろん当時の日本の社会環境。即ち、低賃金、円安、労働意欲、勤勉性、潜在的技術力などの要因がそれを可能にしてきたという点では、現在は当時とは比較にならない程、変化してしまった。
さて、一方の「Google」や「Amazon」において、その収益を生む事業のドメインを考えると、その市場におけるコンペチターはよく言われる様な「Microsoft」や「IBM」、日本ならば「富士通」や「NEC」の領域では決してない。
(ちなみにSalesForceのコンペチターは「IBM」「富士通」「NEC」である。(面白い事にIBMは一部で業務提携する事はあってもSalesForceを売る事は無いが、富士通やNECといった会社は、いち早く「売る」事を表明してしまった。日本企業の戦略不在ぷりは、本当に・・・))
「Google」ならば、その収益の多くは、広告収益であり、コンペチターはメディア(TV、ラジオ、新聞、雑誌)もしくは広告代理店である事は少し考えれば解る。「Amazon」であれば、その本の販売が収益の中心を占め、コンペチターは、書店、流通(卸)、である。
この二社が、実際コンペチター達に与えた打撃は計り知れないものである。日本でも、マスコミや広告代理店、書店が窮地に立たされている事実と無縁では決してない。もともと大きな市場性の認められるメインストリームにおいて勝負しているのである。
「ホンダ」や「Sony」が当時の日本の社会環境を武器に既存のオーディオメーカーや、家電、自動車、バイクメーカーに挑み勝利した様に、近年の米国のベンチャーはITを武器にメインストーリームに打って出て勝利をおさめているのだ。
しかるに日本の場合、いつのまにか起業家側も、育成側(VCや国など)も、ベンチャー=ニッチマーケットであり、「新技術」や「アイディア」「他国模倣」に出資、投資するものという固定観念が出来てしまった。起業家も決してメインストリームに打って出る様な事を考えないし、周りもそんな与太話しは支援しようとは思わないだろう。
実は、本来、日本においてなら「トヨタ」や「Panasonic」の事業領域に打って出て、打ちのめす位の意気込みこそが本来求められるベンチャースピリットであり、その為の武器が今の社会環境において何になるか?という事こそが真面目に検討されるべきではないのか。
「Google」や「Amazon」だって、展開するスピードの速さは、「ホンダ」「Sony」の時代とは比べ物にならないが、一番最初に被害を受けたのは、米国のメディアや書店であったはずだ。
自動車や家電は日本の基幹産業でありながら、おかしな事に、これらの企業が今怯えているのは新興国のベンチャーに対してでる。
本来であれば、日本のベンチャーこそがそれを考えるべきで、大きな市場での新陳代謝こそが、その国の産業活力となる。
国が考えるベンチャー育成も、この点をもっと真剣に考えるべきである。
「トヨタ」や「Panasonic」を打ちのめす支援を・・・・だ。
そう考えなければ、日本から「Google」も「Amazon」も決して生まれる事は無いであろう。
既存の大企業の衰退とともに日本経済は没落していく事になる。
草食系ベンチャーとはなかなか上手い表現をするな~と関心したのだが、肝心な記事で紹介されている草食系は2社に留まり、後はインドや、アメリカのベンチャーの紹介と、ベンチャーの支援体制の違い。と、内容に関しては正直もう何百回と目にして、耳に聞いた内容で、この手の話しの結論は、いつもの日本はベンチャーを育てるマインドや制度が不足しているで終わり。
せめて、設立目的や、お金に関する拘り度、資金集めの方法、車やファッションに対する意識など、仮説立てした上で、調査を行い。時系列で企業家達の意識が如何に変化してきているのか?草食系増加のファクトと、それに基づくもう少し深い洞察が欲しい。その上で、今後のベンチャー育成はこうあるべきではないか?という提言が欲しい。
さて、何故日本からは「Google」や「Amazon」が生まれないのか?「ホンダ」や「Sony」だって昔はベンチャーだったではないか?
こう言った話しは、この記事に関わらず、数年前から至る所で議論されている。
政治家、官僚、財界人、成功した起業家、学者、評論家、マスコミといったいつもの顔ぶれが揃って・・・
でも小生も、走り出したばかりの起業家のはしくれとして言わせてもらえば、正直ピンと来ない。
確かに、ベンチャーを取巻く環境として、色々とハード面で見直す事。VCの充実や、国の支援(エンジェル税制など)、融資制度の見直しなど、取組むべき課題は多いと思う。しかしそれらの提言が、実行されたからと言って、日本から「Google」や「Amazon」規模に育つベンチャーが生まれてくるとは、とても思えない。
確かに、この問題を考えた時に、働く事に対しての意識の違い。しいては教育環境、社会環境の違いは非常に多くのウエイトを占めていると思う。
但し、こういった要因は、それこそ「Google」「Amazon」規模の成功事例が出てこないとなかなか変化しないのではないかとも思える。
社会環境が悪いから、育たないのか。育たないから、環境が変わらないのか。という鶏が先か卵が先かの問題の様にも思うが、ライブドア事件が、ベンチャーは「胡散臭い」「虚業」「拝金主義」とイメージを社会に植え付け、一層社会環境がベンチャーに対して閉じた環境になってしまった事を考えると、逆説的だが、やはり一つのムーブメントとして形になるものが生まれ、社会に認知されない限り難しいのではないかと考えてしまう。
この点を考えると、日本におけるベンチャーの位置付け、定義そのものに疑問符がつく。
日本で一般的に「ベンチャー」と認知されているキーワードは「新技術」「アイディア」「他国模倣」などが浮かぶ。
1.「新技術」はバイオやデバイス、ロボットや、IT技術などの先進性のある技術シーズの事業
2.「アイディア」は、技術的な先進性は認められないが、独創性を持ち、今まで誰も気づかなかった分野の事業
3.「他国模倣」は、あまりピンとこないかも知れないが、米国で流行したITサービスなどをいち早く日本で展開する事業
この三点でいうならば、実は日本で一番成功しているのは「他国模倣」だろう。「ブログ」や「ネット広告」「ソーシャルネットワーク」「EC(ElectricCommerce)」など、いわゆるIT系のサービスで、米国で流行したものを、日本でいち早く取り入れた事業。(先進性も独創性も認められない)
日本のベンチャーの成功例として取り上げられる企業。「楽天」や「SyberAgent」「Mixi」などをイメージすると早い。
1.「新技術」や2.「アイディア」の事業は、どうしてもニッチマーケットがターゲットとなっている為、スケール面での限界点が直ぐに来てしまうことが多い。
しかし、それなりに日本で成功している「他国模倣」においても、「模倣」であるが故、国内市場に留まってしまう。この意味では、そもそもの問題提起である、日本から何故「Google」や「Amazon」が・・・に関して、スケール面においてこちらも、既に回答ができ上がってしまっている。
即ち、日本のベンチャーを考える上で、決定的に欠けてている要因は、事業ドメインがそもそもスケールが求められる領域に居ない。という事なのだ。
「ホンダ」や「Sony」を考えた時に、確かに「新技術」や「アイディア」「他国模倣」全ての要素を持って立ちあがったが、戦う土壌がオーディオ、家電、バイク、自動車といった既に大きな市場が求められるメインストーリムにおいて勝負を挑んでいった。という事実が、今の日本でベンチャーを検討する際の観点から抜け落ちてしまっている。もちろん当時の日本の社会環境。即ち、低賃金、円安、労働意欲、勤勉性、潜在的技術力などの要因がそれを可能にしてきたという点では、現在は当時とは比較にならない程、変化してしまった。
さて、一方の「Google」や「Amazon」において、その収益を生む事業のドメインを考えると、その市場におけるコンペチターはよく言われる様な「Microsoft」や「IBM」、日本ならば「富士通」や「NEC」の領域では決してない。
(ちなみにSalesForceのコンペチターは「IBM」「富士通」「NEC」である。(面白い事にIBMは一部で業務提携する事はあってもSalesForceを売る事は無いが、富士通やNECといった会社は、いち早く「売る」事を表明してしまった。日本企業の戦略不在ぷりは、本当に・・・))
「Google」ならば、その収益の多くは、広告収益であり、コンペチターはメディア(TV、ラジオ、新聞、雑誌)もしくは広告代理店である事は少し考えれば解る。「Amazon」であれば、その本の販売が収益の中心を占め、コンペチターは、書店、流通(卸)、である。
この二社が、実際コンペチター達に与えた打撃は計り知れないものである。日本でも、マスコミや広告代理店、書店が窮地に立たされている事実と無縁では決してない。もともと大きな市場性の認められるメインストリームにおいて勝負しているのである。
「ホンダ」や「Sony」が当時の日本の社会環境を武器に既存のオーディオメーカーや、家電、自動車、バイクメーカーに挑み勝利した様に、近年の米国のベンチャーはITを武器にメインストーリームに打って出て勝利をおさめているのだ。
しかるに日本の場合、いつのまにか起業家側も、育成側(VCや国など)も、ベンチャー=ニッチマーケットであり、「新技術」や「アイディア」「他国模倣」に出資、投資するものという固定観念が出来てしまった。起業家も決してメインストリームに打って出る様な事を考えないし、周りもそんな与太話しは支援しようとは思わないだろう。
実は、本来、日本においてなら「トヨタ」や「Panasonic」の事業領域に打って出て、打ちのめす位の意気込みこそが本来求められるベンチャースピリットであり、その為の武器が今の社会環境において何になるか?という事こそが真面目に検討されるべきではないのか。
「Google」や「Amazon」だって、展開するスピードの速さは、「ホンダ」「Sony」の時代とは比べ物にならないが、一番最初に被害を受けたのは、米国のメディアや書店であったはずだ。
自動車や家電は日本の基幹産業でありながら、おかしな事に、これらの企業が今怯えているのは新興国のベンチャーに対してでる。
本来であれば、日本のベンチャーこそがそれを考えるべきで、大きな市場での新陳代謝こそが、その国の産業活力となる。
国が考えるベンチャー育成も、この点をもっと真剣に考えるべきである。
「トヨタ」や「Panasonic」を打ちのめす支援を・・・・だ。
そう考えなければ、日本から「Google」も「Amazon」も決して生まれる事は無いであろう。
既存の大企業の衰退とともに日本経済は没落していく事になる。
2009年10月26日月曜日
で、結局戦略って何?
で、結局戦略って何?
経営戦略、事業戦略、営業戦略、IT戦略・・・兎に角、ビジネスマンは「戦略」という言葉が好き。ミーティングでも必ず一回は「○○戦略」とか「戦略的には・・」という言葉が出てくる。
しかし、本当に「戦略」の意味が解って言っているのかかなり疑問を感じる。
以前、マネジメントの定義も人の数だけある。と書いた様に、「戦略」の定義も人の数だけある。と言ってよい。
日本語は、どんな単語も自国語に取り入れられるので便利は便利なんだが、言葉の曖昧さに関しては事業を行っていくにあたって相当不利があると言ってよい。
ビジョン、理念、ミッションステートメント、戦略、戦術、マネジメント、行動規範、ガバナンス、CSR、マーケティング、・・・さて諸兄はこれらの言葉の定義をちゃんと説明できる自信はあるだろうか?
小生も、適切に表現するとなると少し厳しい。いや、小生がこうであると言っても、「それは違う」と言われてしまえば、辞書を引きながら企業にあてはめると、この意味が正しいなど不毛な論戦で決着をつけるしかない。
結局、この様に曖昧な言葉が企業の中に蔓延しているという事は、軍隊でいうなら、
総大将が「あの山の麓を目指して、進軍せよ」と言い。
各現場の指揮官が「左四十五度に進軍!」。
中隊長が「南南西に進め」。
小隊長が指をさしながら、「あの方向に進め!」。
こんな状態といって良い。にも拘らず、いわゆる「カタカナ語」「社内用語」も含めるともう「言葉の定義」なんてあったものでは無いというのが、日本企業の現状だろう。
これではまともな指揮命令なんてできる訳も無いのだが・・・いや、むしろその曖昧さこそ、日本的サラリーマンの美徳かもしれない・・・
権限も責任も曖昧にしたまま調和しながら進んでいく。そう言えば「役人言葉」は一つの芸術に近い。
さて、「戦略」の英語はStrategyとなる訳だが、そう表現すると何か血生臭い戦争を思い起こしはしないだろうか?それは正しい。
「戦略」は相手がいて初めて成り立つ言葉なのである。
しかし、多くの人が口にしたり、表現する「戦略」の多くは、相手が不在な事が実に多い。
驚いた事に、一応それなりに有名なコンサルファームが策定した「戦略」にも相手が居なかったりする。
相手不在の戦略と一体は何か?これは「願望」といって間違えない。「戦略」が「単なる願望」になってしまっているケースだ。「○○エリアのシェアを○%UPするとか」、「商品ラインナップを充実させ客単価の向上を目指す」。とか、酷いのになると、ひたすら販売目標数字だけを羅列して、これがわが社の戦略だ!と、わけの解らない事をおっしゃる方すらいる。(一度、脳を精密検査してもらった方が良い)
個人で独立しているコンサルやってる方なんかだと平気で、「何を、誰に、どうやって」売るのか?が戦略だなんて恥ずかしげもなく言ってしまう。
このロジックだと、「100円で仕入れたスプーンを、主婦に、ネットで販売する」が「戦略」って事になってしまう(笑)。もう評論するレベルですら無い。
お客様を「敵」と表現するのは不遜な気がするが、企業戦略において相手=敵とは市場であり顧客である。
「味方精鋭艦隊を持って、敵主力艦隊を撃滅す」と言って、それが「戦略」だと言われたら現場はタマッタものでは無い。
販売の数値目標みたいなのを「戦略」と言ってしまっている人は「戦艦2隻、空母3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦10隻沈めるのが我が軍の戦略」と言っている様なもので。笑い話しにもならない。
戦争における「相手」が、出来るだけ少ない損害で最大の打撃を与えようと向かってくるのに、こんな「願望」を幾ら唱えた所で勝てるわけない。
企業においての「相手」も(toCだろうが、toBだろうが)、出来る限り支払いは少なく可能な限り良い商品を手に入れようと向かってくるのだ。100円で仕入れたスプーンなら、貴方が幾ら赤字になろうが、50円、10円で手に入れようとするのが相手なのだ。いや単純に「5円でも要りません」と言われておしまいの可能性もある。
孫子が「敵を知り、己をしれば百戦危うからず」といった様に、戦略は「まず相手がどう動くか」が基本なのだ。
「何を、誰に、どうやって」売るのか?では無く、
「誰が、何を、どうやって」買うのか?こそそが戦略の一番基礎に来なければおかしいのだ。それがあってどう動くかが戦略なのだ。
しかも、ややこしい事に「企業」の場合「相手」は市場や顧客だけでなく「競合」という、大きな軸も加わる。
即ち、顧客-競合-自社という3Cのフレームこそが、戦略の立案のベースとなる。
上につく言葉は兎も角、どんな次元の戦略であってもビジネスマンが戦略を口にするなら、全てこのフレームに当てはめて語られていなければおかしい。「経営戦略」「事業戦略」(マーケティング戦略というのは本来このレベルだが、「広告戦略」の意味で使われるケースが多い。)「営業,販売戦略」どんな次元でもだ。
ちなみに「IT戦略」というのは何を意味しているのか、さっぱり良く解りません(笑)、システム屋さんに意味を聞いて見て下さい。
「戦略が現場に落ちないって嘆いている経営者の方、「願望」を「戦略」といって現場に押し付けるのは止めませんか?」
「それ、単なる「ノルマ」ですから♪~~~~~残念~~~~~切腹!」
「そういうお前は?って聞いちゃ嫌。切り!!」
経営戦略、事業戦略、営業戦略、IT戦略・・・兎に角、ビジネスマンは「戦略」という言葉が好き。ミーティングでも必ず一回は「○○戦略」とか「戦略的には・・」という言葉が出てくる。
しかし、本当に「戦略」の意味が解って言っているのかかなり疑問を感じる。
以前、マネジメントの定義も人の数だけある。と書いた様に、「戦略」の定義も人の数だけある。と言ってよい。
日本語は、どんな単語も自国語に取り入れられるので便利は便利なんだが、言葉の曖昧さに関しては事業を行っていくにあたって相当不利があると言ってよい。
ビジョン、理念、ミッションステートメント、戦略、戦術、マネジメント、行動規範、ガバナンス、CSR、マーケティング、・・・さて諸兄はこれらの言葉の定義をちゃんと説明できる自信はあるだろうか?
小生も、適切に表現するとなると少し厳しい。いや、小生がこうであると言っても、「それは違う」と言われてしまえば、辞書を引きながら企業にあてはめると、この意味が正しいなど不毛な論戦で決着をつけるしかない。
結局、この様に曖昧な言葉が企業の中に蔓延しているという事は、軍隊でいうなら、
総大将が「あの山の麓を目指して、進軍せよ」と言い。
各現場の指揮官が「左四十五度に進軍!」。
中隊長が「南南西に進め」。
小隊長が指をさしながら、「あの方向に進め!」。
こんな状態といって良い。にも拘らず、いわゆる「カタカナ語」「社内用語」も含めるともう「言葉の定義」なんてあったものでは無いというのが、日本企業の現状だろう。
これではまともな指揮命令なんてできる訳も無いのだが・・・いや、むしろその曖昧さこそ、日本的サラリーマンの美徳かもしれない・・・
権限も責任も曖昧にしたまま調和しながら進んでいく。そう言えば「役人言葉」は一つの芸術に近い。
さて、「戦略」の英語はStrategyとなる訳だが、そう表現すると何か血生臭い戦争を思い起こしはしないだろうか?それは正しい。
「戦略」は相手がいて初めて成り立つ言葉なのである。
しかし、多くの人が口にしたり、表現する「戦略」の多くは、相手が不在な事が実に多い。
驚いた事に、一応それなりに有名なコンサルファームが策定した「戦略」にも相手が居なかったりする。
相手不在の戦略と一体は何か?これは「願望」といって間違えない。「戦略」が「単なる願望」になってしまっているケースだ。「○○エリアのシェアを○%UPするとか」、「商品ラインナップを充実させ客単価の向上を目指す」。とか、酷いのになると、ひたすら販売目標数字だけを羅列して、これがわが社の戦略だ!と、わけの解らない事をおっしゃる方すらいる。(一度、脳を精密検査してもらった方が良い)
個人で独立しているコンサルやってる方なんかだと平気で、「何を、誰に、どうやって」売るのか?が戦略だなんて恥ずかしげもなく言ってしまう。
このロジックだと、「100円で仕入れたスプーンを、主婦に、ネットで販売する」が「戦略」って事になってしまう(笑)。もう評論するレベルですら無い。
お客様を「敵」と表現するのは不遜な気がするが、企業戦略において相手=敵とは市場であり顧客である。
「味方精鋭艦隊を持って、敵主力艦隊を撃滅す」と言って、それが「戦略」だと言われたら現場はタマッタものでは無い。
販売の数値目標みたいなのを「戦略」と言ってしまっている人は「戦艦2隻、空母3隻、巡洋艦5隻、駆逐艦10隻沈めるのが我が軍の戦略」と言っている様なもので。笑い話しにもならない。
戦争における「相手」が、出来るだけ少ない損害で最大の打撃を与えようと向かってくるのに、こんな「願望」を幾ら唱えた所で勝てるわけない。
企業においての「相手」も(toCだろうが、toBだろうが)、出来る限り支払いは少なく可能な限り良い商品を手に入れようと向かってくるのだ。100円で仕入れたスプーンなら、貴方が幾ら赤字になろうが、50円、10円で手に入れようとするのが相手なのだ。いや単純に「5円でも要りません」と言われておしまいの可能性もある。
孫子が「敵を知り、己をしれば百戦危うからず」といった様に、戦略は「まず相手がどう動くか」が基本なのだ。
「何を、誰に、どうやって」売るのか?では無く、
「誰が、何を、どうやって」買うのか?こそそが戦略の一番基礎に来なければおかしいのだ。それがあってどう動くかが戦略なのだ。
しかも、ややこしい事に「企業」の場合「相手」は市場や顧客だけでなく「競合」という、大きな軸も加わる。
即ち、顧客-競合-自社という3Cのフレームこそが、戦略の立案のベースとなる。
上につく言葉は兎も角、どんな次元の戦略であってもビジネスマンが戦略を口にするなら、全てこのフレームに当てはめて語られていなければおかしい。「経営戦略」「事業戦略」(マーケティング戦略というのは本来このレベルだが、「広告戦略」の意味で使われるケースが多い。)「営業,販売戦略」どんな次元でもだ。
ちなみに「IT戦略」というのは何を意味しているのか、さっぱり良く解りません(笑)、システム屋さんに意味を聞いて見て下さい。
「戦略が現場に落ちないって嘆いている経営者の方、「願望」を「戦略」といって現場に押し付けるのは止めませんか?」
「それ、単なる「ノルマ」ですから♪~~~~~残念~~~~~切腹!」
「そういうお前は?って聞いちゃ嫌。切り!!」
2009年8月10日月曜日
栗鼠と虎どちらが怖い?
リストラ
以前にも触れた話題で恐縮だが、またこの事に触れたいと思う。
今、私の知っている経営者の方々の最大の関心事はやはりこの事が中心の様だ。
大企業を中心に回復傾向と伝えられるが、だからと言って設備投資が回復しているかというと、どうも実態としてはそうではない、あくまでも、縮小均衡といったイメージを拭えない。
今本当に苦しいのは中堅、中小だろう。
売上半減という話しをざらに聞く、一時期のインパクトとして単月や3ヶ月位が半減ならまだ許容の範囲だろうが、半減がずっと続き、回復の目処が立たないのだから、当然キツイ。
その様な中で小生が話しを聞いた経営者は、「レイオフ」では無く「リストラ」として人員削減を検討している。そして、その対象は50歳を超えた様な、ベテラン社員に向けられている。
何故か?コスト(給料)が高いから?
では無くって、はっきり一言で言ってしまうなら「無能」だからだ。
普通にコストが高くても、それに対してあまりあるリターンが得られるならば、当然ながら人員削減の対象にはならない。
経営者に直接話しを聞くと、
「単に無能なだけならばまだ良いが、周りにまで悪影響を及ぼしている」
「幾ら指導しても言い訳ばかりで変わろうとしない」
高度成長期~バブル期に、長く、サラリーマンを務めていた為、その価値観を変えられない。
こういう人物は事実一杯居る。小生自身も過去この手の人物に随分と苦しめられた経験がある。
小生自身は、この人物を活かす方法を、悩んで悩んで、悩みまくっているのに本人はどこ吹く風で、今のままでも「上手くごましきれる」と考えているのだから本当にタチが悪い。どこで訓練されたのか、ウソといい訳だけは超一流。
それでも渡っていけたのがバブルであり、それはそれで一流の処世術で、ある意味高度なスキルとも言える。
もちろんそれなりに、業績が良ければ何とか活かそうと考えられるのだが、今の状況ではそうも行かない。
それに、中堅、中小企業にとっては今は若くて優秀な社員を採用できる、千載一遇のチャンスなのだ。
経済の合理性で言うならば、この様な社員が居続ける事は甚だ非合理だ。
しかし経営者だからと言って、外資の様にドライに、キャビネットに鍵を掛け、入館証を没収して、明日から来るな。と、出来る訳でもない。人情もあるし、法的な事もある。
被削減対象者側はどうであろう。
長年奉仕して来て、50歳を超えてから、突然首を切られて放りだされるのだから、納得がいく訳が無い。
普通に考えて、再就職は難しいだろう・・・家族はどうなるのか・・・
殆ど経営者も、やはりその事を思う人が多い。
考えみれば、小生もサラリーマン時代、役職が付いて、チームなり部署なりを取り仕切る様になってからは殆ど人の事で悩んでいた。部署の業績とかの「結果」なんて、ある意味なる様にしかならないと割り切れる。
「人事を尽くして天命を待つ」で、駄目だったら、駄目で、全然悩まない。降格なり、退職なりなんらかの責任を取れば良いだけの事。
問題はどうやって「人事を尽くすか」って事だが、戦略とか戦術とかプロセスとか言ったところで、所詮それを実行するのは人。ヒト。人間。
小生が、示した方針なんて、その人だけは、どこ吹く風で、わが道を行く。
しかも、当時、明確な人事権を与えられていた訳では無いのだから、悩みは経営者以上だったかもしれない。
責任はあるが、権限が無いのだから・・・
話しはそれるが、この時は、本社の無理解にホトホト苦労した。
その時は、明確な人事権どころか、評価体系ですら、本社に合わせなくてはならなかった。
拠点の立ち上げと、既に立ち上がりきっている(ついでに腐ってきている)本社ではやるべき事は全く違う。
サービス提供や、営業活動、イベントの企画、と言ったコアな業務から備品の発注といった、本当に細々な業務まで、ルールも無い中で、一つ一つ少ないメンバーがマルチに対応して回さなくていけないのに、本社(東京)の売上達成基準やサービスの提供回数で評価されるんだからメンバーが不憫で仕方が無かった。
しかも商材は、東京でも1年~3年位の期間を取らなければ決まらない様な商材だ。
経済規模は30分の1、地元に信頼されて足場を作って、コツコツと実績を重ねて、なんとか結果が出る。
更に、小生が赴任した時は大きなマイナス要因もあり、本当に愕然とした。
しかも、こういう当り前の事を、上や、本社に「この状況をなんとかしてくれ。」と言っても話しが全く通じないのだ。
小生が何を訴えているのか、理解ができないのだから会話が成立しない。
ベンチャーの場合。なんと無くブームに乗って、成長してきただけだで適当にあいつは良くやっているからとか、成績が良かったから、とか、前職が大企業の部長だったから、とかそんな理由で役員とかになってるので、基本的な企業組織の運営がどうあるべきかが、常識的な範囲ですら解らないのだ。
それと、当り前だが、出来ない人間が、どれだけ駄目かなんて事は本社からは全く見えていのだ。
腐っても仕方が無いので、与えられた環境で最善を尽くすしかない。
一応、小生が自身で定めた任期の間で、マイナス要因も完全に除去したし、事業体としての形も作ったと自負しているので、自分の仕事にはそれなりに満足している。
しかし、やるべき事が解っているのに、環境によって妥協しなければいけないという事ほど辛い事は無い。
少し、愚痴っぽくなってしまった・・・しかし、どんなに悪環境でも、腐らずに、前を向いて仕事をしていれば、自身の成長という、お金や地位では無い最高の報酬を得られる。
その意味では、この時、所属していた会社には本当に感謝している。
さて、話しを戻そう。
以前、「クビ切りという麻薬」と言うのを書いた。
小生はリストラ反対論者なのかというと全く違う。幸か不幸か企業という組織は常に進化し続けなくては存続する事はできない。
会社を新しい成長ステージに入るにあたって、変革を拒み続ける様な社員は、やはりその組織から外れ、違う場所で自分が活かせる仕事を探してもらった方が健全だと思う。
また、その一方で、どこに向かおうとしているのかも社員に示さず、急場しのぎに「首切り」を行う様な行為には激しい違和感を覚える。
その場合、退場するのは、まず経営者からであるべきではなかろうか。
出勤など勤務状況も、問題が無く、まじめに仕事に取り組んでいるのに、経営者の一方的な都合で解雇するのは非人道的な行為である。
とするのは感情論として確かに同意できるのだが、国家が労働の流動性を法律で縛る様な行為には、結局は国の産業を衰退させ、逆に多くの失業者を生む事になるだろう。
現時点で、法律では従業員側が圧倒的に保護されている。問題になった時、労働者の話しは聞くが、経営側の意見が聞かれる事は無い。
(問題になった時理由は聞かれるが・・)
結局、小生の実感としては、法律に触れない様に上手く自主退職に追い込む事が常套手段として用いられてしまい、法律が機能していないのが現状だと思う。
労働組合も、一部の過激なイデオロギーと同質化し、組合の強さが経営に悪影響を与える事が既知となってからは伝統的大企業以外は、殆ど機能していないのが現状だ。
その事は逆に裏を返せば、従業員は常にその能力を評価されるのにも関わらず、経営者はその能力を評価される事は無いという問題が見えてくる。即ち従業員は殆ど経営が適切に行われているか、不適切であるか、関係なく、解雇などのリスクを負っている為に、様々な権利を与えてこれを保護しようと言うのが今の仕組みである。
上場会社であれば、売上や利益など、経営指標で評価できるだろう?と思うのは大間違いである。
無能な経営者でも、殆ど宗教ばりのマインドコントロールで従業員をこき使って成果を上げていたり、今回のリーマンショックが示した様に、何の倫理感も無く、ただただ強欲に利益を求めて結果を出しているのかもしれない。そして何より、経営指標に表れる数字は、経営者の能力では無く、経営者と従業員の両方の能力の総和なのである。
従って、経営者が駄目であれば、株主が経営者のクビを切れるので、経営の健全性が保てると言うのは大いなる誤解であると言わざる負えない。
実際、ヒルズに芸能人を囲ったり、高級外車を何台も会社名義で購入したりするクセに、社員は散々こき使って、使い捨てにする様な頭のおかしい連中は言うに及ばず、素行は品行方正でも、無能な経営者の犠牲となっている社員は多く存在する。
では、どうするか?いわゆる法律的な判断や、IR的な指標のみで、経営者の正当性を判断するのでは無く、まず経営として正当性、妥当性を評価でき、改善指示、場合によっては経営者の退場を求められる仕組みの構築こそ急がれるべきだ。
小生のアイディアとしては、以下二点。
一つは、有名無実化している監査役をしっかり機能させ、さらに株主に対して経営の健全性を担保するに留まらず、従業員かの視点や社会道義的な面を加え多角的に経営の健全性をチェックできる仕組みを構築。
二つ目は、労働組合の存在目的を単に賃金の交渉や、雇用解雇の面から、労使協議を行うと言った経営者vs従業員(正社員)と言った存在理由を大幅に見直し、経営自体への高次元に積極関与。例えば法人企業が営利目的である以上、経済の合理性から見て、組合側から社員、管理職、役員の改善や退場を指示できる仕組みの構築など。
この様な取組によって経営(者)自身の正当性が、まずしっかりと評価される仕組みが出来てこそ、労働の自由化(雇用、解雇に関する規制を大幅に緩和する)に関する議論に移れるのでは無いだろうか?
無論、現状の法律においても、充分に機能していれば、経営の健全性はある程度、評価できる様に思われるが、現実問題としてこれらが有効に機能しているとは言い難い状況である。
しかし、やっぱりというか、なんというか、経済合理性から見た、弱肉強食、弱者切り捨ての労働自由化政策か、労働者を手厚く保護する過保護な国民総ニート政策かの二元論で論じられてしまっている感が強い。
(もちろん、民主主義におていは、人数が多い後者の方が有利で、前者は圧倒的マイノリティ(地方では少々違うと思うが)であって、自民も民主もどちらかというと、如何に上手く後者に歩み寄るかの議論ばかりなので、前者を掲げる政党があっても面白いと思うのだが・・・
まあ。ホワイトカラーエグゼンプションを「残業代未払い法案」とか言って議論もせずに潰す様な我が国では自殺行為に近いケド)
勿論、小生のアイディアも、経営の健全性を評価する人や組織が、秘密警察の様に機能してしまい、結果、企業を衰退させる結果になる危険性があるので、充分な議論が必要な事は当然だ。
しかし、国の経済のグロスが伸びない限り、限られたパイを奪い合う椅子取りゲームは続く。能力では無く、たまたま生まれた年が良いと椅子に座り続けられて、生まれた年が悪いと椅子は全て埋まっていて、ゲームに参加すらできないと言った状況は、健全な競争を阻害していると言わざる負えない。
健全な競争には、健全なルールが必要だ。
いずれにせよ、真に大人の議論をしないと本当にこの国は駄目になると、勝手に一人で危機感を高めている今日この頃・・・
以前にも触れた話題で恐縮だが、またこの事に触れたいと思う。
今、私の知っている経営者の方々の最大の関心事はやはりこの事が中心の様だ。
大企業を中心に回復傾向と伝えられるが、だからと言って設備投資が回復しているかというと、どうも実態としてはそうではない、あくまでも、縮小均衡といったイメージを拭えない。
今本当に苦しいのは中堅、中小だろう。
売上半減という話しをざらに聞く、一時期のインパクトとして単月や3ヶ月位が半減ならまだ許容の範囲だろうが、半減がずっと続き、回復の目処が立たないのだから、当然キツイ。
その様な中で小生が話しを聞いた経営者は、「レイオフ」では無く「リストラ」として人員削減を検討している。そして、その対象は50歳を超えた様な、ベテラン社員に向けられている。
何故か?コスト(給料)が高いから?
では無くって、はっきり一言で言ってしまうなら「無能」だからだ。
普通にコストが高くても、それに対してあまりあるリターンが得られるならば、当然ながら人員削減の対象にはならない。
経営者に直接話しを聞くと、
「単に無能なだけならばまだ良いが、周りにまで悪影響を及ぼしている」
「幾ら指導しても言い訳ばかりで変わろうとしない」
高度成長期~バブル期に、長く、サラリーマンを務めていた為、その価値観を変えられない。
こういう人物は事実一杯居る。小生自身も過去この手の人物に随分と苦しめられた経験がある。
小生自身は、この人物を活かす方法を、悩んで悩んで、悩みまくっているのに本人はどこ吹く風で、今のままでも「上手くごましきれる」と考えているのだから本当にタチが悪い。どこで訓練されたのか、ウソといい訳だけは超一流。
それでも渡っていけたのがバブルであり、それはそれで一流の処世術で、ある意味高度なスキルとも言える。
もちろんそれなりに、業績が良ければ何とか活かそうと考えられるのだが、今の状況ではそうも行かない。
それに、中堅、中小企業にとっては今は若くて優秀な社員を採用できる、千載一遇のチャンスなのだ。
経済の合理性で言うならば、この様な社員が居続ける事は甚だ非合理だ。
しかし経営者だからと言って、外資の様にドライに、キャビネットに鍵を掛け、入館証を没収して、明日から来るな。と、出来る訳でもない。人情もあるし、法的な事もある。
被削減対象者側はどうであろう。
長年奉仕して来て、50歳を超えてから、突然首を切られて放りだされるのだから、納得がいく訳が無い。
普通に考えて、再就職は難しいだろう・・・家族はどうなるのか・・・
殆ど経営者も、やはりその事を思う人が多い。
考えみれば、小生もサラリーマン時代、役職が付いて、チームなり部署なりを取り仕切る様になってからは殆ど人の事で悩んでいた。部署の業績とかの「結果」なんて、ある意味なる様にしかならないと割り切れる。
「人事を尽くして天命を待つ」で、駄目だったら、駄目で、全然悩まない。降格なり、退職なりなんらかの責任を取れば良いだけの事。
問題はどうやって「人事を尽くすか」って事だが、戦略とか戦術とかプロセスとか言ったところで、所詮それを実行するのは人。ヒト。人間。
小生が、示した方針なんて、その人だけは、どこ吹く風で、わが道を行く。
しかも、当時、明確な人事権を与えられていた訳では無いのだから、悩みは経営者以上だったかもしれない。
責任はあるが、権限が無いのだから・・・
話しはそれるが、この時は、本社の無理解にホトホト苦労した。
その時は、明確な人事権どころか、評価体系ですら、本社に合わせなくてはならなかった。
拠点の立ち上げと、既に立ち上がりきっている(ついでに腐ってきている)本社ではやるべき事は全く違う。
サービス提供や、営業活動、イベントの企画、と言ったコアな業務から備品の発注といった、本当に細々な業務まで、ルールも無い中で、一つ一つ少ないメンバーがマルチに対応して回さなくていけないのに、本社(東京)の売上達成基準やサービスの提供回数で評価されるんだからメンバーが不憫で仕方が無かった。
しかも商材は、東京でも1年~3年位の期間を取らなければ決まらない様な商材だ。
経済規模は30分の1、地元に信頼されて足場を作って、コツコツと実績を重ねて、なんとか結果が出る。
更に、小生が赴任した時は大きなマイナス要因もあり、本当に愕然とした。
しかも、こういう当り前の事を、上や、本社に「この状況をなんとかしてくれ。」と言っても話しが全く通じないのだ。
小生が何を訴えているのか、理解ができないのだから会話が成立しない。
ベンチャーの場合。なんと無くブームに乗って、成長してきただけだで適当にあいつは良くやっているからとか、成績が良かったから、とか、前職が大企業の部長だったから、とかそんな理由で役員とかになってるので、基本的な企業組織の運営がどうあるべきかが、常識的な範囲ですら解らないのだ。
それと、当り前だが、出来ない人間が、どれだけ駄目かなんて事は本社からは全く見えていのだ。
腐っても仕方が無いので、与えられた環境で最善を尽くすしかない。
一応、小生が自身で定めた任期の間で、マイナス要因も完全に除去したし、事業体としての形も作ったと自負しているので、自分の仕事にはそれなりに満足している。
しかし、やるべき事が解っているのに、環境によって妥協しなければいけないという事ほど辛い事は無い。
少し、愚痴っぽくなってしまった・・・しかし、どんなに悪環境でも、腐らずに、前を向いて仕事をしていれば、自身の成長という、お金や地位では無い最高の報酬を得られる。
その意味では、この時、所属していた会社には本当に感謝している。
さて、話しを戻そう。
以前、「クビ切りという麻薬」と言うのを書いた。
小生はリストラ反対論者なのかというと全く違う。幸か不幸か企業という組織は常に進化し続けなくては存続する事はできない。
会社を新しい成長ステージに入るにあたって、変革を拒み続ける様な社員は、やはりその組織から外れ、違う場所で自分が活かせる仕事を探してもらった方が健全だと思う。
また、その一方で、どこに向かおうとしているのかも社員に示さず、急場しのぎに「首切り」を行う様な行為には激しい違和感を覚える。
その場合、退場するのは、まず経営者からであるべきではなかろうか。
出勤など勤務状況も、問題が無く、まじめに仕事に取り組んでいるのに、経営者の一方的な都合で解雇するのは非人道的な行為である。
とするのは感情論として確かに同意できるのだが、国家が労働の流動性を法律で縛る様な行為には、結局は国の産業を衰退させ、逆に多くの失業者を生む事になるだろう。
現時点で、法律では従業員側が圧倒的に保護されている。問題になった時、労働者の話しは聞くが、経営側の意見が聞かれる事は無い。
(問題になった時理由は聞かれるが・・)
結局、小生の実感としては、法律に触れない様に上手く自主退職に追い込む事が常套手段として用いられてしまい、法律が機能していないのが現状だと思う。
労働組合も、一部の過激なイデオロギーと同質化し、組合の強さが経営に悪影響を与える事が既知となってからは伝統的大企業以外は、殆ど機能していないのが現状だ。
その事は逆に裏を返せば、従業員は常にその能力を評価されるのにも関わらず、経営者はその能力を評価される事は無いという問題が見えてくる。即ち従業員は殆ど経営が適切に行われているか、不適切であるか、関係なく、解雇などのリスクを負っている為に、様々な権利を与えてこれを保護しようと言うのが今の仕組みである。
上場会社であれば、売上や利益など、経営指標で評価できるだろう?と思うのは大間違いである。
無能な経営者でも、殆ど宗教ばりのマインドコントロールで従業員をこき使って成果を上げていたり、今回のリーマンショックが示した様に、何の倫理感も無く、ただただ強欲に利益を求めて結果を出しているのかもしれない。そして何より、経営指標に表れる数字は、経営者の能力では無く、経営者と従業員の両方の能力の総和なのである。
従って、経営者が駄目であれば、株主が経営者のクビを切れるので、経営の健全性が保てると言うのは大いなる誤解であると言わざる負えない。
実際、ヒルズに芸能人を囲ったり、高級外車を何台も会社名義で購入したりするクセに、社員は散々こき使って、使い捨てにする様な頭のおかしい連中は言うに及ばず、素行は品行方正でも、無能な経営者の犠牲となっている社員は多く存在する。
では、どうするか?いわゆる法律的な判断や、IR的な指標のみで、経営者の正当性を判断するのでは無く、まず経営として正当性、妥当性を評価でき、改善指示、場合によっては経営者の退場を求められる仕組みの構築こそ急がれるべきだ。
小生のアイディアとしては、以下二点。
一つは、有名無実化している監査役をしっかり機能させ、さらに株主に対して経営の健全性を担保するに留まらず、従業員かの視点や社会道義的な面を加え多角的に経営の健全性をチェックできる仕組みを構築。
二つ目は、労働組合の存在目的を単に賃金の交渉や、雇用解雇の面から、労使協議を行うと言った経営者vs従業員(正社員)と言った存在理由を大幅に見直し、経営自体への高次元に積極関与。例えば法人企業が営利目的である以上、経済の合理性から見て、組合側から社員、管理職、役員の改善や退場を指示できる仕組みの構築など。
この様な取組によって経営(者)自身の正当性が、まずしっかりと評価される仕組みが出来てこそ、労働の自由化(雇用、解雇に関する規制を大幅に緩和する)に関する議論に移れるのでは無いだろうか?
無論、現状の法律においても、充分に機能していれば、経営の健全性はある程度、評価できる様に思われるが、現実問題としてこれらが有効に機能しているとは言い難い状況である。
しかし、やっぱりというか、なんというか、経済合理性から見た、弱肉強食、弱者切り捨ての労働自由化政策か、労働者を手厚く保護する過保護な国民総ニート政策かの二元論で論じられてしまっている感が強い。
(もちろん、民主主義におていは、人数が多い後者の方が有利で、前者は圧倒的マイノリティ(地方では少々違うと思うが)であって、自民も民主もどちらかというと、如何に上手く後者に歩み寄るかの議論ばかりなので、前者を掲げる政党があっても面白いと思うのだが・・・
まあ。ホワイトカラーエグゼンプションを「残業代未払い法案」とか言って議論もせずに潰す様な我が国では自殺行為に近いケド)
勿論、小生のアイディアも、経営の健全性を評価する人や組織が、秘密警察の様に機能してしまい、結果、企業を衰退させる結果になる危険性があるので、充分な議論が必要な事は当然だ。
しかし、国の経済のグロスが伸びない限り、限られたパイを奪い合う椅子取りゲームは続く。能力では無く、たまたま生まれた年が良いと椅子に座り続けられて、生まれた年が悪いと椅子は全て埋まっていて、ゲームに参加すらできないと言った状況は、健全な競争を阻害していると言わざる負えない。
健全な競争には、健全なルールが必要だ。
いずれにせよ、真に大人の議論をしないと本当にこの国は駄目になると、勝手に一人で危機感を高めている今日この頃・・・
2009年7月17日金曜日
経営に感情なんて要らない
「経営に感情なんて要らない」
過激なタイトルで、済みません。
リーマンショック以降の経済危機で、MBA的な合理的で、理論に頼った経営が否定される傾向にある。
人を大事にして、長期的な視点に立つ日本的な経営を忘れてしまった為に、日本企業も駄目になってしまった。今こそ日本型経営に戻るべし。
こういう論調が目立つ様になってきた。
MBA的な合理的で理論に頼った経営が、職場の環境をギスギスさせ、鬱病を蔓延させ、結果競争力を失った。
この手の記事や本が指摘している状況は、確かに今の日本企業の多くの現状であるとは思う。しかしこの主因として、米国流経営の否定というのは無理が有りすぎる。恐らくは、
・MBAエリート主義への反発
・合理性の至上主義への反発(様はリストラ(正確にはレイオフ)への反発。
・成果主義的、スタンドプレーへの反発
センセーショナルに物事を伝える為に、日本の企業人の多くが思っているこの様な気持ちを上手く汲むキャチフレーズとして、この様な表現を用いているのであって、本気でそうとは考えていないとは思うが・・・
この様な世情を反映してか、今は社員のモチベーションを向上させる為の取り組み、成果主義の見直しなどがしきりと取組まれている様だ・・・
また、もっと人の感情を大事にしよう。企業理念を共有して、労使が志を皆で共有し一丸で企業運営をしていこう。
こういう言葉がとても目立つ。
なぁ~に、
でも、これらは、格別今か始った事ではなく小生がサラリーマン時代も、この手の研修は何度か受けた事があるし、会社イベントの毎に、「○○精神の唱和」なんって言うのをやらされていた時期があった。リッツカールトンのクレド宜しく、企業理念をパウチッコ?されたものを強制携帯させられたりした事もあった。(携帯していないのがバレると、特別警察に絞られる(笑))
でも、経営者の想いとは裏腹に、小生は「はっきり言って余計なお世話。」「バッカじゃねぇの?」としか思わなかった。
なかんずく、研修の内容がなかなかのモノであったとしても、そこで一旦向上したモチベーションは、現実の職場と、業務に一週間もすれば、うち砕かれた。むしろ砕かれた反動で、以前よりやる気をなくした。
全くの不良社員だ。小生はやっぱりひねくれているのだろうか?(笑)
いや、この点に関しては他の社員も同様であった様だ。
「経営に感情は持ちこむな。必要な事は徹底した理論だけだ。」
いやぁ勿論、経営者にも感情はある。しかし経営に感情を持ち込むとどうなるか?
「あいつも、良い年だし頑張っている見たいだから、そろそろ部長にしてやるか」
「あの取引先には、要求が厳しくて腹が立つ、景気が回復した、らこっちから断ってやる」
まあ、こんな酷いのは例外として、良くあるのがやっぱり、
「うちの社員はレベルが低いうえに、モチベーションも低い」「もっと社員ががんばれば、ウチの商品はもっと売れて良いはずだ。どうすれば社員達が熱くなるのか?」こういう話しだ。
それで「熱い魂で」とか「全社一丸で」とか口走る。
ちなみにこういう会社には大体、社長の愚痴聞き役のお抱えコンサルタントがいて、「整理整頓の徹底」とか「挨拶の徹底」とか、こういう取組をよくやっている。
確かに、整理整頓や挨拶といった基本的な事が出来ていない会社は駄目だと小生も思う。しかしそれを口うるさく言った所で大抵会社は変わらない。
何故なら、社員達がもっとも餓えているのは、具体的な「勝ち方」なのだ。「これをやれば会社が良くなる」という事が腹に落ちて、初めて
社員達は熱く燃え上がる。結果として、挨拶が大きな声でハキハキとできる様になり、整理整頓も行われる。腹に落とすには、具体的で理論的でなければ駄目だ。
全く「勝ち目」が見えていないのに、「やる気」を出せと言われても、余計なお世話でしかない。
「勝ち目」が見えないから、どうやってベストな状態で「逃げる」かを考えているのだから・・・
具体的な「勝ち方」とは何か?それは即ち、徹底した勝つ為の理論でしかない。
兵士がもっと頑張れば戦いに勝てる!なんていう大将には絶対について行きたく無い。
「死兵」という言葉がある。
死を覚悟して、奮起した兵隊達の事である。これは大将が感情的に振る舞う事で、兵がその様な状態になるのでは無く、むしろ己を捨てて、その戦いの意義や、正義を追求する姿勢に共感が生まれ、兵がこの大将の為なら、死んでも構わないと思うのではないのか?
兵士自体の質は全くの無関係なのだ。現に、大坂の陣での後藤基次や真田雪村(信繁)の兵の殆どは、寄せ集めの浪人だったが、兵達はその様な状態にあったという。
では、企業における、正義や志とは何ぞや?高い社会性を持つ事と同時に、やはり売上を上げて利益を上げなくていけない。
理論を破棄して、感情や情緒に振り回される事の危険性は先の大戦で日本人がもっと学んだ事では無いのか?
「お国の為に」「精神力で勝つ」「鬼畜米英」・・・
(中央公論社から出版されている「失敗の本質」という本がお勧めだ。軍事マニアには物足りないと思うが・・・)
即ち、「米国流合理主義経営」が駄目なのでは無く、
根っこにある部分が、「経営者自身の名声、金銭、欲望」の為に理論を構築するのか?「社会正義、意義、志」の為に理論をを構築するかの違いであって、米国人経営者が全員前者で、日本人経営者が全員後者である筈も無い。
また「社会正義、意義、志」だけで、具体的に「ではどうするのか?」が無ければ、これは単なるホラ吹きな夢想家だ。
「理論」や「理屈」を否定するのは簡単だし、
「優しさ」や「怒り」をもっと表現しよう。「共感」を大事にしよう。というのも、なんとなくカッコが良い。
しかし現実は「優しさ」は差別を生み、「怒り」は反感を買い、「共感」は排他となる。
もし本当に燃える様な志を持っているならば、昼夜を問わず、どうすれば「志」を仲間達と達する事が出来るのか方法論を考え続け、試行錯誤するものだ。それに必要なのは「理論」であり、逆に「感情」とは戦い続ける必要がある。
でも現実的には「竹やりでB29を撃墜せよ!」って命令している経営者が一杯いるのが現状かな?・・・クワバラ、クワバラ
過激なタイトルで、済みません。
リーマンショック以降の経済危機で、MBA的な合理的で、理論に頼った経営が否定される傾向にある。
人を大事にして、長期的な視点に立つ日本的な経営を忘れてしまった為に、日本企業も駄目になってしまった。今こそ日本型経営に戻るべし。
こういう論調が目立つ様になってきた。
MBA的な合理的で理論に頼った経営が、職場の環境をギスギスさせ、鬱病を蔓延させ、結果競争力を失った。
この手の記事や本が指摘している状況は、確かに今の日本企業の多くの現状であるとは思う。しかしこの主因として、米国流経営の否定というのは無理が有りすぎる。恐らくは、
・MBAエリート主義への反発
・合理性の至上主義への反発(様はリストラ(正確にはレイオフ)への反発。
・成果主義的、スタンドプレーへの反発
センセーショナルに物事を伝える為に、日本の企業人の多くが思っているこの様な気持ちを上手く汲むキャチフレーズとして、この様な表現を用いているのであって、本気でそうとは考えていないとは思うが・・・
この様な世情を反映してか、今は社員のモチベーションを向上させる為の取り組み、成果主義の見直しなどがしきりと取組まれている様だ・・・
また、もっと人の感情を大事にしよう。企業理念を共有して、労使が志を皆で共有し一丸で企業運営をしていこう。
こういう言葉がとても目立つ。
なぁ~に、
でも、これらは、格別今か始った事ではなく小生がサラリーマン時代も、この手の研修は何度か受けた事があるし、会社イベントの毎に、「○○精神の唱和」なんって言うのをやらされていた時期があった。リッツカールトンのクレド宜しく、企業理念をパウチッコ?されたものを強制携帯させられたりした事もあった。(携帯していないのがバレると、特別警察に絞られる(笑))
でも、経営者の想いとは裏腹に、小生は「はっきり言って余計なお世話。」「バッカじゃねぇの?」としか思わなかった。
なかんずく、研修の内容がなかなかのモノであったとしても、そこで一旦向上したモチベーションは、現実の職場と、業務に一週間もすれば、うち砕かれた。むしろ砕かれた反動で、以前よりやる気をなくした。
全くの不良社員だ。小生はやっぱりひねくれているのだろうか?(笑)
いや、この点に関しては他の社員も同様であった様だ。
「経営に感情は持ちこむな。必要な事は徹底した理論だけだ。」
いやぁ勿論、経営者にも感情はある。しかし経営に感情を持ち込むとどうなるか?
「あいつも、良い年だし頑張っている見たいだから、そろそろ部長にしてやるか」
「あの取引先には、要求が厳しくて腹が立つ、景気が回復した、らこっちから断ってやる」
まあ、こんな酷いのは例外として、良くあるのがやっぱり、
「うちの社員はレベルが低いうえに、モチベーションも低い」「もっと社員ががんばれば、ウチの商品はもっと売れて良いはずだ。どうすれば社員達が熱くなるのか?」こういう話しだ。
それで「熱い魂で」とか「全社一丸で」とか口走る。
ちなみにこういう会社には大体、社長の愚痴聞き役のお抱えコンサルタントがいて、「整理整頓の徹底」とか「挨拶の徹底」とか、こういう取組をよくやっている。
確かに、整理整頓や挨拶といった基本的な事が出来ていない会社は駄目だと小生も思う。しかしそれを口うるさく言った所で大抵会社は変わらない。
何故なら、社員達がもっとも餓えているのは、具体的な「勝ち方」なのだ。「これをやれば会社が良くなる」という事が腹に落ちて、初めて
社員達は熱く燃え上がる。結果として、挨拶が大きな声でハキハキとできる様になり、整理整頓も行われる。腹に落とすには、具体的で理論的でなければ駄目だ。
全く「勝ち目」が見えていないのに、「やる気」を出せと言われても、余計なお世話でしかない。
「勝ち目」が見えないから、どうやってベストな状態で「逃げる」かを考えているのだから・・・
具体的な「勝ち方」とは何か?それは即ち、徹底した勝つ為の理論でしかない。
兵士がもっと頑張れば戦いに勝てる!なんていう大将には絶対について行きたく無い。
「死兵」という言葉がある。
死を覚悟して、奮起した兵隊達の事である。これは大将が感情的に振る舞う事で、兵がその様な状態になるのでは無く、むしろ己を捨てて、その戦いの意義や、正義を追求する姿勢に共感が生まれ、兵がこの大将の為なら、死んでも構わないと思うのではないのか?
兵士自体の質は全くの無関係なのだ。現に、大坂の陣での後藤基次や真田雪村(信繁)の兵の殆どは、寄せ集めの浪人だったが、兵達はその様な状態にあったという。
では、企業における、正義や志とは何ぞや?高い社会性を持つ事と同時に、やはり売上を上げて利益を上げなくていけない。
理論を破棄して、感情や情緒に振り回される事の危険性は先の大戦で日本人がもっと学んだ事では無いのか?
「お国の為に」「精神力で勝つ」「鬼畜米英」・・・
(中央公論社から出版されている「失敗の本質」という本がお勧めだ。軍事マニアには物足りないと思うが・・・)
即ち、「米国流合理主義経営」が駄目なのでは無く、
根っこにある部分が、「経営者自身の名声、金銭、欲望」の為に理論を構築するのか?「社会正義、意義、志」の為に理論をを構築するかの違いであって、米国人経営者が全員前者で、日本人経営者が全員後者である筈も無い。
また「社会正義、意義、志」だけで、具体的に「ではどうするのか?」が無ければ、これは単なるホラ吹きな夢想家だ。
「理論」や「理屈」を否定するのは簡単だし、
「優しさ」や「怒り」をもっと表現しよう。「共感」を大事にしよう。というのも、なんとなくカッコが良い。
しかし現実は「優しさ」は差別を生み、「怒り」は反感を買い、「共感」は排他となる。
もし本当に燃える様な志を持っているならば、昼夜を問わず、どうすれば「志」を仲間達と達する事が出来るのか方法論を考え続け、試行錯誤するものだ。それに必要なのは「理論」であり、逆に「感情」とは戦い続ける必要がある。
でも現実的には「竹やりでB29を撃墜せよ!」って命令している経営者が一杯いるのが現状かな?・・・クワバラ、クワバラ
2009年6月25日木曜日
三河の魂、千まで。
6月23日に兼ねてから言われていた様に、トヨタ自動車の社長に豊田章男氏が就任した。
これは昨年末経済危機の後の方針では無く、2007年位にはもう次期社長は章男氏であると言われていた。
当時、小生はサラリーマンで名古屋に赴任していた為、この辺の情報はかなり敏感だった。やっぱり東京で仕事している時より遥かに意識する。
その当時、親しかった外資系コンサルファームの名古屋事務所のマネージャとお酒を飲みながらこんな会話をした記憶がある。
コンサルW氏としよう。専門はMA。元々例の米不正会計事件で無くなったファームの出身で、事件後、トヨタ系の商社に勤めたが、耐えきれずにまたコンサルに戻ったというキャリアという方だ。また奥さんはご両親ともに三河出身で、トヨタを辞めるなんてあり得ない。理解不能と言われ随分苦労したそうだ(笑)
~~~
W氏:「あのトヨタですら、創業一族が経営に戻ってくるなんて全くこの地域の経営というのはどこまで遅れているのやら」
「やっぱり竹千代(徳川家康)なのかな?」
小生:「はは、確かに三河武士団なイメージあるね。忠誠心に厚いし、吝嗇(ケチ)だし」
ちなみに、愛知県は三英傑の出身地な訳だが、名古屋では、尾張出身の信長、秀吉より、三河出身の家康の方が人気がある模様。尾張徳川家の影響かもしれないが、不思議なものだ。
小生:「でもね。やっぱり最近思うのはこの地域の経営は、米国流の真似ごとは絶対しちゃいけないと思う」
W氏:「そう言えば○○○○社(三河地方の超伝統食品メーカ)は、カンパニー制を導入したけど全く機能していない見たい」
小生:「そりゃ、そうだ。というかギャグ?」
W氏:「いゃあ、□□□□(別の外資系コンサル)と組んで、かなり本気で取り組んだ見たいなんだけど」
小生:「でも、基本食品しかやってないじゃん。しかも今でもトップは歴代のオーナ社長でしょ?」
W氏:「規模が大きくなってきて意思決定の速さや、組織の自立性を高めたかったんだと思うけど、様はミーハなんですよ」
カンパニー制というのはソニーが始めたので、米流でもなんでもないが、SBU制も含め日本では多いに流行った。しかし、現時点では殆どが見直されている。NECも今年見直すそうだ。
小生「無理、無理。オーナ企業の良い処は、長期視点でじっくり腰を据えた経営ができる事でしょ。だから従業員も滅私奉公すれば、苦しくても最終的にはハッピーになれるんじゃないかと思って働く訳。社内カンパニーは全くの逆。カンパニーの社長は、自身で事業体の最終、最高責任者としてバンバン意思決定して自立して結果を出さなくちゃちゃならない。結果が出なければ責任を取らなくてはいけない。これはカンパニーの従業員も一緒。「滅私奉公」なんて感覚じゃない。しかもオーナがすぐ上にいて、自立した発想で事業を推進していける訳がない。」
W氏:「そう、だからこそ御社は意思決定のスピードが遅く、変化に対応できていない。カンパニー制を導入し・・・と、コンサル屋にころっと騙される。」
小生:「そうやって、オーナ企業と、カンパニー制、両方の良さを見事に打ち消した会社が出来る訳だ。でもそういう意味ではトヨタはぶれてないよね」
W氏:「ぶれてない。竹千代(笑)」
小生:「でも私は竹千代というより、トヨタの場合、天皇制に近いんじゃないかと思う」
W氏:「天皇制!?」
小生:「トヨタはもうオーナ企業じゃないでしょ。組織が何かしらの意思決定をする時に何を判断基準にするのか?短期の利益なのか、長期の成長なのか?特定個人の意思なのか?人と人で意思が異なる場合、何をもってジャッジするのか?」
「これは企業に関わらず、Aという人の意見と、Bという人の意見が割れた時、絶対の正しさなんて無いわけ。ジャッジできるのは
「神様」だけ。他の国は多くの部分で「神様」を「宗教観」に落として「正しさ」の判断をする事が多い。」
「実際は立場、肩書きとか、声の大きさ、多数決とか、そういった要素で「正しさ」が判断されるのだけど、本当にその判断が正しいかなんて事は誰にも解らない。酷い事を言ってしまえば「人を殺すのは良くない」というのも一つの価値観でしかない。
W氏:「確かに、解った気がする」
小生:「独裁でなければ組織においての判断はブレて当然。日本の企業は、米国の様に、短期利益や株主利益という絶対の価値観を持っていない。そういう意味では遥かに多様な価値観を持っていると思う。だからこそよりぶれやすい。これは競争において本質的な弱さを持っていると思う。」
W氏:「天皇が政治の中心にいた事は少ないけど、時の権力者は判断の度にわざわざ勅命を貰う」
「その事で、その判断の正当性を得る。逆に国事を纏める為にはそれが必要だった」
小生:「その事を、自分たち自身が理解している処にトヨタの強さを感じるんだ。それは絶対君主の様に単純なものじゃない。しかしトヨタはでかくなりすぎた。その事に危機感を抱いているからこそ、あえて大政奉還をするんだと思う」
~~~
確か、こんな会話だったと思う。今とは違い、まだトヨタが絶好調の時だ。確かにフォードも創業家の影響力が強いが、フォードの場合はフォード家が現時点でも株式の40%以上を持っている点で大きく異なる。
トヨタには色々な批判がある。QCサークルの労災裁判は有名だ。(QCサークルなどで月/100時間を超える残業で過労死したが、当初QCサークルは業務では無いとの認識から労災認定が下りなかった)もちろんQCサークルが自主的な活動で、業務では無いなどというのは時代錯誤も甚だしいと思う。その一方、過労死された方の父親もトヨタマンで「サークルは業務じゃない。裁判なんて起こすべきではない」と言っていた事は殆ど伝わっていない。息子を失って尚である。
この父親を単純に愚かと表現する気持ちにはなれない。もちろんこの事件に関して「トヨタ」や「労働基準局」の肩を持つ気は更々ないが、この父親の気持ちこそが、「トヨタ」が内面に秘める強さの秘密でもあろう。いや、かつての日本企業の強さの根幹にこの様な「気持ち」があった様に思える。
トヨタは2兆円の利益を出した昨年08年度の役員賞与が28人の取締役の総額が約10億。GMは赤字でも会長だけで15億。
単純比較はできないが、従業員の場合でも、トヨタに比べ、GMは15%~20%高額。危機的な状況でも再建が進まなかった理由として労働組合が強すぎる点が挙げられている。
経営者も従業員もトヨタマンである事の「義務」を第一義に行動し世界一となったトヨタ。経営者も従業員も、自身の得るべき「権利」を第一義に行動し、破綻したGM。
前者も後者も、どちらのままでも居られなくなった事は言うまでもない。
今まではトヨタは正社員の雇用だけは守り通してきた。なんだかんだ言って下請けも守ってきた。
しかし、いよいよ海外では正社員のリストラを予定している様だ。
ちなみに、日産はゴーンさんが来た時点で万単位のリストラを行い、系列の50%を切り捨てた。
その意味で小生はトヨタこそが「超日本型経営」であり、悪く表現するならば「日本型経営の成れの果て」だと思う。
トヨタに関する書籍は大きく二つに分かれる。徹底したトヨタ流の賛美か、トヨタこそが悪の帝国そのものであるという、ステレオタイプ過ぎる物の見方だ。
後者には些か、共産主義を夢見る古典的な左翼の香りがする。搾取する者と、搾取される者という対立軸で表現するには日産では無く、日本一の大企業で、世界一の自動車メーカであるトヨタを、シンボリックな存在として扱うにはうってつけなのであろう。
しかし、小生は逆に、少なくとも「トヨタ王国」こそが、例の将軍様の国よりよほど理想的な共産主義を実現してきた。と表現する方が本質的な気がしている。少なくとも他の大企業に比べると。
「トヨタ流」の賛美もビジネス書として読むと、実はかなり違和感を感じる。トヨタの強さの秘密は、JITに代表されるトヨタ流の生産方式にあり、如何に無駄なく、徹底して効率的に「モノ」を作る体制を取っているか。という趣旨を常にその論拠としているのだが、小生の勝手な知見ではトヨタの強さは本質は、その「販売力」にこそあると思っている。
トヨタはまぎれも無く、世界一車を「売っている」会社なのだ。効率的に品質の良い車を「作る」事が世界一の秘訣だとするならば、消費者としてみた時に他の日本車だってもっと売れて良いはずだ。
トヨタ流の本質は「もの作り」では無く「もの売り」にある。「如何に効率的に車を売るか」がJITにおいても最上流にあるのでは無いのか?だからこそ突然外部要因で「売れなく」なった時に、他よりもダメージを被った。効率良く作る為の仕組みであれば、生産調整をするだけで良いから流血はもっと少なくて済んだ筈だ。
松下(現パナソニック)においても、成長の過程において圧倒的な販売力こそがその原動力だった筈だ。「マネシタ電機」と揶揄された様に、決してイノベーティブな「もの作り企業」では無かった筈だ。
日本経済の強さの秘訣は「もの作り」にあるとして保護政策を取るのは、少々幼稚で馬鹿げていると思うのは小生だけだろうか?
因みに、小生がトヨタに就職していたら、どうだったか?恐らく半年と持たないだろうな・・・
それでもやっぱり資本主義の方が好きだから(強欲じゃない範囲で)
ただ、直接的にはトヨタと関係の無い小生にとっては、トヨタには、やっぱり一杯稼いで貰って税金を一杯納めてくれた方が理想的だ。
新社長期待しております。
これは昨年末経済危機の後の方針では無く、2007年位にはもう次期社長は章男氏であると言われていた。
当時、小生はサラリーマンで名古屋に赴任していた為、この辺の情報はかなり敏感だった。やっぱり東京で仕事している時より遥かに意識する。
その当時、親しかった外資系コンサルファームの名古屋事務所のマネージャとお酒を飲みながらこんな会話をした記憶がある。
コンサルW氏としよう。専門はMA。元々例の米不正会計事件で無くなったファームの出身で、事件後、トヨタ系の商社に勤めたが、耐えきれずにまたコンサルに戻ったというキャリアという方だ。また奥さんはご両親ともに三河出身で、トヨタを辞めるなんてあり得ない。理解不能と言われ随分苦労したそうだ(笑)
~~~
W氏:「あのトヨタですら、創業一族が経営に戻ってくるなんて全くこの地域の経営というのはどこまで遅れているのやら」
「やっぱり竹千代(徳川家康)なのかな?」
小生:「はは、確かに三河武士団なイメージあるね。忠誠心に厚いし、吝嗇(ケチ)だし」
ちなみに、愛知県は三英傑の出身地な訳だが、名古屋では、尾張出身の信長、秀吉より、三河出身の家康の方が人気がある模様。尾張徳川家の影響かもしれないが、不思議なものだ。
小生:「でもね。やっぱり最近思うのはこの地域の経営は、米国流の真似ごとは絶対しちゃいけないと思う」
W氏:「そう言えば○○○○社(三河地方の超伝統食品メーカ)は、カンパニー制を導入したけど全く機能していない見たい」
小生:「そりゃ、そうだ。というかギャグ?」
W氏:「いゃあ、□□□□(別の外資系コンサル)と組んで、かなり本気で取り組んだ見たいなんだけど」
小生:「でも、基本食品しかやってないじゃん。しかも今でもトップは歴代のオーナ社長でしょ?」
W氏:「規模が大きくなってきて意思決定の速さや、組織の自立性を高めたかったんだと思うけど、様はミーハなんですよ」
カンパニー制というのはソニーが始めたので、米流でもなんでもないが、SBU制も含め日本では多いに流行った。しかし、現時点では殆どが見直されている。NECも今年見直すそうだ。
小生「無理、無理。オーナ企業の良い処は、長期視点でじっくり腰を据えた経営ができる事でしょ。だから従業員も滅私奉公すれば、苦しくても最終的にはハッピーになれるんじゃないかと思って働く訳。社内カンパニーは全くの逆。カンパニーの社長は、自身で事業体の最終、最高責任者としてバンバン意思決定して自立して結果を出さなくちゃちゃならない。結果が出なければ責任を取らなくてはいけない。これはカンパニーの従業員も一緒。「滅私奉公」なんて感覚じゃない。しかもオーナがすぐ上にいて、自立した発想で事業を推進していける訳がない。」
W氏:「そう、だからこそ御社は意思決定のスピードが遅く、変化に対応できていない。カンパニー制を導入し・・・と、コンサル屋にころっと騙される。」
小生:「そうやって、オーナ企業と、カンパニー制、両方の良さを見事に打ち消した会社が出来る訳だ。でもそういう意味ではトヨタはぶれてないよね」
W氏:「ぶれてない。竹千代(笑)」
小生:「でも私は竹千代というより、トヨタの場合、天皇制に近いんじゃないかと思う」
W氏:「天皇制!?」
小生:「トヨタはもうオーナ企業じゃないでしょ。組織が何かしらの意思決定をする時に何を判断基準にするのか?短期の利益なのか、長期の成長なのか?特定個人の意思なのか?人と人で意思が異なる場合、何をもってジャッジするのか?」
「これは企業に関わらず、Aという人の意見と、Bという人の意見が割れた時、絶対の正しさなんて無いわけ。ジャッジできるのは
「神様」だけ。他の国は多くの部分で「神様」を「宗教観」に落として「正しさ」の判断をする事が多い。」
「実際は立場、肩書きとか、声の大きさ、多数決とか、そういった要素で「正しさ」が判断されるのだけど、本当にその判断が正しいかなんて事は誰にも解らない。酷い事を言ってしまえば「人を殺すのは良くない」というのも一つの価値観でしかない。
W氏:「確かに、解った気がする」
小生:「独裁でなければ組織においての判断はブレて当然。日本の企業は、米国の様に、短期利益や株主利益という絶対の価値観を持っていない。そういう意味では遥かに多様な価値観を持っていると思う。だからこそよりぶれやすい。これは競争において本質的な弱さを持っていると思う。」
W氏:「天皇が政治の中心にいた事は少ないけど、時の権力者は判断の度にわざわざ勅命を貰う」
「その事で、その判断の正当性を得る。逆に国事を纏める為にはそれが必要だった」
小生:「その事を、自分たち自身が理解している処にトヨタの強さを感じるんだ。それは絶対君主の様に単純なものじゃない。しかしトヨタはでかくなりすぎた。その事に危機感を抱いているからこそ、あえて大政奉還をするんだと思う」
~~~
確か、こんな会話だったと思う。今とは違い、まだトヨタが絶好調の時だ。確かにフォードも創業家の影響力が強いが、フォードの場合はフォード家が現時点でも株式の40%以上を持っている点で大きく異なる。
トヨタには色々な批判がある。QCサークルの労災裁判は有名だ。(QCサークルなどで月/100時間を超える残業で過労死したが、当初QCサークルは業務では無いとの認識から労災認定が下りなかった)もちろんQCサークルが自主的な活動で、業務では無いなどというのは時代錯誤も甚だしいと思う。その一方、過労死された方の父親もトヨタマンで「サークルは業務じゃない。裁判なんて起こすべきではない」と言っていた事は殆ど伝わっていない。息子を失って尚である。
この父親を単純に愚かと表現する気持ちにはなれない。もちろんこの事件に関して「トヨタ」や「労働基準局」の肩を持つ気は更々ないが、この父親の気持ちこそが、「トヨタ」が内面に秘める強さの秘密でもあろう。いや、かつての日本企業の強さの根幹にこの様な「気持ち」があった様に思える。
トヨタは2兆円の利益を出した昨年08年度の役員賞与が28人の取締役の総額が約10億。GMは赤字でも会長だけで15億。
単純比較はできないが、従業員の場合でも、トヨタに比べ、GMは15%~20%高額。危機的な状況でも再建が進まなかった理由として労働組合が強すぎる点が挙げられている。
経営者も従業員もトヨタマンである事の「義務」を第一義に行動し世界一となったトヨタ。経営者も従業員も、自身の得るべき「権利」を第一義に行動し、破綻したGM。
前者も後者も、どちらのままでも居られなくなった事は言うまでもない。
今まではトヨタは正社員の雇用だけは守り通してきた。なんだかんだ言って下請けも守ってきた。
しかし、いよいよ海外では正社員のリストラを予定している様だ。
ちなみに、日産はゴーンさんが来た時点で万単位のリストラを行い、系列の50%を切り捨てた。
その意味で小生はトヨタこそが「超日本型経営」であり、悪く表現するならば「日本型経営の成れの果て」だと思う。
トヨタに関する書籍は大きく二つに分かれる。徹底したトヨタ流の賛美か、トヨタこそが悪の帝国そのものであるという、ステレオタイプ過ぎる物の見方だ。
後者には些か、共産主義を夢見る古典的な左翼の香りがする。搾取する者と、搾取される者という対立軸で表現するには日産では無く、日本一の大企業で、世界一の自動車メーカであるトヨタを、シンボリックな存在として扱うにはうってつけなのであろう。
しかし、小生は逆に、少なくとも「トヨタ王国」こそが、例の将軍様の国よりよほど理想的な共産主義を実現してきた。と表現する方が本質的な気がしている。少なくとも他の大企業に比べると。
「トヨタ流」の賛美もビジネス書として読むと、実はかなり違和感を感じる。トヨタの強さの秘密は、JITに代表されるトヨタ流の生産方式にあり、如何に無駄なく、徹底して効率的に「モノ」を作る体制を取っているか。という趣旨を常にその論拠としているのだが、小生の勝手な知見ではトヨタの強さは本質は、その「販売力」にこそあると思っている。
トヨタはまぎれも無く、世界一車を「売っている」会社なのだ。効率的に品質の良い車を「作る」事が世界一の秘訣だとするならば、消費者としてみた時に他の日本車だってもっと売れて良いはずだ。
トヨタ流の本質は「もの作り」では無く「もの売り」にある。「如何に効率的に車を売るか」がJITにおいても最上流にあるのでは無いのか?だからこそ突然外部要因で「売れなく」なった時に、他よりもダメージを被った。効率良く作る為の仕組みであれば、生産調整をするだけで良いから流血はもっと少なくて済んだ筈だ。
松下(現パナソニック)においても、成長の過程において圧倒的な販売力こそがその原動力だった筈だ。「マネシタ電機」と揶揄された様に、決してイノベーティブな「もの作り企業」では無かった筈だ。
日本経済の強さの秘訣は「もの作り」にあるとして保護政策を取るのは、少々幼稚で馬鹿げていると思うのは小生だけだろうか?
因みに、小生がトヨタに就職していたら、どうだったか?恐らく半年と持たないだろうな・・・
それでもやっぱり資本主義の方が好きだから(強欲じゃない範囲で)
ただ、直接的にはトヨタと関係の無い小生にとっては、トヨタには、やっぱり一杯稼いで貰って税金を一杯納めてくれた方が理想的だ。
新社長期待しております。
2009年6月15日月曜日
何故、キャンペーンが上手くいかないのか②
前回の続きを書く前に、前回の補足をしておきたい。
セブンアイ会長の鈴木敏文氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、言うのは実に罪作りな言葉だと思う。
何故なら「周りが反対する事」は実際には殆ど失敗するという現実があるからだ。
一番多いのは、「空想、妄想企画」というものだ。一発当てて成功したオーナ経営者や、妙な社内政治で権力を握ってしまった人物などが企画したものに多い。
この手の人物が企画した「空想、妄想企画」は殆ど個人的な願望に近い事が多く論ずるに値しない。しかし、実際にはそういう企画?が企業の外を見ても世の中にはあちらこちらにある。例えば我が国は昔、「米国と戦争しても勝てる」と企画して、大惨事を招いた。「北朝鮮は地上の楽園」キャンペーンなんていうのもマスコミが企画した事もあった。
いずれもトンデモ企画だが、実際に止める事はできなかった。
近年でも「ゴニョゴニョ・・・」(いらない人に睨まれない様に隠しておきます)
企業の中で権力者から「空想、妄想企画」が提示された時、担当者が取れる行動は残念ながら
・「やったふりをして忘れるのを待つ」
・「傷口が広がらない様に少しだけやって、失敗の報告をする」
・「諦めるまで付き合う」
位しか選択肢が無い。自己顕示欲の強い権力者を正面から否定する時は、転職先を見つけてからにした方が良い。間違えても「本気なら伝わる筈だ」とか考えない事だ。
今回、失敗企画(キャンペーン、戦略)が生まれるメカニズムを考察する前提は、あくまでも有能で勤勉なマーケッターが何故、失敗企画を生み出してしまうのかに着目したい。
前回、企画を立案する際に重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を読む事だと書き、同時に酷く難しいとも書いた。
その理由はの
第一に、そもそも、その人間自身に優れた洞察力が必要となる。
第二に、「顧客起点」で「顧客心理」から「優れた洞察力」を持って企画したものは、社内で理解されない。
第三に、投資対効果を示せない。
上記、三点が主たる要因である。
第一の要因は、完全に個人の能力の問題である。鈴木敏文氏の本に出てくる様な事例を、もし小生が「顧客起点」で「顧客心理」を考え企画したとして、同じ様な企画を考え出す事が出来たであろうか?果たして、難しい。
こればかりは、ロジックを幾ら学んだ処で全く難しい。戦略を立てる際は良くコンサルファームの人間が言う様に「ファクト」(事実)とロジック(理論)が重要である。しかし残念ながら、「ファクト」(いや、あえて「事実」と書こう。)
「事実」なんて言うモノは、世の中で、起きている事全てが「事実」であって、それ自体は戦略立案にあたっては対象とならない。例えば顧客起点で「事実」を見た時に、「人間は大人になると、オナラを「すかしっぺ」で出来る様になる」と、ある研究でこんな「事実」があったとしよう。あなたのビジネスの戦略立案に役立つであろうか??
いや、今日、私の頭に寝ぐせが付いているのも「事実」だし、貴方が電車のドアに挟まれたのも「事実」だ。
そういえば「ITPRO」という日経のIT系ネットメディアで「マスゴミ」論が盛り上がった事がある。読者のコメントの多くが、マスコミは自分の主観など加えず、客観的な「事実」のみを伝えれば良いというものであったが、例えば麻生総理が「漢字を良く読み間違える」というのは「事実」であろう。「マスコミ」が「マスメディア」であり、スポンサーの受けが良く視聴者、読者の感心、興味を引く為に「事実」を伝える存在である。と割り切ればそうは腹も立たない。
しかしマスコミがおかしな事に「正義」とか「ジャーナリズム」なんて言葉を使うから、おかしな事になる。
麻生総理の漢字誤読という「事実」よりも、世の中に伝えなければいけない「真実」は一杯ある筈だ。「事実」にフィルターを掛ける事が「真実」では無い。あくまで個人を排して「事実」を積み上げて初めて「真実」にたどり着く。それを伝える事だ。政治や経済事件の度に起こる不自然な自殺、チベット、核、パチンコ、etc・・・伝える側のイデオロギーはどうでも良い。ネット上に転がる「噂や野次馬報道」では無く、プロとして、とことんまで「事実」を洗って「真実」に辿りつく姿勢。
そういう「骨太のジャーナリズム」と「マスメディア」は切り離して考えるべきだ。
ちなみに、岐阜県の裏金をデッチ上げた番組は「真相報道」の冠がついている(笑)、その一方で「骨太のジャーナリズム」は、必ずしも社会に許容されないというというのも、また「事実」だ。
話が大きく逸脱してしまったが、この事は企業内で起こる第二要因にも非常に近い。経営は突き詰めれば「ソーシャル・サイエンス」だと思う。
話を第一要因に戻そう、「ファクト」をどれだけ掴んでも、知っていても、「ロジック」を如何に学習しようと、最初にひらめく「仮説設定」がトンチカンな物だと全く意味が無いのだ。最初に立てた仮説から関連する「ファクト」を「ロジック」に掛け、頭の中で論理構築していく。当然論理構築していけば、顧客価値はあるか?自社のリソースは?同種の価値を提供する競合は?(3C)(笑)
価格は?製品サービスは?流通は?宣伝は?(4P)(笑)
といった様にフレームなんて重視しなくても、普通に検討材料になる。フレームはあくまでも頭の中の整理の為に使うのだが、最近やたら多いのが、フレームを知っている事が自体が、戦略家やコンサルタントだと勘違いしている御仁だ。
では、どうすれば、正しい仮説設定ができるのか?残念ながらこれは「洞察力」と「経験」から導きだされる一種の「勘」の様なもので、ある程度の処までは訓練を重ねれば磨かれるかもしれないが、本質的には個人の資質というより他にない。
第二要因である、
「顧客起点」で「顧客心理」から優れた洞察力を持って企画したものは、社内で理解されない。
のは、ありきたりな言葉で表すのなら「ニーズ」では無く「ウォンツ」レベルで洞察されている。「ウォンツ」即ち「見えざる欲求」は表出化していないからこそ「ウォンツ」なのである。「ウォークマン」の話しは有名だし知っている方も多いだろう。「ウォンツ」型製品企画の事例として有名だが、当然この様な製品は当初全くと言って理解されない。
必ず「そんなもの売れっこない」という反応を得る。
ちなみに「ウォンツ」は「シーズ」と近い。技術シーズは単たる技術追及の結果では無く、どこかで「ウォンツ」を捉えている場合が多い。「ニーズ」を良く知っている人間ほど、シーズを否定してしまう。
製品に限らず、戦略、キャンペーンといった企画を検討する際に、表出化していない「見えざる欲求」に対応したものは「ニーズ」を知るものに簡単に否定されてしまう。
鈴木敏文氏は純然たる巨大グループの会長職である。ウォークマンの企画を思いついたのも故盛田氏だ。一介のサラリーマンにしか過ぎないマーケティング担当者が、いつも「そんなのダメに決まっている」と言われる企画ばかりを提案していたらどうなるか?通常、この様な人物のサラリーマンとしての栄達はかなり難しい。
これが外部のコンサルタントであればどうか?クライアントからその様な反応をされれば契約を切られてしまう。内部の人間以上に本質的な提案が難しい事を、逆にクライアント自身が認識しておいた方が良い。
鈴木氏の場合は、サラリーマンからの出世であるが、市場への洞察力も長け、且つ社内を動かす政治力も発揮できる様な人材は、天賦の才に恵まれた、一部の人間だとある程度認識しておいた方が良い。
第三要因に関しては、第二要因とも重なるが「ウォンツ」レベルでの企画は、当然「見えざる欲求」である為、投資対効果を明確にできない。「当たるも八卦、当たらぬも・・・」の世界。この問題は非常に重要で且つ、解決策が見えない。大きなリスクを求めている。統計データや、モニタリング調査、テストマーケをある程度の精度で行う事によってリスクは低減できる。
しかし、リスクを恐れ、如何に費用対効果が確実なものであるか精査すればする程、時間と労力を失う。更に一番問題が多いのが、費用対効果を重視するあまり、企画そのものが、常識的にリータンが求められる範囲(もしくは開発陣やデザイン陣)に妥協を重ね、結果無意味なものになってしまうケースも多い。
以上、三点の要因を考えた時、小生はある種の絶望を覚える。天賦の才に恵まれているとは思えないからだ。
しかし、企業組織は多くの従業員を抱える。天才的な企画力を持ち、且つ社内政治に長けた人材はそうそういないだろう。しかし、逆にどちらかを持った人間であれば、比較的見つけ出す事ができるかもしれない。
もちろん、前者は無いが、後者(社内政治)だけに長けている人物には気をつけなければならない。
組織は必ず、前者を潰す方向に作用する。組織というのは、自らを「常識」に縛り付け、それを逸脱しようとする物を排除する。
何故なら、「非常識人」は「常識人」にとって自分達の居心地の良いコミュニティの破壊者だからだ。ヤクザやギャング、軍隊でもそうだ。
この点に気づき「組織」を運営できる企業は本当に少ない。今のソニーを見れば良く分かるだろう。
「天才を育てようよするな、見つけ出し活かす様にせよ」
今回はこんなところで止めておこう。
セブンアイ会長の鈴木敏文氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、言うのは実に罪作りな言葉だと思う。
何故なら「周りが反対する事」は実際には殆ど失敗するという現実があるからだ。
一番多いのは、「空想、妄想企画」というものだ。一発当てて成功したオーナ経営者や、妙な社内政治で権力を握ってしまった人物などが企画したものに多い。
この手の人物が企画した「空想、妄想企画」は殆ど個人的な願望に近い事が多く論ずるに値しない。しかし、実際にはそういう企画?が企業の外を見ても世の中にはあちらこちらにある。例えば我が国は昔、「米国と戦争しても勝てる」と企画して、大惨事を招いた。「北朝鮮は地上の楽園」キャンペーンなんていうのもマスコミが企画した事もあった。
いずれもトンデモ企画だが、実際に止める事はできなかった。
近年でも「ゴニョゴニョ・・・」(いらない人に睨まれない様に隠しておきます)
企業の中で権力者から「空想、妄想企画」が提示された時、担当者が取れる行動は残念ながら
・「やったふりをして忘れるのを待つ」
・「傷口が広がらない様に少しだけやって、失敗の報告をする」
・「諦めるまで付き合う」
位しか選択肢が無い。自己顕示欲の強い権力者を正面から否定する時は、転職先を見つけてからにした方が良い。間違えても「本気なら伝わる筈だ」とか考えない事だ。
今回、失敗企画(キャンペーン、戦略)が生まれるメカニズムを考察する前提は、あくまでも有能で勤勉なマーケッターが何故、失敗企画を生み出してしまうのかに着目したい。
前回、企画を立案する際に重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を読む事だと書き、同時に酷く難しいとも書いた。
その理由はの
第一に、そもそも、その人間自身に優れた洞察力が必要となる。
第二に、「顧客起点」で「顧客心理」から「優れた洞察力」を持って企画したものは、社内で理解されない。
第三に、投資対効果を示せない。
上記、三点が主たる要因である。
第一の要因は、完全に個人の能力の問題である。鈴木敏文氏の本に出てくる様な事例を、もし小生が「顧客起点」で「顧客心理」を考え企画したとして、同じ様な企画を考え出す事が出来たであろうか?果たして、難しい。
こればかりは、ロジックを幾ら学んだ処で全く難しい。戦略を立てる際は良くコンサルファームの人間が言う様に「ファクト」(事実)とロジック(理論)が重要である。しかし残念ながら、「ファクト」(いや、あえて「事実」と書こう。)
「事実」なんて言うモノは、世の中で、起きている事全てが「事実」であって、それ自体は戦略立案にあたっては対象とならない。例えば顧客起点で「事実」を見た時に、「人間は大人になると、オナラを「すかしっぺ」で出来る様になる」と、ある研究でこんな「事実」があったとしよう。あなたのビジネスの戦略立案に役立つであろうか??
いや、今日、私の頭に寝ぐせが付いているのも「事実」だし、貴方が電車のドアに挟まれたのも「事実」だ。
そういえば「ITPRO」という日経のIT系ネットメディアで「マスゴミ」論が盛り上がった事がある。読者のコメントの多くが、マスコミは自分の主観など加えず、客観的な「事実」のみを伝えれば良いというものであったが、例えば麻生総理が「漢字を良く読み間違える」というのは「事実」であろう。「マスコミ」が「マスメディア」であり、スポンサーの受けが良く視聴者、読者の感心、興味を引く為に「事実」を伝える存在である。と割り切ればそうは腹も立たない。
しかしマスコミがおかしな事に「正義」とか「ジャーナリズム」なんて言葉を使うから、おかしな事になる。
麻生総理の漢字誤読という「事実」よりも、世の中に伝えなければいけない「真実」は一杯ある筈だ。「事実」にフィルターを掛ける事が「真実」では無い。あくまで個人を排して「事実」を積み上げて初めて「真実」にたどり着く。それを伝える事だ。政治や経済事件の度に起こる不自然な自殺、チベット、核、パチンコ、etc・・・伝える側のイデオロギーはどうでも良い。ネット上に転がる「噂や野次馬報道」では無く、プロとして、とことんまで「事実」を洗って「真実」に辿りつく姿勢。
そういう「骨太のジャーナリズム」と「マスメディア」は切り離して考えるべきだ。
ちなみに、岐阜県の裏金をデッチ上げた番組は「真相報道」の冠がついている(笑)、その一方で「骨太のジャーナリズム」は、必ずしも社会に許容されないというというのも、また「事実」だ。
話が大きく逸脱してしまったが、この事は企業内で起こる第二要因にも非常に近い。経営は突き詰めれば「ソーシャル・サイエンス」だと思う。
話を第一要因に戻そう、「ファクト」をどれだけ掴んでも、知っていても、「ロジック」を如何に学習しようと、最初にひらめく「仮説設定」がトンチカンな物だと全く意味が無いのだ。最初に立てた仮説から関連する「ファクト」を「ロジック」に掛け、頭の中で論理構築していく。当然論理構築していけば、顧客価値はあるか?自社のリソースは?同種の価値を提供する競合は?(3C)(笑)
価格は?製品サービスは?流通は?宣伝は?(4P)(笑)
といった様にフレームなんて重視しなくても、普通に検討材料になる。フレームはあくまでも頭の中の整理の為に使うのだが、最近やたら多いのが、フレームを知っている事が自体が、戦略家やコンサルタントだと勘違いしている御仁だ。
では、どうすれば、正しい仮説設定ができるのか?残念ながらこれは「洞察力」と「経験」から導きだされる一種の「勘」の様なもので、ある程度の処までは訓練を重ねれば磨かれるかもしれないが、本質的には個人の資質というより他にない。
第二要因である、
「顧客起点」で「顧客心理」から優れた洞察力を持って企画したものは、社内で理解されない。
のは、ありきたりな言葉で表すのなら「ニーズ」では無く「ウォンツ」レベルで洞察されている。「ウォンツ」即ち「見えざる欲求」は表出化していないからこそ「ウォンツ」なのである。「ウォークマン」の話しは有名だし知っている方も多いだろう。「ウォンツ」型製品企画の事例として有名だが、当然この様な製品は当初全くと言って理解されない。
必ず「そんなもの売れっこない」という反応を得る。
ちなみに「ウォンツ」は「シーズ」と近い。技術シーズは単たる技術追及の結果では無く、どこかで「ウォンツ」を捉えている場合が多い。「ニーズ」を良く知っている人間ほど、シーズを否定してしまう。
製品に限らず、戦略、キャンペーンといった企画を検討する際に、表出化していない「見えざる欲求」に対応したものは「ニーズ」を知るものに簡単に否定されてしまう。
鈴木敏文氏は純然たる巨大グループの会長職である。ウォークマンの企画を思いついたのも故盛田氏だ。一介のサラリーマンにしか過ぎないマーケティング担当者が、いつも「そんなのダメに決まっている」と言われる企画ばかりを提案していたらどうなるか?通常、この様な人物のサラリーマンとしての栄達はかなり難しい。
これが外部のコンサルタントであればどうか?クライアントからその様な反応をされれば契約を切られてしまう。内部の人間以上に本質的な提案が難しい事を、逆にクライアント自身が認識しておいた方が良い。
鈴木氏の場合は、サラリーマンからの出世であるが、市場への洞察力も長け、且つ社内を動かす政治力も発揮できる様な人材は、天賦の才に恵まれた、一部の人間だとある程度認識しておいた方が良い。
第三要因に関しては、第二要因とも重なるが「ウォンツ」レベルでの企画は、当然「見えざる欲求」である為、投資対効果を明確にできない。「当たるも八卦、当たらぬも・・・」の世界。この問題は非常に重要で且つ、解決策が見えない。大きなリスクを求めている。統計データや、モニタリング調査、テストマーケをある程度の精度で行う事によってリスクは低減できる。
しかし、リスクを恐れ、如何に費用対効果が確実なものであるか精査すればする程、時間と労力を失う。更に一番問題が多いのが、費用対効果を重視するあまり、企画そのものが、常識的にリータンが求められる範囲(もしくは開発陣やデザイン陣)に妥協を重ね、結果無意味なものになってしまうケースも多い。
以上、三点の要因を考えた時、小生はある種の絶望を覚える。天賦の才に恵まれているとは思えないからだ。
しかし、企業組織は多くの従業員を抱える。天才的な企画力を持ち、且つ社内政治に長けた人材はそうそういないだろう。しかし、逆にどちらかを持った人間であれば、比較的見つけ出す事ができるかもしれない。
もちろん、前者は無いが、後者(社内政治)だけに長けている人物には気をつけなければならない。
組織は必ず、前者を潰す方向に作用する。組織というのは、自らを「常識」に縛り付け、それを逸脱しようとする物を排除する。
何故なら、「非常識人」は「常識人」にとって自分達の居心地の良いコミュニティの破壊者だからだ。ヤクザやギャング、軍隊でもそうだ。
この点に気づき「組織」を運営できる企業は本当に少ない。今のソニーを見れば良く分かるだろう。
「天才を育てようよするな、見つけ出し活かす様にせよ」
今回はこんなところで止めておこう。
2009年5月13日水曜日
何故、キャンペーンが上手くいかないか①
前回の続編として「何故、キャンペーンが上手くいかないか」を書いてみたい。
前回の「アウトバウンドうざい」を読まれ「何を、誰に、どうやって」で考えるから駄目。と書いた訳だが、耳慣れた方であれば、「何だ4Pでは無くって4Cで考えなさい」という話か?と思われた方も居るだろう。
4Pというのはご存じの通り
「製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)」の略で、
マーケティングミクスを構築する際の有名なフレーム。ただし、4Pだと顧客視点では無いという事で言われ始めたのが4Cで、
「顧客価値(Customer Value)、顧客コスト(Customer Cost)、コミュニケーション(Communication)、利便性(Convenience)」で考えなさいというもの。
正直、小生、これ4Pも4Cも同じ事を言っているだけとしか思えないので、ここで、くどくど説明する気は無い。お好きな方をどうぞ!って感じ。ついでに4P、4C自体どうでも良い(こんな事言うと怒られそうだが)
また「アウトバウンドうさい」見たいな話しをすると、なんだ「CS(顧客満足)の話し」ね!とか短絡的に考える方も居るが、この際「CS」も、どうでも良い(これも怒られそうだ)
小生なりの結論を言おう、重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を考える事。
なんだそんな当たり前の事か?と思われるかもしれないが、では、何故大手カード会社があの様な最悪のキャンペーンを張ってしまうのか?
少なくとも、コンシューマ(一般消費者)相手のビジネスをしている大手企業のマーケティング担当者は、相当な勉強をしているし、各種マーケティングキャンペーンを成功させて来た自負もある。膨大なデータもある。
コンシューマ相手のマーケティングに関して、小生が論戦を挑んでも、あっと言う間に論破されてしまうだろう。
にも関わらず、何故「最悪なキャンペーン」を手間暇掛けて行ってしまうのか?
「顧客起点」「顧客心理」という二語で、勘の良い方なら、ある人物を想像しただろう。そうセブンアイの鈴木敏文氏だ。
最近、イトーヨーカドーのキャンペーンで「下取りセール」と言うのをやっていたのをご存じの方も多いだろう。同氏へのインタビュー記事やTVでも紹介されている。小生は同氏の公演でこのセールの話しを聞いた。
要約すると、
①近年は顧客の価格に対するロイヤリティーが失われている。定価に対しての信頼感が無い。
→オープン価格や、ディスカント、セールの日常化によって定価の3割引きと謳われても、顧客自身が○割引に慣れ過ぎて、定価なんてあって無い様なものでしょ?どこでも3割引き、探せば4話引きとかで売られているんでしょ?と感じて来ている為、「普通に○割引セール」とキャンペーンを張っても、殆ど効果が無い。例え実際には小売として相当の値下げ努力をしていても。
②定価で売っても、キャシュバックした方が信頼される。
→具体的に○円戻ってきます。と、した方がロイヤリティが得られる。しかし単にキャッシュバックしますでは訴求力に欠ける。
今はモノ余りの時代で、家の中には使ってないけど、捨てられないモノが一杯ある。そういうモノを引き取って、目に見える「お金」という形で換金する事で、心理的な壁が無くなる。結局は同じ値下げでもよっぽど効果的が得られる。
実際にこのキャンペーンは相当な成果を上げたそうだ。事実小生の嫁も、まんまとこのキャンペーンに引っかかっていた。
また、例の如く、このキャンペーンも社内からは、2割引き、3割引きで売っても売れないのに、そんな事やっても効果が無いと言われたそうだ。同氏の著書を読んだ事のある方なら周知とは思うが、ここでも「周りが反対する事をやると成功する」「売り手発想では無く顧客心理から考える」という例の法則を、また成功させた訳だ。「売り手発想だと、直ぐに5割引きとかそう言う方個性に走ってしまう」との事
無論、この話しを聞いてキャンペーンの種明かしをされても「あっ!確かに、なるほど!」との想いは持っても騙されたとは思わない。
~~以下は完全な小生の仮説として書く。(本当に大手カード会社の内情がそうであると告発するものではない)
一方カード会社の最悪なキャンペーンはどうだろうか?
①利用状況が急に上がった会員は、キャシングに対するニーズが高い。
→利用状況のデータから最近利用が急に増えてきた会員ならば、現金に困っている事が多くキャシングの利用をする可能性が高い。事実そういうデータも取れている。
②キャシングは銀行、消費者金融、他カード会社など、様々なコンペチターが居る。自社のカードのキャッシングを利用してもらう為の後押しが必要。
→金利の引き下げや、ポイントを倍して、一部の方だけの特別キャンペーンとして認知してもらう。
この様なキャンペーンも、「顧客心理」から考えられたものでは無いのか?「下取りキャンペーン」とどう違うのか?
・・・・・そう、発想の起点が「顧客か、売り手か」の違いである!
「下取り」と「最悪」の①、②を良く読み比べて欲しい。
マーケッターが陥る最大の課題は正にここにある。
「売り手起点で4P(4C)を構築しても全く意味がない」
「売り手起点で顧客心理を考えても全く意味が無い」
売り手起点で発想されたキャンペーンは、この後、では、具体的にどうやってキャンペーンを張ろうと検討される。「最悪キャンペーン」の例の場合、プロモーションは利用明細や、Webの会員個人サイトでは、明らかに訴求力が弱い。では直接電話しよう。社員を使うとコストが高いので「業者」を使おう。平日だと電話に出ない可能性が高いので、日曜日の昼にしよう。
こうやって「最悪キャンペーン」が実施されてしまう訳だ。「顧客起点で顧客心理」をしっかり検討していたら、日曜日の昼間に借金の勧誘電話をする事の愚かしさに真っ先に気づく筈だ。
鈴木敏文氏の「顧客起点」「顧客心理」というのは、言葉にするのは簡単だが、実践するのは酷く難しい。「顧客起点」で「顧客心理」を読んだつもりでも、実際には「売り手」起点になってしまっている事が実に多いのだ。
また、同氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、
小生が書いた。
消費者自身が種明かしされた時に「あっ!確かに、なるほど!」と思える。
の二点には、実に重要なインサイトが隠れている。
「最悪キャンペーン」にこの二点をあてはめて欲しい。
「データから急に利用が増えた会員は、キャシングに対するニーズが高い様です。今は不景気でカードの利用自体の増加は見込めません。該当会員に対して、キャンペーンを打ちたい」と社内で提案した場合、反対する人がどれほど居るだろうか?
また、この様な社内の検討があってこの様なキャンペーンをやってみました。と種明かしされた消費者が「あっ!確かに、なるほど!」と思うだろうか?
これは「最悪キャンペーン」に限った事では無い。殆どのキャンペーンが「3割引きで駄目なら、5割引で頑張ろう」になってしまうのだ。
消費者として、そのキャンペーンを種明かしされた際「あっ!確かに、なるほど!」と思えるかどうか?をマーケティングキャンペーンを検討する際に重要なバロメータとして認知してみては如何か。
次回、失敗戦略や失敗キャンペーンが企画されてしまうメカニズムに関して記載したい。
前回の「アウトバウンドうざい」を読まれ「何を、誰に、どうやって」で考えるから駄目。と書いた訳だが、耳慣れた方であれば、「何だ4Pでは無くって4Cで考えなさい」という話か?と思われた方も居るだろう。
4Pというのはご存じの通り
「製品(Product)、価格(Price)、流通(Place)、プロモーション(Promotion)」の略で、
マーケティングミクスを構築する際の有名なフレーム。ただし、4Pだと顧客視点では無いという事で言われ始めたのが4Cで、
「顧客価値(Customer Value)、顧客コスト(Customer Cost)、コミュニケーション(Communication)、利便性(Convenience)」で考えなさいというもの。
正直、小生、これ4Pも4Cも同じ事を言っているだけとしか思えないので、ここで、くどくど説明する気は無い。お好きな方をどうぞ!って感じ。ついでに4P、4C自体どうでも良い(こんな事言うと怒られそうだが)
また「アウトバウンドうさい」見たいな話しをすると、なんだ「CS(顧客満足)の話し」ね!とか短絡的に考える方も居るが、この際「CS」も、どうでも良い(これも怒られそうだ)
小生なりの結論を言おう、重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を考える事。
なんだそんな当たり前の事か?と思われるかもしれないが、では、何故大手カード会社があの様な最悪のキャンペーンを張ってしまうのか?
少なくとも、コンシューマ(一般消費者)相手のビジネスをしている大手企業のマーケティング担当者は、相当な勉強をしているし、各種マーケティングキャンペーンを成功させて来た自負もある。膨大なデータもある。
コンシューマ相手のマーケティングに関して、小生が論戦を挑んでも、あっと言う間に論破されてしまうだろう。
にも関わらず、何故「最悪なキャンペーン」を手間暇掛けて行ってしまうのか?
「顧客起点」「顧客心理」という二語で、勘の良い方なら、ある人物を想像しただろう。そうセブンアイの鈴木敏文氏だ。
最近、イトーヨーカドーのキャンペーンで「下取りセール」と言うのをやっていたのをご存じの方も多いだろう。同氏へのインタビュー記事やTVでも紹介されている。小生は同氏の公演でこのセールの話しを聞いた。
要約すると、
①近年は顧客の価格に対するロイヤリティーが失われている。定価に対しての信頼感が無い。
→オープン価格や、ディスカント、セールの日常化によって定価の3割引きと謳われても、顧客自身が○割引に慣れ過ぎて、定価なんてあって無い様なものでしょ?どこでも3割引き、探せば4話引きとかで売られているんでしょ?と感じて来ている為、「普通に○割引セール」とキャンペーンを張っても、殆ど効果が無い。例え実際には小売として相当の値下げ努力をしていても。
②定価で売っても、キャシュバックした方が信頼される。
→具体的に○円戻ってきます。と、した方がロイヤリティが得られる。しかし単にキャッシュバックしますでは訴求力に欠ける。
今はモノ余りの時代で、家の中には使ってないけど、捨てられないモノが一杯ある。そういうモノを引き取って、目に見える「お金」という形で換金する事で、心理的な壁が無くなる。結局は同じ値下げでもよっぽど効果的が得られる。
実際にこのキャンペーンは相当な成果を上げたそうだ。事実小生の嫁も、まんまとこのキャンペーンに引っかかっていた。
また、例の如く、このキャンペーンも社内からは、2割引き、3割引きで売っても売れないのに、そんな事やっても効果が無いと言われたそうだ。同氏の著書を読んだ事のある方なら周知とは思うが、ここでも「周りが反対する事をやると成功する」「売り手発想では無く顧客心理から考える」という例の法則を、また成功させた訳だ。「売り手発想だと、直ぐに5割引きとかそう言う方個性に走ってしまう」との事
無論、この話しを聞いてキャンペーンの種明かしをされても「あっ!確かに、なるほど!」との想いは持っても騙されたとは思わない。
~~以下は完全な小生の仮説として書く。(本当に大手カード会社の内情がそうであると告発するものではない)
一方カード会社の最悪なキャンペーンはどうだろうか?
①利用状況が急に上がった会員は、キャシングに対するニーズが高い。
→利用状況のデータから最近利用が急に増えてきた会員ならば、現金に困っている事が多くキャシングの利用をする可能性が高い。事実そういうデータも取れている。
②キャシングは銀行、消費者金融、他カード会社など、様々なコンペチターが居る。自社のカードのキャッシングを利用してもらう為の後押しが必要。
→金利の引き下げや、ポイントを倍して、一部の方だけの特別キャンペーンとして認知してもらう。
この様なキャンペーンも、「顧客心理」から考えられたものでは無いのか?「下取りキャンペーン」とどう違うのか?
・・・・・そう、発想の起点が「顧客か、売り手か」の違いである!
「下取り」と「最悪」の①、②を良く読み比べて欲しい。
マーケッターが陥る最大の課題は正にここにある。
「売り手起点で4P(4C)を構築しても全く意味がない」
「売り手起点で顧客心理を考えても全く意味が無い」
売り手起点で発想されたキャンペーンは、この後、では、具体的にどうやってキャンペーンを張ろうと検討される。「最悪キャンペーン」の例の場合、プロモーションは利用明細や、Webの会員個人サイトでは、明らかに訴求力が弱い。では直接電話しよう。社員を使うとコストが高いので「業者」を使おう。平日だと電話に出ない可能性が高いので、日曜日の昼にしよう。
こうやって「最悪キャンペーン」が実施されてしまう訳だ。「顧客起点で顧客心理」をしっかり検討していたら、日曜日の昼間に借金の勧誘電話をする事の愚かしさに真っ先に気づく筈だ。
鈴木敏文氏の「顧客起点」「顧客心理」というのは、言葉にするのは簡単だが、実践するのは酷く難しい。「顧客起点」で「顧客心理」を読んだつもりでも、実際には「売り手」起点になってしまっている事が実に多いのだ。
また、同氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、
小生が書いた。
消費者自身が種明かしされた時に「あっ!確かに、なるほど!」と思える。
の二点には、実に重要なインサイトが隠れている。
「最悪キャンペーン」にこの二点をあてはめて欲しい。
「データから急に利用が増えた会員は、キャシングに対するニーズが高い様です。今は不景気でカードの利用自体の増加は見込めません。該当会員に対して、キャンペーンを打ちたい」と社内で提案した場合、反対する人がどれほど居るだろうか?
また、この様な社内の検討があってこの様なキャンペーンをやってみました。と種明かしされた消費者が「あっ!確かに、なるほど!」と思うだろうか?
これは「最悪キャンペーン」に限った事では無い。殆どのキャンペーンが「3割引きで駄目なら、5割引で頑張ろう」になってしまうのだ。
消費者として、そのキャンペーンを種明かしされた際「あっ!確かに、なるほど!」と思えるかどうか?をマーケティングキャンペーンを検討する際に重要なバロメータとして認知してみては如何か。
次回、失敗戦略や失敗キャンペーンが企画されてしまうメカニズムに関して記載したい。
2009年5月11日月曜日
アウトバウンドうざい
日曜日のお昼。家族団欒の時を過ごしているとき、一本の電話を嫁が受けた。
嫁はカード会社からTELとの事だったので、何の疑いもなく私に電話を回したわけだが・・・カード会社からの電話など掛って来た記憶が無いので、少し「ドキッ」とした。カードを落とした?とか不正利用?とか残高不足で引き落としが間に合わなかった?とか。
内容は「今キャッシングをご利用頂くとポイントが倍になります。金利も安いです」という宣伝を一方的に3分程。「キャッシング」って様は無担保ローンだからサラ金と一緒。利用しようと思った事は一度も無い。借金を勧める電話を家族団欒の真昼間に受けていい気分になる訳もない。小生あんまり怒ったりするのは柄では無いので聞くだけ聞いて電話を切ったのだが・・・
実は、このカード会社のカードは5年ほど前、あるショッピングモールでキャンペーンをやっている時に作ったものだ。カードを作ると全品2割引きで年会費無料という事で定価が50万程する時計が、セールで30万になっていてカードを作ると更に6万円引き!なので問答無用で入会したが、メインのカードは別のカード会社の物を使っていたので、それっきり全く使っていなかった。
しかし、1年程前そのメインのカードにある問合せをしたところあまりに腹の立つ対応をされたので、もうここのカードを使うのは辞めようと思い(この時も優しい小生はこの担当者には何も言わず)それからはショッピングモールで作ったカードをメインカードに切り替えた。
ここからは単に推測でしかないが、このTELを掛けてきたカード会社は会員数は業界トップクラスの会社なので、会員数は数千万になる。全員にこの様なアウトバウンドコールをするのは現実的では無い。だとすると、何かしらのデータから抽出してターゲットを決めて掛けてきたに違いない。急に利用が増えた会員をデータからリストアップしてTELして来たのではないだろうか?
マスでは無く、データからターゲットを決めて、キャンペーンを張るのはもはや常識的すぎる手段だ。
確かにこのキャンペーンで、キャッシングの実績が何パーセントか上がるかもしれない。不景気なこのご時世に急にカードの利用額が上がっている会員なら、効果度は高いだろう。そうなればターゲッティングの冥だと親会社の銀行もホクホクだろう。
また、この様なアウトバウンドコールは自社の社員では無く、ほぼ間違い無くどこかのアウトソーサに委託する。
試しにWebで「営業 BPO」(BPOはビジネスプロセスアウトソーシングの略)で検索してみれば、その様な業者が山の様にある事に気づくだろう。
TELアポやアウトバウンドコールは外部に委託し、そこで引っかかった良質なリード(見込み客)は自社の営業マンが対応する。とか。形態は色々。確かに労働単価の高い自社の正社員営業マンがTEL掛けまくるというのは非効率だ。最近は営業アウトーシングとして、クローズ(受注)までを成果報酬などで請負う企業も多くなった。
このカード会社は、「業者を使い効率的に実績をあげられる有効な手段」を実施したと満足かもしれない。
なるほど「売る側」の理屈としては「効率的」かもしれない。
しかし、常識的に日曜日の真昼間に「キャンペーンやってますので借金しませんか?」と電話を掛けてこられて、いい気分になる顧客がどれほど居るだろうか?少なくとも小生はこのカードも解約かメインカードからの降格の対象になっている。
業者はノルマをこなすだけで、与えられたリストから、何人に電話を掛けて、何人と繋がって、何人が最後まで聞いた。というデータを、依頼主に返して報酬を得るだけだ。
もちろんアウトーソースの形態や業者の質も様々だし、一概に否定する訳ではないが、本当に顧客と自社の商品やサービスに愛着を持って「業者」が接するだろうか?大切な「顧客接点」を業者にアウトソースする事の意味をよくよく再考した方が良い。
もちろん「業者」かどうかは小生が勝手に言っているだけで、本当のところは解らない。
しかし、どちらにせよ、彼ら(このカード会社)は、少なくとも小生の事など全くどうでも良い顧客だという事は良く伝わった。
「業者」と共に、コンサルとかマーケッターが口にする「ターゲティング」や「セグメンテーション」には多くの「嘘」がある。自社起点で「何を?誰に?どうやって売るか?」のロジックになってしまっているケースがあるからだ。コンサルやマーケッタ自体も「業者化」している証拠だろう。
それって基本じゃないの?と思った方は要注意!これのマズさはまた機会があれば説明したい。
このカード会社も他に漏れず、会社概要には「お客様の多様なニーズに的確お答えして・・・」なんて書いてある訳だが、
小生のニーズは「借金」か!!!
嫁はカード会社からTELとの事だったので、何の疑いもなく私に電話を回したわけだが・・・カード会社からの電話など掛って来た記憶が無いので、少し「ドキッ」とした。カードを落とした?とか不正利用?とか残高不足で引き落としが間に合わなかった?とか。
内容は「今キャッシングをご利用頂くとポイントが倍になります。金利も安いです」という宣伝を一方的に3分程。「キャッシング」って様は無担保ローンだからサラ金と一緒。利用しようと思った事は一度も無い。借金を勧める電話を家族団欒の真昼間に受けていい気分になる訳もない。小生あんまり怒ったりするのは柄では無いので聞くだけ聞いて電話を切ったのだが・・・
実は、このカード会社のカードは5年ほど前、あるショッピングモールでキャンペーンをやっている時に作ったものだ。カードを作ると全品2割引きで年会費無料という事で定価が50万程する時計が、セールで30万になっていてカードを作ると更に6万円引き!なので問答無用で入会したが、メインのカードは別のカード会社の物を使っていたので、それっきり全く使っていなかった。
しかし、1年程前そのメインのカードにある問合せをしたところあまりに腹の立つ対応をされたので、もうここのカードを使うのは辞めようと思い(この時も優しい小生はこの担当者には何も言わず)それからはショッピングモールで作ったカードをメインカードに切り替えた。
ここからは単に推測でしかないが、このTELを掛けてきたカード会社は会員数は業界トップクラスの会社なので、会員数は数千万になる。全員にこの様なアウトバウンドコールをするのは現実的では無い。だとすると、何かしらのデータから抽出してターゲットを決めて掛けてきたに違いない。急に利用が増えた会員をデータからリストアップしてTELして来たのではないだろうか?
マスでは無く、データからターゲットを決めて、キャンペーンを張るのはもはや常識的すぎる手段だ。
確かにこのキャンペーンで、キャッシングの実績が何パーセントか上がるかもしれない。不景気なこのご時世に急にカードの利用額が上がっている会員なら、効果度は高いだろう。そうなればターゲッティングの冥だと親会社の銀行もホクホクだろう。
また、この様なアウトバウンドコールは自社の社員では無く、ほぼ間違い無くどこかのアウトソーサに委託する。
試しにWebで「営業 BPO」(BPOはビジネスプロセスアウトソーシングの略)で検索してみれば、その様な業者が山の様にある事に気づくだろう。
TELアポやアウトバウンドコールは外部に委託し、そこで引っかかった良質なリード(見込み客)は自社の営業マンが対応する。とか。形態は色々。確かに労働単価の高い自社の正社員営業マンがTEL掛けまくるというのは非効率だ。最近は営業アウトーシングとして、クローズ(受注)までを成果報酬などで請負う企業も多くなった。
このカード会社は、「業者を使い効率的に実績をあげられる有効な手段」を実施したと満足かもしれない。
なるほど「売る側」の理屈としては「効率的」かもしれない。
しかし、常識的に日曜日の真昼間に「キャンペーンやってますので借金しませんか?」と電話を掛けてこられて、いい気分になる顧客がどれほど居るだろうか?少なくとも小生はこのカードも解約かメインカードからの降格の対象になっている。
業者はノルマをこなすだけで、与えられたリストから、何人に電話を掛けて、何人と繋がって、何人が最後まで聞いた。というデータを、依頼主に返して報酬を得るだけだ。
もちろんアウトーソースの形態や業者の質も様々だし、一概に否定する訳ではないが、本当に顧客と自社の商品やサービスに愛着を持って「業者」が接するだろうか?大切な「顧客接点」を業者にアウトソースする事の意味をよくよく再考した方が良い。
もちろん「業者」かどうかは小生が勝手に言っているだけで、本当のところは解らない。
しかし、どちらにせよ、彼ら(このカード会社)は、少なくとも小生の事など全くどうでも良い顧客だという事は良く伝わった。
「業者」と共に、コンサルとかマーケッターが口にする「ターゲティング」や「セグメンテーション」には多くの「嘘」がある。自社起点で「何を?誰に?どうやって売るか?」のロジックになってしまっているケースがあるからだ。コンサルやマーケッタ自体も「業者化」している証拠だろう。
それって基本じゃないの?と思った方は要注意!これのマズさはまた機会があれば説明したい。
このカード会社も他に漏れず、会社概要には「お客様の多様なニーズに的確お答えして・・・」なんて書いてある訳だが、
小生のニーズは「借金」か!!!
2009年4月24日金曜日
クビ切りという麻薬
連日取り上げられる、派遣切り、内定取り消し、大企業のリストラのニュース。マスコミが取り上げるのは本当にごく一部の事例でしかない。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。
小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。
しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。
経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。
新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。
これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。
繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!
残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。
小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。
こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。
経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。
新聞に取り上げられる様な大企業でないところでは、労基?なにそれ?といった感覚で社員のクビを切っている会社が多くあるのが実態だ。大企業は世間の目があるので、退職金を積み増したり、再就職先を斡旋したりするのでまだマシな方だ。しかし、こういう企業ではそんな事は全くのお構いなしだ。まさにリストラなんていうカッコの良い言葉では無く「クビ切り」だ。
小生は、もっともっと労働は自由化すべきで今の労働基準法が良いとはちっとも思わない。(もちろん法令順守は本来絶対条件であるべきで法令順守を否定するものではない。)
経営者は不景気で売上が減り、雇用を守っていれば会社自体が潰れてしまう。そうなれば全従業員が職を失う。多少の犠牲は仕方がない。「今回は100年に一度の不況、責められる云われはない。」と考えるのは確かに一理ある。
しかし、具体的に小生の知っている企業でも「本当にそれで危機を脱せれるの?」と思うやり方でクビ切りをやっている企業が多く存在する。例えば100人規模の会社の経営者が「もっとも無能」と思う10人のクビを切る。年間で1億円近い人件費が削減され、赤字から利益が出る様になったとしよう。経営者は一先ず利益体質にしたのだから景気が回復したらまた徐々に人を増やせば良いと考える。
しかし、如何に経営者が「無能」と思っていたとしても10人が生み出していた価値提供能力は少なからず減る。この状態で景気が更に悪化したらどうなるだろうか?
この場合この経営者は「次に無能な10人」をリストアップしてクビを切るだろう。。。。
経営者と言うものは本来500万円で人を雇い入れた場合。500万の原価から如何に付加価値を生み出すか考えなければ行けない。500万円の社員がどう動けば、数百万、数千万、数億の利益が生み出されるかを常に考えマネジメントしなくてはならない。
(ニンテンドーは社員一人あたり1億6千万円の利益だそうだ!)
マネジメントがしっかりと出来ていない企業。なんと無く忙しくて人が足りない。好景気で伸びそうだから人を取っておこう。レベルで採用をしていた企業程、クビ切りに走る。
こういう企業の経営者は不景気を言い訳に10人のクビを切って1億のコスト削減を考えるが、不景気を前提に、その10人を活かして1億の利益を出す事は考えられないのだ。
新卒、中途を問わず、社員を増やした場合、多大なコストを発生させる。採用コスト、教育コスト、最初の半年~1年は戦力にはならなず給与だけは支払うという状態だ。もちろん先輩社員達のOJTの時間もコストだ。
これらのコストに対して本来は相応なリターンを得なければいけない訳だが、「無能な10人」が居るという事は、その経営者は、ただただ、そのコストを垂れ流してきた事の証明を自らしてしまっているのだ。
これは、従業員側から見れば、有能な社員であればある程、その「クビ切り経営者」が如何に無能かを改めて知るという事なのだ。
小生の知る限りこの現象は事実多くの企業で発生している。もっとも無能な10人のクビを切った会社が、もっとも優秀な10人も失う。という現象だ。
繰り返そう
「無能な社員が会社に居るという事は、経営者が如何に無能かの証明である」ニンテンドーの社員は超絶に有能で、その会社の社員は超絶に無能。
↑そんな訳ね~だろ普通に!
残された80人は、他に行き場所の無い人畜無害のそこそこ社員な訳だが、その社員達の士気は殆どゼロ。当然売上はさらに減少し、顧客満足も下がる。無能な経営者は一度味を占めた、クビ切りをまた行って利益を出す・・・・そして廃人、いや、廃企業となるだ。
小生が少し覗いて見ると、まだまだ明日への「打ち手」が山の様にあるケースが殆ど。
こういう企業の経営者で「批判は承知の上で、私が悪者になり矢面に立ち勇気ある決断で他の人の雇用を守った」「泣いて馬謖を斬る」などと悲劇のヒーロー、ヒロイン気分で悦に入っている人すらいる。
本当に「馬鹿丸出し」状態。多少アドバイスした所で、「何を青臭い事言いやがる。お前に俺の気持ちが解るかっ!」となるのがおち(笑)。小生は心の中で「あなたの方がよっぽど青臭い」なんだが・・・その事は心の中と、このブログのみに留めておこう。
経営者の今日の仕事は将来への投資を行う事だ!!
一度だけ、だと「クビ切り」という麻薬に手を染め、現実逃避の利益を出しても、その先にあるのは転落だけで、決して元には戻れない事を覚悟した方が良い。
2009年4月13日月曜日
プリウスとレクサス
ホンダのインサイトが189万円ならトヨタの新型プリウスは205万円。
かつて日産ブルーバードとトヨタコロナで過剰な販売合戦が行われ「BC戦争」と称された事があるが、今度はハイブリッドカーを主力とした「PI戦争」と言うべきか。
今回、新型プリウスは当初、現行型より値上がりするとみられており、一番安いモデルでも250万円位のプライスタグがつけられるとの大方の予想であった。しかしインサイトが189万円で、予想を上回る受注を得た結果205万円での販売を踏み切らせたのは間違いない。
ハイブリットの仕組みの違いや、ベースとなるプラットフォームの違い、等々を考えるとあからさまなインサイト潰しであるとの声が上がるのも無理は無い。しかし何故そこまでするのか?をもっと踏み込んで考えると直接「インサイト」を潰す。よりももっと広義で「ハイブリッドカー=トヨタ」というブランドを守りたいのでは無いかという気がしてならない。
トヨタが初代プリウスを販売したのが1997年である。価格は215万。世界初の量産ハイブリッドカーであり、この価格で出すのは戦略的な価格であって「売れば、売るほど赤字」では無いかと言われた。初代プリウスのプラットフォームはプレミオ/アリオンという中型車と共有していると言われ、そのプラットフォームに完全に独自のハイブリット技術を盛り込んだのだから、初代においてもバーゲンプライスだったのは言うまでもない。
ホンダはその2年後に初代インサイトを発売するが、これは2名乗車であり、いろいろな面で「買わないでくれ」オーラに満ちていた。一先ず燃費世界一でトヨタに負けていないというメッセージを出す事が重要で、ホンダにしてもインサイトは売れば売れるほど赤字だったのだろう。
技術的にもトヨタのハイブリットはモータのみで独立して駆動するのに対して、ホンダのハイブリッドはあくまでモータはエンジンの補助動力という扱いである。(それは今でも変わらない)
しかしトヨタは215万のプリウスを本気で販売した。いち早くブランドを確立。部品コストの量産効果を得たかったからで、その戦略は見事に成功した。今のところハイブリッドカーと言えばプリウスであり、エコカーで最先端を行っているのはトヨタというイメージを市場に作る事に成功した。この為、技術は進化し、コストは下がり、ブランド力は向上するという、先行者として、教科書どおりの戦略で成功を収めた。
今回の新型プリウスは205万でもちゃんと利益が出る様になっていると踏んでいる。流石に昨今の経済情勢と「売れるプリウス」で、売れば、売るほど赤字という訳には行くまい。で、あるならばトヨタが利益が出るギリギリのラインまで価格を下げてもインサイトを潰し、プリウスブランドを守るのは当然である。
一方のホンダは初代インサイトの後ハイブリッドを止めた訳では無く、現在でも現行インサイトの前からシビックハイブリッドを販売している。現行のシビックハイブリッドは229万からである。シビックより格下のフィットがベースとなっているインサイトの価格が189万で安いと言われているのだから、決して高い価格では無い。しかしこのシビックハイブリットは恐ろしく売れていない。
決論から言ってしまえば、新型インサイトはプリウスの様な形をしているから売れた。ホンダにしてみれば、初代インサイトの形を引き継いでいる。とか、空力を追求した結果。とか「言い訳」は一杯できるが、実際のところ初代インサイトの形なんて相当なマニアじゃなきゃ覚えていないし、ハイブリッドカーで無い車種で素晴らしい空力を実現している車も多く存在している。
消費者の視点から見れば、シビックの形をしたハイブリッドカーはハイブリッドカーとして認知させず、プリウスの形をしたインサイトこそがハイブリッドカーなのである。ホンダはトヨタの作った「エコカー=ハイブリッドカー=プリウス」に上手く乗った形であって、言い代えればインサイトは「ホンダの作った安いプリウス」なのである。
そう考えると「PI戦争」もう勝負はついてしまったかも知れない。
だからという訳では無いが、もう1点の論点を加えたい。それは「レクサス」だ。すでに一定の成功を収めた北米でのレクサスでは無く、あくまでも国内における「レクサス」だ。
2003年から開始した、国内でのレクサスの販売状況は惨憺たる現状だ。2008年上期で1万5000台で計画の約半分という状態だから、2008年下期、2009年上期は壊滅的状況だろう。
この不振に対してもいろいろな事が言われている。「訪問販売をしない営業方針に問題がある」「性能、品質面でまだまだ独高級車などに及ばない」etc・・小生いまいちしっくりこない。
そもそもトヨタはなぜ国内でレクサスの販売を始めたのか?
理由は簡単である。少子高齢化、人口減の日本においては薄利多売では無く、一台あたりの利益率を高める必要があるからだ。自動車の場合、メーカの台あたりの利益は販売価格の1割~2割と言われている。すなわち利益率が仮に1割だとして100万の車を10台売っても利益100万だが、1000万の車を2台売れば200万の利益が出る。一般には利益率は高級車程出るので(おそらく1000万の車なら300万は堅そう)この点を考えると、人口減の日本においてトヨタがレクサスを展開したのは至極妥当な判断だったと思える。もちろん、すでにイメージが出来上がっている「トヨタ」ブランドで展開するのは限界がある。なのでホンダは「アキュラ」日産は「インフィニティ」といった北米でのブランドを日本に持ち込む時期を「レクサス」の状況を見ながら見計らっている。
何が言いたいか?日本における「レクサス」という組織は「利益」を挙げる事を目的に作られた組織なのではないのか?(内部の事情は知らないので、本当の所は知りえないが・・)
北米、欧州においては既にレクサスブランドだった、日本におけるアルテッサ、ソアラ、アリスト、セルシオ、ハリヤーといった車種をモデルチェンジ、もしくは一部改良して「レクサス」として販売した。もちろん利益率は相当高いと想像できる。
(だからと言って、ベンツやBMWの日本における利益率がレクサスに比べて低いとは思えない。)
しかしこれでは消費者がわざわざ高いコストを支払い、高い利益をメーカに与えるインセンティブはどこにも無い。ゴージャスなディーラの「おもてなし」対して払うのか?もちろん「組織」の言い訳としては、性能、品質、価格、サービスどれをとっても「ベンツ」や「BMW」より素晴らしい。と言うだろうし、実際にそういう面も多いのだろう。しかしそれは「組織」としての「言い訳」にしかならない。
ブランド構築の方法論が完全に逆である。もし「レクサス」組織の存在目的が「利益」であるとするならば、今すぐにでも改めるべきである。
もっとハッキリ言おう!
「レクサス」は今のところ「シビックハイブリッド」でしか無い。
「レクサスって何?」と聞けば「トヨタの高級車ブランド」と答える人が多いだろうが、「高級車って?」と聞いて「レクサス」と真っ先に答える人は少ない筈だ。既存車種である「シビック」にモーターを加えてハイブリッドカーです。もしそれが「プリウスより価格も性能の優れています。」と言っても誰も相手にしない様に、既存車種に高級車の要素を加えて「高級車です」といっても通用しないのだ。
レクサスに割り当てられた技術者達が既存プラットフォームや共有化された部品の中で「利益率」を意識しながら車を作るのでは無く、全くのゼロベースで真の高級車を考えて作ってみてはどうか?もしかすると完成した車はものすごく利益率が悪く、かつ、今までのやり方で作った車と性能、品質面でも変わらないかも知れない。しかし、本気で高級を追求したのであれば、組織として高級に対する試行錯誤が生まれる。そうする事によって初めて「トヨタの高級ブランド「レクサス」」が誕生するのではないのか?
しかし、今もし「レクサス」が利益追求型組織のままでいるならば、既存車種の「格上げ」が終わった後に取る行為はベンツ、BMWに対する「インサイト」の発売だろう。それではエコカーの市場でイノベーションを起こしたプリウスの様に、高級車の市場でイノベーションは起こせない。私がトヨタの社長であれば「レクサス」の組織は利益追求型組織では無く、イノベーション追及型組織にする。そうした方が後々「利益」に繋がると考えるからだ。
ブランド構築は急がば回れですよヨ。トヨタさん。
ああっ・・ついでにホンダに関しては今一度「オヤジ」さんに雷を落とされた方が良いね。
かつて日産ブルーバードとトヨタコロナで過剰な販売合戦が行われ「BC戦争」と称された事があるが、今度はハイブリッドカーを主力とした「PI戦争」と言うべきか。
今回、新型プリウスは当初、現行型より値上がりするとみられており、一番安いモデルでも250万円位のプライスタグがつけられるとの大方の予想であった。しかしインサイトが189万円で、予想を上回る受注を得た結果205万円での販売を踏み切らせたのは間違いない。
ハイブリットの仕組みの違いや、ベースとなるプラットフォームの違い、等々を考えるとあからさまなインサイト潰しであるとの声が上がるのも無理は無い。しかし何故そこまでするのか?をもっと踏み込んで考えると直接「インサイト」を潰す。よりももっと広義で「ハイブリッドカー=トヨタ」というブランドを守りたいのでは無いかという気がしてならない。
トヨタが初代プリウスを販売したのが1997年である。価格は215万。世界初の量産ハイブリッドカーであり、この価格で出すのは戦略的な価格であって「売れば、売るほど赤字」では無いかと言われた。初代プリウスのプラットフォームはプレミオ/アリオンという中型車と共有していると言われ、そのプラットフォームに完全に独自のハイブリット技術を盛り込んだのだから、初代においてもバーゲンプライスだったのは言うまでもない。
ホンダはその2年後に初代インサイトを発売するが、これは2名乗車であり、いろいろな面で「買わないでくれ」オーラに満ちていた。一先ず燃費世界一でトヨタに負けていないというメッセージを出す事が重要で、ホンダにしてもインサイトは売れば売れるほど赤字だったのだろう。
技術的にもトヨタのハイブリットはモータのみで独立して駆動するのに対して、ホンダのハイブリッドはあくまでモータはエンジンの補助動力という扱いである。(それは今でも変わらない)
しかしトヨタは215万のプリウスを本気で販売した。いち早くブランドを確立。部品コストの量産効果を得たかったからで、その戦略は見事に成功した。今のところハイブリッドカーと言えばプリウスであり、エコカーで最先端を行っているのはトヨタというイメージを市場に作る事に成功した。この為、技術は進化し、コストは下がり、ブランド力は向上するという、先行者として、教科書どおりの戦略で成功を収めた。
今回の新型プリウスは205万でもちゃんと利益が出る様になっていると踏んでいる。流石に昨今の経済情勢と「売れるプリウス」で、売れば、売るほど赤字という訳には行くまい。で、あるならばトヨタが利益が出るギリギリのラインまで価格を下げてもインサイトを潰し、プリウスブランドを守るのは当然である。
一方のホンダは初代インサイトの後ハイブリッドを止めた訳では無く、現在でも現行インサイトの前からシビックハイブリッドを販売している。現行のシビックハイブリッドは229万からである。シビックより格下のフィットがベースとなっているインサイトの価格が189万で安いと言われているのだから、決して高い価格では無い。しかしこのシビックハイブリットは恐ろしく売れていない。
決論から言ってしまえば、新型インサイトはプリウスの様な形をしているから売れた。ホンダにしてみれば、初代インサイトの形を引き継いでいる。とか、空力を追求した結果。とか「言い訳」は一杯できるが、実際のところ初代インサイトの形なんて相当なマニアじゃなきゃ覚えていないし、ハイブリッドカーで無い車種で素晴らしい空力を実現している車も多く存在している。
消費者の視点から見れば、シビックの形をしたハイブリッドカーはハイブリッドカーとして認知させず、プリウスの形をしたインサイトこそがハイブリッドカーなのである。ホンダはトヨタの作った「エコカー=ハイブリッドカー=プリウス」に上手く乗った形であって、言い代えればインサイトは「ホンダの作った安いプリウス」なのである。
そう考えると「PI戦争」もう勝負はついてしまったかも知れない。
だからという訳では無いが、もう1点の論点を加えたい。それは「レクサス」だ。すでに一定の成功を収めた北米でのレクサスでは無く、あくまでも国内における「レクサス」だ。
2003年から開始した、国内でのレクサスの販売状況は惨憺たる現状だ。2008年上期で1万5000台で計画の約半分という状態だから、2008年下期、2009年上期は壊滅的状況だろう。
この不振に対してもいろいろな事が言われている。「訪問販売をしない営業方針に問題がある」「性能、品質面でまだまだ独高級車などに及ばない」etc・・小生いまいちしっくりこない。
そもそもトヨタはなぜ国内でレクサスの販売を始めたのか?
理由は簡単である。少子高齢化、人口減の日本においては薄利多売では無く、一台あたりの利益率を高める必要があるからだ。自動車の場合、メーカの台あたりの利益は販売価格の1割~2割と言われている。すなわち利益率が仮に1割だとして100万の車を10台売っても利益100万だが、1000万の車を2台売れば200万の利益が出る。一般には利益率は高級車程出るので(おそらく1000万の車なら300万は堅そう)この点を考えると、人口減の日本においてトヨタがレクサスを展開したのは至極妥当な判断だったと思える。もちろん、すでにイメージが出来上がっている「トヨタ」ブランドで展開するのは限界がある。なのでホンダは「アキュラ」日産は「インフィニティ」といった北米でのブランドを日本に持ち込む時期を「レクサス」の状況を見ながら見計らっている。
何が言いたいか?日本における「レクサス」という組織は「利益」を挙げる事を目的に作られた組織なのではないのか?(内部の事情は知らないので、本当の所は知りえないが・・)
北米、欧州においては既にレクサスブランドだった、日本におけるアルテッサ、ソアラ、アリスト、セルシオ、ハリヤーといった車種をモデルチェンジ、もしくは一部改良して「レクサス」として販売した。もちろん利益率は相当高いと想像できる。
(だからと言って、ベンツやBMWの日本における利益率がレクサスに比べて低いとは思えない。)
しかしこれでは消費者がわざわざ高いコストを支払い、高い利益をメーカに与えるインセンティブはどこにも無い。ゴージャスなディーラの「おもてなし」対して払うのか?もちろん「組織」の言い訳としては、性能、品質、価格、サービスどれをとっても「ベンツ」や「BMW」より素晴らしい。と言うだろうし、実際にそういう面も多いのだろう。しかしそれは「組織」としての「言い訳」にしかならない。
ブランド構築の方法論が完全に逆である。もし「レクサス」組織の存在目的が「利益」であるとするならば、今すぐにでも改めるべきである。
もっとハッキリ言おう!
「レクサス」は今のところ「シビックハイブリッド」でしか無い。
「レクサスって何?」と聞けば「トヨタの高級車ブランド」と答える人が多いだろうが、「高級車って?」と聞いて「レクサス」と真っ先に答える人は少ない筈だ。既存車種である「シビック」にモーターを加えてハイブリッドカーです。もしそれが「プリウスより価格も性能の優れています。」と言っても誰も相手にしない様に、既存車種に高級車の要素を加えて「高級車です」といっても通用しないのだ。
レクサスに割り当てられた技術者達が既存プラットフォームや共有化された部品の中で「利益率」を意識しながら車を作るのでは無く、全くのゼロベースで真の高級車を考えて作ってみてはどうか?もしかすると完成した車はものすごく利益率が悪く、かつ、今までのやり方で作った車と性能、品質面でも変わらないかも知れない。しかし、本気で高級を追求したのであれば、組織として高級に対する試行錯誤が生まれる。そうする事によって初めて「トヨタの高級ブランド「レクサス」」が誕生するのではないのか?
しかし、今もし「レクサス」が利益追求型組織のままでいるならば、既存車種の「格上げ」が終わった後に取る行為はベンツ、BMWに対する「インサイト」の発売だろう。それではエコカーの市場でイノベーションを起こしたプリウスの様に、高級車の市場でイノベーションは起こせない。私がトヨタの社長であれば「レクサス」の組織は利益追求型組織では無く、イノベーション追及型組織にする。そうした方が後々「利益」に繋がると考えるからだ。
ブランド構築は急がば回れですよヨ。トヨタさん。
ああっ・・ついでにホンダに関しては今一度「オヤジ」さんに雷を落とされた方が良いね。
2009年3月12日木曜日
クラウドはお好き?
クラウンドコンピューティング(以下クラウド)。はっきり言います。小生この言葉が大嫌い。
大嫌いと言う位だから、これは完全に私の個人的な嗜好の話しという前提で書きます。
クラウドコンピューティングに関して、下記Wikipediaより、
*****
従来のコンピュータ利用形態はユーザー(企業、個人など)がコンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア)とデータを自分自身で所持し管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。
*****
まず何か嫌いか?クラウドは「規模の経済」が働きすぎる。クラウドのビジネスをするのであれば、インターネットの向こうに多額の投資をする必要がある。データセンターや運営やサーバ、管理コスト。当然、利用者が増えれば、増えるほどこのコストは下がっていき、より良い「向こう側」を構築する事ができる。同時に「浮いたお金」でどんどん広告、宣伝を行う。利用者が増える。この循環がどんどん発生する。
当然ここには自己資本で始めた様な新規ITベンチャーがこのビジネスに参入する余地はない。すでにあるクラウド?上にサービスを構築するしかなくなるだろう。どこかのベンダーがそう表現する様に、クラウドベンダーは電気会社や水道会社の様な、インフラ企業となる事目指しているのだから当然かもしれないが、例えば革新的なソフトウェアのアイディアが生まれたとしても、それを作るのは、どこかのクラウドのインフラ上に構築する以外無い。と、するとそれはとても悲しい事では無いだろうか?クラウドはむしろオープン化の逆を行っている様に思えてならない。もちろんクラウドがデファクトになったとすればの話しだが・・・
ここまで書くと何かピンとこないだろうか?
クラウド勢はOSとオフィスソフトで覇権を握ったマイクロソフトを攻撃の対象としている。しかし、もしもどこかがクラウドで覇権を握れば、もはやそれを覆すのは至難の業になるのは自明で、結局は次のマイクロソフトを生むだけなのだ。
もちろん等のマイクロソフト自身もクラウド参入を表明している訳だが、まだまだいろいろな意味で含みを持たせている。どちらにも転べる様に・・・もちろん小生がマイクロソフトの熱心な信者では無い事も明言しておく。
ただ、
1・どこかのクラウドベンダーがマイクロソフト倒す。
2・マイクロソフトがクラウドの覇者となる
3・クラウドは流行らず、旧来のマイクロソフト型ビジネスが続く。
4・旧来のマイクロソフトビジネスとクラウドビジネスが共存する
実は小生はどうなろうが大した興味は無い。クラウドは嫌いと書いたが、もし仮に1・な世の中になっても受け入れる事はできる。クラウドが嫌いな最大の理由は、利用者側からみた時のクラウドの影響がどこまでどの様にあるかを考えた時である。
クラウド、クラウドと連呼したところで、それがもたらす影響は、
1・サーバの置き場所が変わる
2・支払う費用が変わる(安くなるとは限らない)
3・支払い方法が変わる
だけ。である。本当に「だけ」である。他に何かあるのであれば、是非教えて欲しい。
「インターネットに接続すればいつでも、どこでもプラットフォームに関係なく利用する事ができる」
「サーバのスペースや管理者が必要なくなる」
「使わなくなったら、辞める事ができる」
「ITを利用するのにどの様なサービスを利用したいか選ぶだけで良くなる」
幾ら、詭弁を弄した所で上記3つから外はれない。
○○コンピューティングという言葉で、思いだすのはEUC(エンドユーザコンピューティング)という言葉だ。ずいぶん昔に流行った言葉であるが、EUCがもたらしたインパクトは何であったか?企業内コンピューティングという観点で振り返ってみたい。
それこそ、20年も前に遡れば、パソコンはまだ企業では使われておらず、ホストコンピュータと呼ばれる大型コンピュータが企業における情報処理の中心だった。あとは部門毎位にホストコンピュータに繋がる端末(これ自体は何の処理もしない)と、ワープロと、電卓と言ったところだろう。
売上の集計や在庫管理、経理処理等々、何をするにも部門の利用者(エンドユーザ)は、電算室に依頼を出し、電算室の人間が自ら、プログラムを作成し、テストを行い。完成させる。というフェーズを経て、ホストコンピュータの空いている時間に、バッチ処理として流してもらう必要がった。すなわち業務担当者達はコンピュータを利用していた訳では無く、コンピュータに処理してもらっていた。分かりやすく言うと、どこか目的地に移動するにあったて、公共機関。電車やバスを利用するのか、自家用車で行くかの違いと似ている。前者は自分が好きな時間に、好きな場所で乗って、好きな場所で降りるわけにはいかない。あくまでも乗る場所は、バス停か駅。時間は時刻表に従う。降りる場所も決められた場所となる。後者は何の原則なんの制約も受けない。(法律と道路の及ぶ範囲で)
ビジネスの世界でパソコンの利用が一人一台となり、コンピューターの利用が各個人レベルに落ちた事は、非常にインパクトがあった。むろん当初はスタンドアロンで表計算やワープロが中心であったが、それでも「ちょっとした業務」を自分のパソコンで出来る様になったメリットは図りしれない。その後、企業内ネットワークが発達しクライアント&サーバ型のエンタープライズアプリケーションの登場により、いよいよホストコンピュータ中心のコンピューティングから、エンドユーザコンピューティングが活発化する。もちろん企業の中にいろいろな「ミニシステム」が構築されたり、気軽に導入出来るからといって部門レベルでのシステムが構築され、分散しすぎた企業内システムが弊害を引き起こしてきた事も事実だ。
しかし、インパクトの面で見れば、エンドユーザコンピューティングはクラウドコンピューティングとは比べモノにならない程、我々のコンピュータの利用の方法を変えてきた。
確かに理論上は、クラウドコンピューティングは規模の経済の上に成り立つ為、利用者が増え、業者も淘汰が進めば、支払うコストは少なく済む筈だ。しかし件のマイクロソフトはOSやビジネスソフトを圧倒的に支配するまでになったが、コスト面では利用者が恩恵を受けた事は少ない。むしろ望みもしないバージョンアップを強要され、本来払いたくもないコストを支払わされてきた感がある。
クラウドがそうであると危険を提唱するつもりは無い。なぜならクラウドが覇権を握る可能性が非常に低いと考えるからだ。小生、雲のこちら側の人々にも知り合いは多くいる。が、残念ながら「クラウド」という言葉など全く興味が無い人が殆どだ。経済危機の中でどう舵取りしていくか?本当に真剣だ。あちら側の人達との温度差を考えれば、小生がそう考える理由がそこにある。
あちら側の人達に望む事は、本当にビジネスに役に立つコンピュータ利用方法の提供であって、(エンタープライズアプリケーション導入プロジェクト成功率が3割?)、良く分からない「雲」を「こんどはコレですよ!」と、こちら側に売り込みをされる事では無い。
本来は経済危機に立ち向かう立派な武器になる筈のコンピュータを、「雲」などと言ってごまかすのはもうやめて欲しい。スタンドアロンでも、クライアントサーバでも安くて役に立つのであればいい筈だ。環境に役立てるのであれば、超ハイスペックになったクライアントPCのCPUをフルにぶん回した方がよっぽど良い。
(ちなみに小生は去年8月にノートPCを新調したが、全く快適では無い。WindowsVistaは最低のOSだ。折角のハイスペックなPCのパワーの殆どOSに取られ、業務効率はちっとも上がらない。)
おそらく向こう側の人達も本音では、こんな事言われなくても十分理解している。しかしエンタープライズのアプリケーションを企業経営にどう役立てるのかを提言するより、コンピュータ屋の得意なプラットフォームやテクノロジーの話しに挿げ替える方が楽に決まっている。雲の向こうにいる人達は神様になりたいのかもしれないが、顧客はもっと別の足元で悩んでいる。
最低限、その人達に解る言葉で伝えなければその宗教は流行らない。その為の伝道師達作りにも躍起の様だが、自分が儲ける事を考えている神様と、おこぼれをもらおうとする伝道師達の関係では、あやしげな新興宗教となにひとつ違いは無いのではないか?
大嫌いと言う位だから、これは完全に私の個人的な嗜好の話しという前提で書きます。
クラウドコンピューティングに関して、下記Wikipediaより、
*****
従来のコンピュータ利用形態はユーザー(企業、個人など)がコンピュータ(ハードウェア、ソフトウェア)とデータを自分自身で所持し管理していたのに対し、クラウドコンピューティングでは「ユーザーはインターネットの向こう側からサービスを受け、サービス利用料金を払う」形になる。
*****
まず何か嫌いか?クラウドは「規模の経済」が働きすぎる。クラウドのビジネスをするのであれば、インターネットの向こうに多額の投資をする必要がある。データセンターや運営やサーバ、管理コスト。当然、利用者が増えれば、増えるほどこのコストは下がっていき、より良い「向こう側」を構築する事ができる。同時に「浮いたお金」でどんどん広告、宣伝を行う。利用者が増える。この循環がどんどん発生する。
当然ここには自己資本で始めた様な新規ITベンチャーがこのビジネスに参入する余地はない。すでにあるクラウド?上にサービスを構築するしかなくなるだろう。どこかのベンダーがそう表現する様に、クラウドベンダーは電気会社や水道会社の様な、インフラ企業となる事目指しているのだから当然かもしれないが、例えば革新的なソフトウェアのアイディアが生まれたとしても、それを作るのは、どこかのクラウドのインフラ上に構築する以外無い。と、するとそれはとても悲しい事では無いだろうか?クラウドはむしろオープン化の逆を行っている様に思えてならない。もちろんクラウドがデファクトになったとすればの話しだが・・・
ここまで書くと何かピンとこないだろうか?
クラウド勢はOSとオフィスソフトで覇権を握ったマイクロソフトを攻撃の対象としている。しかし、もしもどこかがクラウドで覇権を握れば、もはやそれを覆すのは至難の業になるのは自明で、結局は次のマイクロソフトを生むだけなのだ。
もちろん等のマイクロソフト自身もクラウド参入を表明している訳だが、まだまだいろいろな意味で含みを持たせている。どちらにも転べる様に・・・もちろん小生がマイクロソフトの熱心な信者では無い事も明言しておく。
ただ、
1・どこかのクラウドベンダーがマイクロソフト倒す。
2・マイクロソフトがクラウドの覇者となる
3・クラウドは流行らず、旧来のマイクロソフト型ビジネスが続く。
4・旧来のマイクロソフトビジネスとクラウドビジネスが共存する
実は小生はどうなろうが大した興味は無い。クラウドは嫌いと書いたが、もし仮に1・な世の中になっても受け入れる事はできる。クラウドが嫌いな最大の理由は、利用者側からみた時のクラウドの影響がどこまでどの様にあるかを考えた時である。
クラウド、クラウドと連呼したところで、それがもたらす影響は、
1・サーバの置き場所が変わる
2・支払う費用が変わる(安くなるとは限らない)
3・支払い方法が変わる
だけ。である。本当に「だけ」である。他に何かあるのであれば、是非教えて欲しい。
「インターネットに接続すればいつでも、どこでもプラットフォームに関係なく利用する事ができる」
「サーバのスペースや管理者が必要なくなる」
「使わなくなったら、辞める事ができる」
「ITを利用するのにどの様なサービスを利用したいか選ぶだけで良くなる」
幾ら、詭弁を弄した所で上記3つから外はれない。
○○コンピューティングという言葉で、思いだすのはEUC(エンドユーザコンピューティング)という言葉だ。ずいぶん昔に流行った言葉であるが、EUCがもたらしたインパクトは何であったか?企業内コンピューティングという観点で振り返ってみたい。
それこそ、20年も前に遡れば、パソコンはまだ企業では使われておらず、ホストコンピュータと呼ばれる大型コンピュータが企業における情報処理の中心だった。あとは部門毎位にホストコンピュータに繋がる端末(これ自体は何の処理もしない)と、ワープロと、電卓と言ったところだろう。
売上の集計や在庫管理、経理処理等々、何をするにも部門の利用者(エンドユーザ)は、電算室に依頼を出し、電算室の人間が自ら、プログラムを作成し、テストを行い。完成させる。というフェーズを経て、ホストコンピュータの空いている時間に、バッチ処理として流してもらう必要がった。すなわち業務担当者達はコンピュータを利用していた訳では無く、コンピュータに処理してもらっていた。分かりやすく言うと、どこか目的地に移動するにあったて、公共機関。電車やバスを利用するのか、自家用車で行くかの違いと似ている。前者は自分が好きな時間に、好きな場所で乗って、好きな場所で降りるわけにはいかない。あくまでも乗る場所は、バス停か駅。時間は時刻表に従う。降りる場所も決められた場所となる。後者は何の原則なんの制約も受けない。(法律と道路の及ぶ範囲で)
ビジネスの世界でパソコンの利用が一人一台となり、コンピューターの利用が各個人レベルに落ちた事は、非常にインパクトがあった。むろん当初はスタンドアロンで表計算やワープロが中心であったが、それでも「ちょっとした業務」を自分のパソコンで出来る様になったメリットは図りしれない。その後、企業内ネットワークが発達しクライアント&サーバ型のエンタープライズアプリケーションの登場により、いよいよホストコンピュータ中心のコンピューティングから、エンドユーザコンピューティングが活発化する。もちろん企業の中にいろいろな「ミニシステム」が構築されたり、気軽に導入出来るからといって部門レベルでのシステムが構築され、分散しすぎた企業内システムが弊害を引き起こしてきた事も事実だ。
しかし、インパクトの面で見れば、エンドユーザコンピューティングはクラウドコンピューティングとは比べモノにならない程、我々のコンピュータの利用の方法を変えてきた。
確かに理論上は、クラウドコンピューティングは規模の経済の上に成り立つ為、利用者が増え、業者も淘汰が進めば、支払うコストは少なく済む筈だ。しかし件のマイクロソフトはOSやビジネスソフトを圧倒的に支配するまでになったが、コスト面では利用者が恩恵を受けた事は少ない。むしろ望みもしないバージョンアップを強要され、本来払いたくもないコストを支払わされてきた感がある。
クラウドがそうであると危険を提唱するつもりは無い。なぜならクラウドが覇権を握る可能性が非常に低いと考えるからだ。小生、雲のこちら側の人々にも知り合いは多くいる。が、残念ながら「クラウド」という言葉など全く興味が無い人が殆どだ。経済危機の中でどう舵取りしていくか?本当に真剣だ。あちら側の人達との温度差を考えれば、小生がそう考える理由がそこにある。
あちら側の人達に望む事は、本当にビジネスに役に立つコンピュータ利用方法の提供であって、(エンタープライズアプリケーション導入プロジェクト成功率が3割?)、良く分からない「雲」を「こんどはコレですよ!」と、こちら側に売り込みをされる事では無い。
本来は経済危機に立ち向かう立派な武器になる筈のコンピュータを、「雲」などと言ってごまかすのはもうやめて欲しい。スタンドアロンでも、クライアントサーバでも安くて役に立つのであればいい筈だ。環境に役立てるのであれば、超ハイスペックになったクライアントPCのCPUをフルにぶん回した方がよっぽど良い。
(ちなみに小生は去年8月にノートPCを新調したが、全く快適では無い。WindowsVistaは最低のOSだ。折角のハイスペックなPCのパワーの殆どOSに取られ、業務効率はちっとも上がらない。)
おそらく向こう側の人達も本音では、こんな事言われなくても十分理解している。しかしエンタープライズのアプリケーションを企業経営にどう役立てるのかを提言するより、コンピュータ屋の得意なプラットフォームやテクノロジーの話しに挿げ替える方が楽に決まっている。雲の向こうにいる人達は神様になりたいのかもしれないが、顧客はもっと別の足元で悩んでいる。
最低限、その人達に解る言葉で伝えなければその宗教は流行らない。その為の伝道師達作りにも躍起の様だが、自分が儲ける事を考えている神様と、おこぼれをもらおうとする伝道師達の関係では、あやしげな新興宗教となにひとつ違いは無いのではないか?
2009年2月3日火曜日
ブラック企業になれますか?
IT産業とかIT企業。という言葉はすっかり定着した感があるが、そのイメージはと聞かれれば「虚業」「如何わしい」「新3K(きつい、厳しい、帰れない)」「ゼネコン体質」と、小生が思い浮かぶだけでもマイナスイメージのオンパレードだ。
「虚業」に関しては、ライブドア事件以来すっかり定着したが、「新3K」とか「ITゼネコン」は、かなり昔からこの業界には蔓延している。SIerやソフトハウスと呼ばれる企業の多重請負体質が、その要因となっている。
小生、仕事柄このIT企業の経営層と話す機会が結構あるのだが、昨今の経済環境は当然これらIT産業へもダメージをもたらしている。もともとIT技術者はグローバル化し、中国、インドでのオフショア開発も盛んになり、人月の単価は下落傾向にあったが、それでも、つい去年の中までは、システム投資も右肩上がりだった為、業界自体はまだまだ伸びている感があった。そこへ今回の経済危機。単価が下がっている状況で、需要が一気に冷え込んだのだから、中堅以下のシステム会社(ここではあえてそう表現する)は相当に厳しい状況と言える。
「受託開発や請負派遣だけでは、もうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」
こう言う話しは経済危機よりも前も随分と聞いたが、一気に深刻化したといえる。
しかし、残念ながら、小生「大変ですね」としか答え様がない。
「受託開発」というのは「ITゼネコン」の言葉が表わす様に、どこか一次請け、二次請け、下手をすると三次、四次・・・がいて、エンドユーザはどこかすら知らず、言われたシステム(の一部)を開発する事が多い。もしくは元請け会社に出向してプロジェクトメンバーとして振る舞う「業務請負」形式で仕事を取ってきたりする。
確かにシステム会社の中でも、元請け会社に「業務請負」として「常駐」させる事(はっきり言って偽装請負です。)を生業としている企業は一番馬鹿にされている。(その次が受託開発かな)
では「脱却」とは何を指しているのか?
その殆どは「自前でパッケージソフトを開発して直接販売」したり「エンドユーザに対して、直接ソリューション提供していく」などの行為を指している様だ・・・
言葉をIT産業に戻そう。小生の勝手な見解を言わせて頂くなら「世の中に「IT産業」なんて産業は存在していない」。
もし、そんな産業が存在するならば、それは全て「虚業」である。
「IT産業」に所属する「IT企業」はハードメーカ、ソフトメーカ、通信事業者・・多種、多様に渡る様であるが、一般的にはIT=Information Technology=情報技術である。「情報技術産業」?例えば「宇宙技術」「航空技術」なら解る。何かしらのIndustryに対するTechnologyであるのに対して、informationはそうでは無い。
辞書を調べるとInformation Technology=情報工学となる様だ、小生は英語全く駄目なのでボロが出そうだが、技術そのものが産業になる事なんて本来ありえない筈だ。例えば、数ミクロンという単位で金属を削れる職人が揃っている金属加工技術会社です。なんてありえないのだ。
・金属加工のスペシャリストを派遣する「人材派遣会社」です。
・金型等を数ミクロン単位の精度で削る「金属加工会社」です。
のどちらかだろう。
更に続けよう。
基本的にIT企業という言葉で語られる成功企業は、「ショッピングモールの運営」であったり、「携帯電話の販売」であったり「金融商品の販売」であったり「ゲーム、娯楽を提供、販売」「本の販売」「広告収益で稼ぐメディア」であったり「電子文房具」や「電子大福帳」を作っているメーカであったりする。
もちろん裏にはネットワーク機器のメーカやサービス企業がいる。そのさらに裏にはOSメーカやらもあり、ちゃんと川下である一般消費者に対して明確な価値提供が行われており、川上からバリューネットワークが構築されているのである。
然るに、情報技術だけでは何の経済的価値を生むことは無い。
話がだいぶ飛躍したので戻し、5年ほど前、ネットでブラック企業の最右翼とされるシステム会社の幹部と話しをした際に聞いた言葉を紹介しよう。
その人は「うちがここまで大きくなり成功したのは、決して上流工程に手を出さなかった為だ」と言い切った。
その当時、その会社の新卒採用は1000名を超えていた。当然、彼ら(彼女ら)もプログラマーなどの下流工程の仕事を、下請けでやっていると限界を感じて来る。キャリアパスに不安を覚え、上流のSEを目指そうとうするのは自然の流れだ。しかしこの会社は規模は大きいが上流を決してやらない為、殆ど30際前後で辞めていくそうだ。
社員達はきっと、自分のキャリアだけで無く、多少の愛社精神からもウチの会社も、もっと上流をやれば会社としても「脱却」できるのに・・と考え憮然と辞めていくのだろう。容易に想像がつく。
が、その会社は実は意図して「脱却」しない様にしているのだ。
まさにブラック企業の面目躍如といったところか。。。
しかし、考えても見て欲しい。小生の知る限り日本の「IT産業」とやらの6割位は、単なる「人材斡旋業」だ?いくらカッコつけようが、契約形態が派遣契約じゃなかった所で、「脱却」したいと口だけ言ってみたところで、その中身は単に「労働力」という価値を提供してるだけに過ぎない。すなわち、経営者は、労働力を採用し、その労働力を必要としているところを見つけてきてマージンを稼ぐという斡旋稼業の元締なのだ。それ以外の価値を提供しているならば、教えてほしい。(まさかJavaに強いとか、コンサル力とか、ERPに自信有り、とか言わないよね。)
結局この6割の中でも、成功している企業は、自分達のビジネスが「人材斡旋業」であるとしっかり定義して、割り切った企業ではないだろうか。即ち可能な限り安く商品を仕入れて、可能な限り高く売る。この場合の商品は社員だ。引き受けてのない社員は在庫だ。高齢、高給の社員は仕入れ値が高い。そういうものを排除できる仕組みが必要だ。だからブラック企業と呼ばれる。よりディープに、法律すれすれ、モラルは捨てろ!ブラックに徹しきる力が成長の源だ。ディープブラック!ハードブラック!・・・(失礼!)
「受託開発や請負派遣だけではもうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」
真面目に答えるならば、
「あなたの会社が提供している価値は何?」
「小売業?メディア?ゲーム会社?金融業?広告代理店?違いますよね」、「人材斡旋業ですよね。労働力を売っているのですよね?」
ならば「人材斡旋業から金融業や小売業、文房具メーカとかに業種転換したいの?」「なに業がしたいの?」「そんな事出来るのア・ナ・タに・・・」
それとも「もっといい客に高く労働力を売りたいの?」だったらかっこ良い事言わず、ちゃんと腹を括るべきでは?その代わりア・ナ・タは立派な「ミニブラック企業」の経営者ですよ。
「単なる人売り見たいな事はしたくない?」だったら「貴方にとって理想の斡旋業を経営してみては?」
「IT産業」・・・この言葉がギョーカイの経営者を甘えさせている気がしてならない。
そんな産業は存在しない。と思う。
決して、苦しむ人を小馬鹿にするつもりはないけれど、本当の意味で日本がIT大国になるならば、こういう経営者達のレベルアップを期待せずにはいられない。
「虚業」に関しては、ライブドア事件以来すっかり定着したが、「新3K」とか「ITゼネコン」は、かなり昔からこの業界には蔓延している。SIerやソフトハウスと呼ばれる企業の多重請負体質が、その要因となっている。
小生、仕事柄このIT企業の経営層と話す機会が結構あるのだが、昨今の経済環境は当然これらIT産業へもダメージをもたらしている。もともとIT技術者はグローバル化し、中国、インドでのオフショア開発も盛んになり、人月の単価は下落傾向にあったが、それでも、つい去年の中までは、システム投資も右肩上がりだった為、業界自体はまだまだ伸びている感があった。そこへ今回の経済危機。単価が下がっている状況で、需要が一気に冷え込んだのだから、中堅以下のシステム会社(ここではあえてそう表現する)は相当に厳しい状況と言える。
「受託開発や請負派遣だけでは、もうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」
こう言う話しは経済危機よりも前も随分と聞いたが、一気に深刻化したといえる。
しかし、残念ながら、小生「大変ですね」としか答え様がない。
「受託開発」というのは「ITゼネコン」の言葉が表わす様に、どこか一次請け、二次請け、下手をすると三次、四次・・・がいて、エンドユーザはどこかすら知らず、言われたシステム(の一部)を開発する事が多い。もしくは元請け会社に出向してプロジェクトメンバーとして振る舞う「業務請負」形式で仕事を取ってきたりする。
確かにシステム会社の中でも、元請け会社に「業務請負」として「常駐」させる事(はっきり言って偽装請負です。)を生業としている企業は一番馬鹿にされている。(その次が受託開発かな)
では「脱却」とは何を指しているのか?
その殆どは「自前でパッケージソフトを開発して直接販売」したり「エンドユーザに対して、直接ソリューション提供していく」などの行為を指している様だ・・・
言葉をIT産業に戻そう。小生の勝手な見解を言わせて頂くなら「世の中に「IT産業」なんて産業は存在していない」。
もし、そんな産業が存在するならば、それは全て「虚業」である。
「IT産業」に所属する「IT企業」はハードメーカ、ソフトメーカ、通信事業者・・多種、多様に渡る様であるが、一般的にはIT=Information Technology=情報技術である。「情報技術産業」?例えば「宇宙技術」「航空技術」なら解る。何かしらのIndustryに対するTechnologyであるのに対して、informationはそうでは無い。
辞書を調べるとInformation Technology=情報工学となる様だ、小生は英語全く駄目なのでボロが出そうだが、技術そのものが産業になる事なんて本来ありえない筈だ。例えば、数ミクロンという単位で金属を削れる職人が揃っている金属加工技術会社です。なんてありえないのだ。
・金属加工のスペシャリストを派遣する「人材派遣会社」です。
・金型等を数ミクロン単位の精度で削る「金属加工会社」です。
のどちらかだろう。
更に続けよう。
基本的にIT企業という言葉で語られる成功企業は、「ショッピングモールの運営」であったり、「携帯電話の販売」であったり「金融商品の販売」であったり「ゲーム、娯楽を提供、販売」「本の販売」「広告収益で稼ぐメディア」であったり「電子文房具」や「電子大福帳」を作っているメーカであったりする。
もちろん裏にはネットワーク機器のメーカやサービス企業がいる。そのさらに裏にはOSメーカやらもあり、ちゃんと川下である一般消費者に対して明確な価値提供が行われており、川上からバリューネットワークが構築されているのである。
然るに、情報技術だけでは何の経済的価値を生むことは無い。
話がだいぶ飛躍したので戻し、5年ほど前、ネットでブラック企業の最右翼とされるシステム会社の幹部と話しをした際に聞いた言葉を紹介しよう。
その人は「うちがここまで大きくなり成功したのは、決して上流工程に手を出さなかった為だ」と言い切った。
その当時、その会社の新卒採用は1000名を超えていた。当然、彼ら(彼女ら)もプログラマーなどの下流工程の仕事を、下請けでやっていると限界を感じて来る。キャリアパスに不安を覚え、上流のSEを目指そうとうするのは自然の流れだ。しかしこの会社は規模は大きいが上流を決してやらない為、殆ど30際前後で辞めていくそうだ。
社員達はきっと、自分のキャリアだけで無く、多少の愛社精神からもウチの会社も、もっと上流をやれば会社としても「脱却」できるのに・・と考え憮然と辞めていくのだろう。容易に想像がつく。
が、その会社は実は意図して「脱却」しない様にしているのだ。
まさにブラック企業の面目躍如といったところか。。。
しかし、考えても見て欲しい。小生の知る限り日本の「IT産業」とやらの6割位は、単なる「人材斡旋業」だ?いくらカッコつけようが、契約形態が派遣契約じゃなかった所で、「脱却」したいと口だけ言ってみたところで、その中身は単に「労働力」という価値を提供してるだけに過ぎない。すなわち、経営者は、労働力を採用し、その労働力を必要としているところを見つけてきてマージンを稼ぐという斡旋稼業の元締なのだ。それ以外の価値を提供しているならば、教えてほしい。(まさかJavaに強いとか、コンサル力とか、ERPに自信有り、とか言わないよね。)
結局この6割の中でも、成功している企業は、自分達のビジネスが「人材斡旋業」であるとしっかり定義して、割り切った企業ではないだろうか。即ち可能な限り安く商品を仕入れて、可能な限り高く売る。この場合の商品は社員だ。引き受けてのない社員は在庫だ。高齢、高給の社員は仕入れ値が高い。そういうものを排除できる仕組みが必要だ。だからブラック企業と呼ばれる。よりディープに、法律すれすれ、モラルは捨てろ!ブラックに徹しきる力が成長の源だ。ディープブラック!ハードブラック!・・・(失礼!)
「受託開発や請負派遣だけではもうやっていけない事は解っているので、何とか脱却したいのですが・・・」
真面目に答えるならば、
「あなたの会社が提供している価値は何?」
「小売業?メディア?ゲーム会社?金融業?広告代理店?違いますよね」、「人材斡旋業ですよね。労働力を売っているのですよね?」
ならば「人材斡旋業から金融業や小売業、文房具メーカとかに業種転換したいの?」「なに業がしたいの?」「そんな事出来るのア・ナ・タに・・・」
それとも「もっといい客に高く労働力を売りたいの?」だったらかっこ良い事言わず、ちゃんと腹を括るべきでは?その代わりア・ナ・タは立派な「ミニブラック企業」の経営者ですよ。
「単なる人売り見たいな事はしたくない?」だったら「貴方にとって理想の斡旋業を経営してみては?」
「IT産業」・・・この言葉がギョーカイの経営者を甘えさせている気がしてならない。
そんな産業は存在しない。と思う。
決して、苦しむ人を小馬鹿にするつもりはないけれど、本当の意味で日本がIT大国になるならば、こういう経営者達のレベルアップを期待せずにはいられない。
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