2009年6月15日月曜日

何故、キャンペーンが上手くいかないのか②

前回の続きを書く前に、前回の補足をしておきたい。
セブンアイ会長の鈴木敏文氏の「周りが反対する事をやると成功する」と、言うのは実に罪作りな言葉だと思う。
何故なら「周りが反対する事」は実際には殆ど失敗するという現実があるからだ。

一番多いのは、「空想、妄想企画」というものだ。一発当てて成功したオーナ経営者や、妙な社内政治で権力を握ってしまった人物などが企画したものに多い。

この手の人物が企画した「空想、妄想企画」は殆ど個人的な願望に近い事が多く論ずるに値しない。しかし、実際にはそういう企画?が企業の外を見ても世の中にはあちらこちらにある。例えば我が国は昔、「米国と戦争しても勝てる」と企画して、大惨事を招いた。「北朝鮮は地上の楽園」キャンペーンなんていうのもマスコミが企画した事もあった。
いずれもトンデモ企画だが、実際に止める事はできなかった。
近年でも「ゴニョゴニョ・・・」(いらない人に睨まれない様に隠しておきます)

企業の中で権力者から「空想、妄想企画」が提示された時、担当者が取れる行動は残念ながら
・「やったふりをして忘れるのを待つ」
・「傷口が広がらない様に少しだけやって、失敗の報告をする」
・「諦めるまで付き合う」
位しか選択肢が無い。自己顕示欲の強い権力者を正面から否定する時は、転職先を見つけてからにした方が良い。間違えても「本気なら伝わる筈だ」とか考えない事だ。

今回、失敗企画(キャンペーン、戦略)が生まれるメカニズムを考察する前提は、あくまでも有能で勤勉なマーケッターが何故、失敗企画を生み出してしまうのかに着目したい。

前回、企画を立案する際に重要なのは「顧客起点」で「顧客心理」を読む事だと書き、同時に酷く難しいとも書いた。
その理由はの

第一に、そもそも、その人間自身に優れた洞察力が必要となる。
第二に、「顧客起点」で「顧客心理」から「優れた洞察力」を持って企画したものは、社内で理解されない。
第三に、投資対効果を示せない。

上記、三点が主たる要因である。

第一の要因は、完全に個人の能力の問題である。鈴木敏文氏の本に出てくる様な事例を、もし小生が「顧客起点」で「顧客心理」を考え企画したとして、同じ様な企画を考え出す事が出来たであろうか?果たして、難しい。
こればかりは、ロジックを幾ら学んだ処で全く難しい。戦略を立てる際は良くコンサルファームの人間が言う様に「ファクト」(事実)とロジック(理論)が重要である。しかし残念ながら、「ファクト」(いや、あえて「事実」と書こう。)
「事実」なんて言うモノは、世の中で、起きている事全てが「事実」であって、それ自体は戦略立案にあたっては対象とならない。例えば顧客起点で「事実」を見た時に、「人間は大人になると、オナラを「すかしっぺ」で出来る様になる」と、ある研究でこんな「事実」があったとしよう。あなたのビジネスの戦略立案に役立つであろうか??
いや、今日、私の頭に寝ぐせが付いているのも「事実」だし、貴方が電車のドアに挟まれたのも「事実」だ。

そういえば「ITPRO」という日経のIT系ネットメディアで「マスゴミ」論が盛り上がった事がある。読者のコメントの多くが、マスコミは自分の主観など加えず、客観的な「事実」のみを伝えれば良いというものであったが、例えば麻生総理が「漢字を良く読み間違える」というのは「事実」であろう。「マスコミ」が「マスメディア」であり、スポンサーの受けが良く視聴者、読者の感心、興味を引く為に「事実」を伝える存在である。と割り切ればそうは腹も立たない。
しかしマスコミがおかしな事に「正義」とか「ジャーナリズム」なんて言葉を使うから、おかしな事になる。

麻生総理の漢字誤読という「事実」よりも、世の中に伝えなければいけない「真実」は一杯ある筈だ。「事実」にフィルターを掛ける事が「真実」では無い。あくまで個人を排して「事実」を積み上げて初めて「真実」にたどり着く。それを伝える事だ。政治や経済事件の度に起こる不自然な自殺、チベット、核、パチンコ、etc・・・伝える側のイデオロギーはどうでも良い。ネット上に転がる「噂や野次馬報道」では無く、プロとして、とことんまで「事実」を洗って「真実」に辿りつく姿勢。
そういう「骨太のジャーナリズム」と「マスメディア」は切り離して考えるべきだ。

ちなみに、岐阜県の裏金をデッチ上げた番組は「真相報道」の冠がついている(笑)、その一方で「骨太のジャーナリズム」は、必ずしも社会に許容されないというというのも、また「事実」だ。

話が大きく逸脱してしまったが、この事は企業内で起こる第二要因にも非常に近い。経営は突き詰めれば「ソーシャル・サイエンス」だと思う。

話を第一要因に戻そう、「ファクト」をどれだけ掴んでも、知っていても、「ロジック」を如何に学習しようと、最初にひらめく「仮説設定」がトンチカンな物だと全く意味が無いのだ。最初に立てた仮説から関連する「ファクト」を「ロジック」に掛け、頭の中で論理構築していく。当然論理構築していけば、顧客価値はあるか?自社のリソースは?同種の価値を提供する競合は?(3C)(笑)
価格は?製品サービスは?流通は?宣伝は?(4P)(笑)
といった様にフレームなんて重視しなくても、普通に検討材料になる。フレームはあくまでも頭の中の整理の為に使うのだが、最近やたら多いのが、フレームを知っている事が自体が、戦略家やコンサルタントだと勘違いしている御仁だ。
では、どうすれば、正しい仮説設定ができるのか?残念ながらこれは「洞察力」と「経験」から導きだされる一種の「勘」の様なもので、ある程度の処までは訓練を重ねれば磨かれるかもしれないが、本質的には個人の資質というより他にない。

第二要因である、
「顧客起点」で「顧客心理」から優れた洞察力を持って企画したものは、社内で理解されない。
のは、ありきたりな言葉で表すのなら「ニーズ」では無く「ウォンツ」レベルで洞察されている。「ウォンツ」即ち「見えざる欲求」は表出化していないからこそ「ウォンツ」なのである。「ウォークマン」の話しは有名だし知っている方も多いだろう。「ウォンツ」型製品企画の事例として有名だが、当然この様な製品は当初全くと言って理解されない。
必ず「そんなもの売れっこない」という反応を得る。
ちなみに「ウォンツ」は「シーズ」と近い。技術シーズは単たる技術追及の結果では無く、どこかで「ウォンツ」を捉えている場合が多い。「ニーズ」を良く知っている人間ほど、シーズを否定してしまう。

製品に限らず、戦略、キャンペーンといった企画を検討する際に、表出化していない「見えざる欲求」に対応したものは「ニーズ」を知るものに簡単に否定されてしまう。

鈴木敏文氏は純然たる巨大グループの会長職である。ウォークマンの企画を思いついたのも故盛田氏だ。一介のサラリーマンにしか過ぎないマーケティング担当者が、いつも「そんなのダメに決まっている」と言われる企画ばかりを提案していたらどうなるか?通常、この様な人物のサラリーマンとしての栄達はかなり難しい。
これが外部のコンサルタントであればどうか?クライアントからその様な反応をされれば契約を切られてしまう。内部の人間以上に本質的な提案が難しい事を、逆にクライアント自身が認識しておいた方が良い。

鈴木氏の場合は、サラリーマンからの出世であるが、市場への洞察力も長け、且つ社内を動かす政治力も発揮できる様な人材は、天賦の才に恵まれた、一部の人間だとある程度認識しておいた方が良い。

第三要因に関しては、第二要因とも重なるが「ウォンツ」レベルでの企画は、当然「見えざる欲求」である為、投資対効果を明確にできない。「当たるも八卦、当たらぬも・・・」の世界。この問題は非常に重要で且つ、解決策が見えない。大きなリスクを求めている。統計データや、モニタリング調査、テストマーケをある程度の精度で行う事によってリスクは低減できる。
しかし、リスクを恐れ、如何に費用対効果が確実なものであるか精査すればする程、時間と労力を失う。更に一番問題が多いのが、費用対効果を重視するあまり、企画そのものが、常識的にリータンが求められる範囲(もしくは開発陣やデザイン陣)に妥協を重ね、結果無意味なものになってしまうケースも多い。


以上、三点の要因を考えた時、小生はある種の絶望を覚える。天賦の才に恵まれているとは思えないからだ。
しかし、企業組織は多くの従業員を抱える。天才的な企画力を持ち、且つ社内政治に長けた人材はそうそういないだろう。しかし、逆にどちらかを持った人間であれば、比較的見つけ出す事ができるかもしれない。
もちろん、前者は無いが、後者(社内政治)だけに長けている人物には気をつけなければならない。

組織は必ず、前者を潰す方向に作用する。組織というのは、自らを「常識」に縛り付け、それを逸脱しようとする物を排除する。
何故なら、「非常識人」は「常識人」にとって自分達の居心地の良いコミュニティの破壊者だからだ。ヤクザやギャング、軍隊でもそうだ。

この点に気づき「組織」を運営できる企業は本当に少ない。今のソニーを見れば良く分かるだろう。

「天才を育てようよするな、見つけ出し活かす様にせよ」

今回はこんなところで止めておこう。

2 件のコメント:

sunki さんのコメント...

ふむふむ…なるほどですね。私もこの社内権力によるへんな企画実施担当、遺体ほど味わいました。
これも仕事…と我慢していましたね。心のどこかで頑張ればきっとうまく、と念じながら。

bukubukumaru さんのコメント...

コメントありがとうございます。
あのグーグルですら、最近は有能な人が抜けている様ですね。
組織とは難しく、厄介なものです。