「戦略じゃなくてノルマでしょ」なんて事を書いたが、どうも最近新手のノルマが流行している模様。
その昔BSC(BalancedScoreCard)の流行を契機に、CSF(CriticalSuccessFactor)、KPI(keyPerformanceIndicator)なんて言葉が随分流行した。
BSC自体は、狂牛病の騒ぎの沈静化とともにあまり聞かなくなってしまったが???(笑)
KPIという言葉だけは一般化し、ビジネスマンであれば知らぬ人もいない程、色々なところで使われる様になった。
さて、売上、利益という結果数値だけからの管理を脱するという意味では、BSCブーム後は「見える化」とか「経営ダッシュボード」「プロセス管理」とか色々表現こそ違いはあれ、結果数字だけを見るのでは無く、多角的に経営を左右する因子を的確に捉えオペレーションしていく。という事は一般的になってきたと思う。
その中で、「BSC」や「見える化」といった表現方法こそ差異があれ、KPIだけは言葉として生き残ったというのは何となく納得できるし、こういう考え方自体は酷く真っ当なもであろう。
さて貴方の会社で、以下の項目の内容は正確に把握できているか?
・営業マンの一ヶ月の平均訪問回数
・クレーム発生件数
・一顧客あたりの平均単価
・間接業務の労務時間
・Webや電話からの問い合わせ件数
・従業員の平均労働時間
・品切れ発生率
etc
かなり適当に、それっぽい項目を並べてみたが、こういった項目の内容の結果が、BS/PLに結果数字として載るのであって、結果に至るプロセスをしっかりと管理する事こそが重要だ。
で、これに目を付けたのがIT屋さん(笑)。とにかく「KPI」大好き!(笑)「見える化」ソリューション!(笑)
あるSFAベンダー(今や飛ぶ鳥を落とす勢い)のコンサル責任者の方と話しをした時に「KPIでしっかり管理すれば必ず業績が上がる」と強弁されて、目が点になってしまった。
こういう方って、なんと言うか、頭は良さそうなんだけど「リアリティー」が無いのよね。
自分自身が血反吐いて業績を向上させて来たとか、何かを成したとか、そいう経験、体験というか・・・(別に血反吐を吐く必要は無いんだけど)だから平気でこんな事言っちゃう。
いや、成長市場にいたり、同社の様にバズワードに乗ってガンガン売れている時は良いのよ。KPIでも。
っていうか、KPI管理のお陰で上手く行っていると信じる事ができる。という方が正解かな?
いいかな。上に出した様な指標はあくまでも指標でしかないんだよ。
訪問件数をカウントされた所で、実際には「で、どこに訪問する先なんてあるのよ?」ってなるよね。それでも無理に、訪問件数未達の者は減給だ!ってやったら、顧客の迷惑顧みず、訪問しまくって顰蹙買うのが落ちか、ウソ訪問し始める。確かに営業の場合、「兎に角、人に合う、会えばなにかある。合わない限りは何も生まれない」これは確かにその通りだし基本なんだけど、一生懸命顧客の事を考えて有効な提案を持って行き、有難がられる1回の訪問と、ノルマの為に、半ば無理やり押しかけての10回訪問。どちらが業績にインパクトを与えるのか?って議論もあるよね。こういうのは常識的に状況状況で都度判断すべきものなの。
野球でいうなら、BS/PLはチームの勝敗の数と言って良い。最終的にそれでチームの優勝が決まる。
これに対して、こういう指標はチーム打率や防御率、奪三振、ホームラン数、出塁率、etcなのだ。
これをリアリティーの無いIT屋さんの発言で例えると、「チーム打率3割、防御率2点、チーム本塁打200本・・・KPIを定めて、しっかり管理すれば間違い無く優勝できる!」って言っている様なもので、小生が固まってしまう理由も解って頂けるだろう。
チーム本塁打数が最重要目標だ。本塁打を打てばボーナス弾むぞ!ってなったら、バントなんて誰もしなくなるよね。確かに本塁打は多いに越した事は無いけど、バントや四球選択だって状況によってはとても重要。その逆も然り。
これは殆ど絶望的な勘違いなんだが、結局「KPI」=「目標」としてしまうから駄目なんだ。
KPIはindicator=指標であって決して目標=targetでは無いのだ。にも関わらず、KPIを目標だと思ってしまっている人や企業があまりにも多い。
だからと言って「指標」が必要無いなんて事は無い。チームの施策として、本塁打数の向上を目指す。その為にホームランバッターをトレードで呼んできたり、特別な練習をする。その上で方針がどこまで施策が有効に浸透して実行されているかどうかを計る必要はある。効果が出ていないのであれば、やり方を変える必要がある。それ以外の指標だって出来る限り多くの項目で、詳細な情報を、可能な限り迅速に把握できた方が良い事は言うまでもない。
漫然とマネジメントしていれば、何時までたっても変わらない。注力する分野を絞る事は重要だ。更にただ絞っただけ、例えば重点顧客からの売上を○%UPさせる見たいな営業施策を出しても、実際にそれだけでは実行される可能性は低いのも言うまでも無い。
どうすれば重点顧客からの売上をUPできるのか客観的、合理的に徹底的に考え抜き実行しなくてはならない。その結果上手く進捗できているのか?そうでないのか?あくまで「仮説の検証」為の道具がダッシュボードの様な機能で、それを計る項目がKPIなのだ。
打率や防御率など色々な指標が測れたところで、イコール強いチームができる訳では無いんだヨ。
にも関わらず、「重点顧客からの売上を○%UP」で、ロクに仮説設定もせず「KPI=重点顧客への訪問件数」みたいな事を平気でやってしてしまう。
そして、結果は、
「重点顧客の売上が全然伸びてないし、訪問も出来ていないじゃないか!バカモン!」(経営者)
「そりゃ、出来れば苦労しね~よ」(現場)
で終わり。
現場にしてみれば「だったら見せるか!ボケッ!」となる。普通に。
KPI・・・今日も、ピーピー、言わしたろかっ!
IT屋さんだとしてもコンサルタントを名乗るのであるならば、正しい仮説設定を支援した方よっぽど本質的だとおもうのだけどな~まあ、そんな事してしまうと肝心なシステムがいつ売れるか判らなくなるから無理か・・
KPIで管理されているし(笑)
2009年12月17日木曜日
2009年10月5日月曜日
で、結局課題って何?
たまには個人的な事でも書こうかな・・・
先週末あるクライアントの所で、現場のメンバーを集めてCPS(カスタマープランニングセッション)というワークショップを開催した。もともとはIBMが行っていた課題抽出の為のセッションで、それをサービスサイエンスで有名な諏訪良武さんがアレンジして体系的にまとめた手法である。
ブレーンストーミングの一種といって良いが、KJ法などとは異なり、連想ゲーム方式で課題を抽出していく為、抽出される課題数が非常に多く、網羅的に課題を浮かびあがらせる事が可能となる。
細かくは説明しないが、トヨタの「ナゼ5回」をワークショップ形式で、体系的、網羅的に行うセッションと言えばニュアンスは伝わるか?
今回は営業の現場(課長-担当クラス)メンバー15名を集めて2日間で約230個の課題を抽出した。
コンサルに入る際にはFaceToFaceのインタビューの形式も確かに重要だが、ここまで体系的、網羅的に課題を集める事は時間の制約もあり難しく、この様なセッションを行う事で現場の課題意識ほぼ全て洗い出して認識する事ができ非常に有効である。
しかし、全く欠点が無い訳では無い。あえて「課題意識」と表現した様に、逆に現場がある事象に対して、その事象を「課題」だと感じている事自体が「課題」であるケースがある。
また、今回は営業部門を対象としたセッションであったが、当然、自部門には甘く、他部門には厳しい内容になりがちでもある。
営業部門であれば、大抵、製造や開発、間接部門のやり方を「課題」と表現するし、逆に「開発」や「製造」部門でセッションをやれば「営業」が「課題」を引き起こしていると表現するだろう。
これは、殆どの企業で起こる「問題」である。
しかし引き出された「課題」を、そのまま鵜呑みにして表面的な解決を計ろうとしても、殆ど成果は生まない。
あくまで「現場の課題」を引き起こしているシステムの課題にメスを入れなくてはならない。
即ち「組織」の問題だ。
現場の課題だから、役員レベルなら解決できる問題という訳でも無い。どこかの国の官僚機構の様に、各機能組織の長は、自分の組織の最大の利益代弁者であるからだ。
CPSの様なセッションを各部門で実施すると、今以上に部門間の対立を引き起こしてしまう危険性がある。(もちろん各部門間で、課題意識が共有され解決に向かう面もある。)
我々にしてみれば、CPSを実施した後こそが本当に大変なのである。
本気で改革を進めようとすれば、部門の役員レベルとは利益が相反してしまう可能性が高い。
この点において、コンサルタントは残念ながら「政治性」を発揮する必要とされる。
真正面から、「本質的な課題」に向き合おうとすれば、いきなり梯子を外される自体になりかねない。
殆どの場合は「社長」と密に連携して進めていく必要性があるのだが、もちろん外部の人間と、今までずっと一緒に事業を推進してきた役員とで、どちらが信頼されるかは考えるまでもない。
改革のキーマンは間違い無く社長だが、現場や役員クラスにも、理解者、支援者をしっかり付けておく必要がある。
この事において重要なポイントは、政治性は必要だが人事には染まらない事だ。
社長の信任を得ると、どうしても具体的な人事に触れたくなるし、相談も受ける。
確かにあの役員では・・・とか、あの部長では・・・という個人の資質に寄って引き起こされている課題も多く、異動、更迭によって解決する可能性も高いのだが、その点には決して手を出さない。
人事は権力そのもので、権力は密の味だ一度覚えてしまうと必ず溺れる。部外者であるコンサルタントがこの密の味を覚えてしまうと、現場はとんでも無い事になってしまう。
あくまで問題を引き起こしている本質的な原因に向きっあっていく。それは人の問題では無く、人が問題を引き起こす様に仕組まれているシステムの問題。
つくづく因果なショーバイだと思う。てめぇのおまんま食うだけでも必死なのに、他人の為に眠れない日々を過ごす。投げ出したくる気持ち、手を抜きたくなる気持ち、目先の売上に走りたくなる気持ちと、どこまで戦えるのか?がいつも問われる。
ところで、課題を抽出するセッションなのに、何故カスタマープランニングセッションなのか?
簡単な話だ。「問題は目標と現状とのギャップ」という様に、全ての課題は、顧客により良いサービスを提供し、利益を生む為に解決されるべきなのだ。そして顧客と向き合っているのは現場だ。現場こそ真実の瞬間だ。
現場に迎合するのでは無い。顧客により良いサービスを提供する為に現場をもっと(気持ちよく、前向きに)働かせる。
企業のシステムというのは、唯一その為に最適化されたものであるべきなのだ。
しかし、企業のシステムは時間が経つと、いつのまにか無駄を生み、壁を作り、社内で敵対し、政治がはびこる・・・誰もおかしいと解っていながら何もできなくなる。飲み屋で愚痴を言って発散する。表面的な課題は一杯あるので会議が増える。結論のでない小田原評定を繰り返す。しかし解決しない。顧客の目を見ないクズ組織が生まれる。
これが「茹でガエル」である。
「茹でガエル」は自分では気づかない・・・・・
だからこそ我々が存在するのさ!
絶対に良くして見せるさ!頑張ろう!
先週末あるクライアントの所で、現場のメンバーを集めてCPS(カスタマープランニングセッション)というワークショップを開催した。もともとはIBMが行っていた課題抽出の為のセッションで、それをサービスサイエンスで有名な諏訪良武さんがアレンジして体系的にまとめた手法である。
ブレーンストーミングの一種といって良いが、KJ法などとは異なり、連想ゲーム方式で課題を抽出していく為、抽出される課題数が非常に多く、網羅的に課題を浮かびあがらせる事が可能となる。
細かくは説明しないが、トヨタの「ナゼ5回」をワークショップ形式で、体系的、網羅的に行うセッションと言えばニュアンスは伝わるか?
今回は営業の現場(課長-担当クラス)メンバー15名を集めて2日間で約230個の課題を抽出した。
コンサルに入る際にはFaceToFaceのインタビューの形式も確かに重要だが、ここまで体系的、網羅的に課題を集める事は時間の制約もあり難しく、この様なセッションを行う事で現場の課題意識ほぼ全て洗い出して認識する事ができ非常に有効である。
しかし、全く欠点が無い訳では無い。あえて「課題意識」と表現した様に、逆に現場がある事象に対して、その事象を「課題」だと感じている事自体が「課題」であるケースがある。
また、今回は営業部門を対象としたセッションであったが、当然、自部門には甘く、他部門には厳しい内容になりがちでもある。
営業部門であれば、大抵、製造や開発、間接部門のやり方を「課題」と表現するし、逆に「開発」や「製造」部門でセッションをやれば「営業」が「課題」を引き起こしていると表現するだろう。
これは、殆どの企業で起こる「問題」である。
しかし引き出された「課題」を、そのまま鵜呑みにして表面的な解決を計ろうとしても、殆ど成果は生まない。
あくまで「現場の課題」を引き起こしているシステムの課題にメスを入れなくてはならない。
即ち「組織」の問題だ。
現場の課題だから、役員レベルなら解決できる問題という訳でも無い。どこかの国の官僚機構の様に、各機能組織の長は、自分の組織の最大の利益代弁者であるからだ。
CPSの様なセッションを各部門で実施すると、今以上に部門間の対立を引き起こしてしまう危険性がある。(もちろん各部門間で、課題意識が共有され解決に向かう面もある。)
我々にしてみれば、CPSを実施した後こそが本当に大変なのである。
本気で改革を進めようとすれば、部門の役員レベルとは利益が相反してしまう可能性が高い。
この点において、コンサルタントは残念ながら「政治性」を発揮する必要とされる。
真正面から、「本質的な課題」に向き合おうとすれば、いきなり梯子を外される自体になりかねない。
殆どの場合は「社長」と密に連携して進めていく必要性があるのだが、もちろん外部の人間と、今までずっと一緒に事業を推進してきた役員とで、どちらが信頼されるかは考えるまでもない。
改革のキーマンは間違い無く社長だが、現場や役員クラスにも、理解者、支援者をしっかり付けておく必要がある。
この事において重要なポイントは、政治性は必要だが人事には染まらない事だ。
社長の信任を得ると、どうしても具体的な人事に触れたくなるし、相談も受ける。
確かにあの役員では・・・とか、あの部長では・・・という個人の資質に寄って引き起こされている課題も多く、異動、更迭によって解決する可能性も高いのだが、その点には決して手を出さない。
人事は権力そのもので、権力は密の味だ一度覚えてしまうと必ず溺れる。部外者であるコンサルタントがこの密の味を覚えてしまうと、現場はとんでも無い事になってしまう。
あくまで問題を引き起こしている本質的な原因に向きっあっていく。それは人の問題では無く、人が問題を引き起こす様に仕組まれているシステムの問題。
つくづく因果なショーバイだと思う。てめぇのおまんま食うだけでも必死なのに、他人の為に眠れない日々を過ごす。投げ出したくる気持ち、手を抜きたくなる気持ち、目先の売上に走りたくなる気持ちと、どこまで戦えるのか?がいつも問われる。
ところで、課題を抽出するセッションなのに、何故カスタマープランニングセッションなのか?
簡単な話だ。「問題は目標と現状とのギャップ」という様に、全ての課題は、顧客により良いサービスを提供し、利益を生む為に解決されるべきなのだ。そして顧客と向き合っているのは現場だ。現場こそ真実の瞬間だ。
現場に迎合するのでは無い。顧客により良いサービスを提供する為に現場をもっと(気持ちよく、前向きに)働かせる。
企業のシステムというのは、唯一その為に最適化されたものであるべきなのだ。
しかし、企業のシステムは時間が経つと、いつのまにか無駄を生み、壁を作り、社内で敵対し、政治がはびこる・・・誰もおかしいと解っていながら何もできなくなる。飲み屋で愚痴を言って発散する。表面的な課題は一杯あるので会議が増える。結論のでない小田原評定を繰り返す。しかし解決しない。顧客の目を見ないクズ組織が生まれる。
これが「茹でガエル」である。
「茹でガエル」は自分では気づかない・・・・・
だからこそ我々が存在するのさ!
絶対に良くして見せるさ!頑張ろう!
2009年9月15日火曜日
で、結局マネジメントって何?
マネジメントとは、
考えれば考えるだけ良く解らない。恐らく人の数だけ定義があると言ってよい。
不況下の今、マネジメントの大家、P.ドラッカーの本が、再び書店で平積みされているのを見ると、正解を求めている人がそれだけ多いという事なのだろう。今回は非常に重たいこのテーマに触れたい。
小生が幾ら、このブログで「マネジメント」の言葉の定義をした所で、それは星の数ほどある定義の中の一つであって、それが正しいかどうかなんて事は殆ど意味をなさない。その前提で勝手な持論を展開する。
またマネジメントだけではあまりに広いので、企業におけるマネージャーの役割としてのマネジメントを考えてみたい。
小生それなりに色々な企業を見て来たが、この会社の「マネジメント」は素晴らしいと感じた会社は、殆どといって良いほど無い。大企業、外資、日本企業、中小企業、業種、業界、規模問わずだ。
その中でも、「日本型」という点に着目するならば、常に違和感を感じてきた。
「マネジメントと管理は違う。」
飽きる程、聞いてきた言葉だが、上手い表現かと問われれば決してそうとは思わない。
解り易く、伝わり易く小生が考えるマネジメントが如何にあるべきかを伝えるとすれば、マネージャーの仕事は「芸能事務所、芸能人のマネージャ職を思い浮かべれば良い」と表現する。
芸能事務所のマネージャー的なマネジメントこそ、一般企業のマネージャー職にも求められる姿勢だと考える。
芸能事務所のマネージャーといえば、華やかな芸能人の、裏方、雑用担当、と、そんな姿を想像しがちだが、この仕事の目的は、えげつの無い言い方をすれば、担当する芸能人を最大限活用して、最大の利益を得る為の仕事である。
芸能人というのは、容姿や歌唱力、演技力、会話上手など一芸に秀でた人間が選ばれるものだが、芸能人になるまでは、その辺にいるタダの人である。本人がサラリーマンやOLの道を選ぶならば、ちょっと素敵な人、歌のの上手い人となるだけの存在である。年収は他の人と変わらない。
しかし、芸能人が注目を浴びてスターとなれば、莫大な経済効果を生む。この違いは圧倒的である。
もちろんタダの人がほっておいてもスターとなれる訳では無い。本人の一芸が素晴らしく秀でている。とか、血の滲むような努力。とか、そういった要素もあるが、芸能事務所のマネージャーの業務は、それらも含めてスターに育成すべく、特徴を活かしたキャラクター作り、営業活動、仕事の選択、スケジュール管理を行い、時にはメンタルヘルスや、モチベーションにまで業務の範囲が及ぶ。
しかし、それはあくまで献身的なボランティア精神に寄るのでは無い、あくまで与えられた資源(芸能人)を活かし利益を最大化させる事がその本質としてある。そして何より、一番重要な事は、マネージャー≠芸能人という点だ。
そんな事は当り前じゃないか?と思う方も多いだろう。
では、貴方の会社は如何であろうか?
残念ながら、マネジャーとプレーヤーの線引きが明確な企業は殆どない。
むしろ、小生の見る限り、9割方は、
●マネージャー=芸能人
●部下=付き人、弟子
という関係で成り立っている会社が多い。
「仕事は盗め」「背中で語る」などの言葉がある様に、マネージャーは仕事を教える人。部下は仕事を教わる人。といった関係が実に多い。マネージャー「仕事をする人」、部下「上司の仕事をフォローする人」と言っても良い。
そこには日本の伝統的な芸能、学問、工芸に見られる師弟制度の延長を感じる。
師匠が弟子の「管理」をしているか?といば、徹底的な従属関係があるだけで「教わる事は」あくまで弟子側の自発的な姿勢こそが求められ、師匠自体が積極的に弟子を育てるという事はしない。弟子自体が一人前になりたいという強い欲求がなければ「去る者は追わず」の世界である。
この事を考えると「マネジメントと管理は違う」という表現は、外れてもいないが、上手い表現だとも言い難い。
日本の伝統的な師弟関係の美徳、悪徳をここで評することは意味を持たないので行わない。
しかし、営利目的で、且つ弟子入りが目的で社員が入社してくる訳では無い企業においては、「マネージャー=スター、師匠、マイスター」で、「部下=付き人、弟子、雑用員」という関係は、経済合理性に欠いていると言わざるおえない。
一人のスターに、例えば5人の付き人を付けた所で、スターの今の生産性が「1」であるならば、いいところ「1.3」に伸びる程度であろう。むしろ付き人の面倒を見る為に「0.9」に落ちてしまう可能性すらある。
しかし、マネジメントにおいて、5人の部下をそれぞれ最大限に活かしたならば、スター1人「1」準スター1人「0.8」、卵3人「0.2」としても、
「2.4」の生産性が得られる。更に準スターや卵達をスターに育てられれば、最大「5」の生産性を得る事ができる。そう考えればマネージャーこそ雑要員とも言える。
手段に関しては、業種、業態、戦略などにより大きく異なる。ビジネスモデルに応じて、徹底したマニュアル化、オートメーション化により最大化を求める事もあれば、不確実性の高い分野であれば、知識の伝播や、瞬時の合理的判断によって、最大の成果を求める。
どの様な手段が適しているかは離れて、経済合理性で見るならばマネージャーとプレイヤーは完全に分離されるべきである。
これはマネージャーに与えられた、プレイヤー群の中に、スターとスターの卵、師匠と弟子が居る事を否定するものでは無い。
与えられた資源で最大現の成果を求める事にこそマネジメントの本質がある。
と、小生は考えている。
しかし残念な事に、「マネージャーは外や現場に積極的に出て行くべきだ」いや「マネージャーは、現場とは一線を画しプレーヤー的な業務はすべきでは無い」といった低次元で、幼稚な、実にくだらない議論が多く行われている。
あくまで最大の成果を得る為にはどの様にあるべきかが主眼であり、外に出た方が良ければそうすべきだし、出ない方が成果があがると考えるのであれば後者でも良い。正直どうでも良い事だが、あえて日本的なあるべき論でいうならば、殆どのケースで前者を選択した方が良いと考える。
しかし、それにおいても「マネージャー=スタープレーヤー」であってはいけない。(百歩譲って、元スタープレーヤーというならばまだ良いが、現役では絶対に駄目だ)
この点は日本型経営の大いなる欠陥であると小生は断言する。スタープレーヤーをマネージャーに任命して師弟制度にて、次のスター候補を見つけ、一子相伝で育てあげて行く。確かに技術的な面においては、この様な上司と部下の関係が、根底において日本企業を強くした面は否定しない。しかし先に述べた様に、これは断じてマネジメントでは無い。企業においては非合理である。
マネジメントにおいてプレーヤーの高度な技術やノウハウが一子相伝で伝える事を否定するのでは無く、それを包括して、組織の価値、成果を最大化していくのがマネジメントである。
即ち小生は、日本型マネジメントが間違えているのでは無く、多くの日本企業において、そもそもマネジメント自体が欠落している事を指摘している。
日本企業の多くは、愛社精神を育み、社内の信頼関係を重視し、技術やノウハウの伝承を行ってきたからこそ、強かったのでは無いか?経済合理性ばかりを追求する欧米型はやっぱり駄目だったではないか?そんな考え方を取り入れたから日本の企業も一緒に駄目になってしまったのではないか?
そうでは無い。それを含めて合理的に経営モデル自体をイノベーションさせる必要がある。
確かに欧米型の多くは、マネージャーとプレーヤーの線引きが明確である。上司も部下も経済的な成果のみを求めるあまり、給与に照らして、生産性が低いプレーヤーはとっととクビを切り、成果が上げる体制を組まなければ、マネージャー自体もクビが切られる(トップマネジメントであっても)。プレーヤー自身も、より楽で儲かる仕事が見つかれば我慢などせず、さっさと転職してしまう。
この様な経営モデルが弱さを持っている事も自明だ。
だからこそ、それを踏まえて合理的に、長期視点に立ち、技術、ノウハウの伝承、仲間との信頼関係、組織への愛着、創業者へのリスペクト、など短期の利益以外の多様な価値感を持つ日本型を活かす真のマネジメントが必要なのだ。ここに至ってマネジメントの放棄だけはあってはならない。(ここではあくまでも冷徹に、最大の成果を得る為の極めて合理的判断として)
部下、いやプレーヤーを活かし最大限能力を発揮させる事によって最大の成果を得る。この為に必要な事は、
第一条件として、一般的に見られる「マネージャー=上司」、「プレーヤー=部下」という従属関係、師弟関係を破棄する事。
第二条件として、プレーヤーこそ利益を生む中心であり、スターである。マネージャー自身は、原則なにも生み出さないコストである事を認識する事。(トップマネジメントであっても)
第三条件として、よってマネージャーは、組織の成果を最大化する事に対して責任と権限を持つ事。(日本的には長期視点に立った)
第一条件に違和感を覚える人も多いだろう。しかし第三条件によって権限を持つ。それは人を従属させ操る権限では無く、成果を最大化させる為の権限である。即ちむしろ「プレーヤー」を補完する立場と言った方が近い。
第二条件においては、マネージャーが直接「利益」を生んでは行けない。とも言える。あくまでもプレーヤー達に「利益」を生ませる事に、その存在価値がある。と言っても過言ではない。
如何であろうか?この小生の勝手な三つの条件に照らして、芸能事務所のマネージャー職こそが一般企業にも求められるマネジメント像に近く、日本企業の9割はマネジメント不在と表現した。
「成果」を「短期の利益」とするかどうか、そもそも「成果」=「利益」で良いのかの議論は、ドラッカー先生の本を読んで考えて見る事をお勧めする。
そして、これを読んだ貴方が規模や部下の人数を問わず、経営者なり営業課長なり、マネージャーという立場であるにも関わらず、会社の中で燦然と輝くスタープレーヤーであるとするならば、少し自身に振る舞いを考え直した方が良いと思う。
日本のベンチャーがあまり上手く行かないのは、やはり芸能界で例えるなら、スターを次々と生み出す画期的かつ効率的なモデルの芸能事務所を作ろうというものでは無く、自らがスターを目指してしまう所に限界がある。
「いや、うちは大手や他社と違って画期的なビジネスモデルを持っています」と言うが、実態は、「今の大スターや他の芸能人が持っていない「一芸」を持っている。だからきっと私は大スターになる。」という事が多い。それはそれで立派な事ではあるが、やはりマネジメントが不在なのだ。
あまり上手い例えではなかったか・・・・どちらかというとビジネスモデルの説明になってしまった。
マネジメントそのものをイノベーションせよ。
それが、明日への道となる筈だ。
考えれば考えるだけ良く解らない。恐らく人の数だけ定義があると言ってよい。
不況下の今、マネジメントの大家、P.ドラッカーの本が、再び書店で平積みされているのを見ると、正解を求めている人がそれだけ多いという事なのだろう。今回は非常に重たいこのテーマに触れたい。
小生が幾ら、このブログで「マネジメント」の言葉の定義をした所で、それは星の数ほどある定義の中の一つであって、それが正しいかどうかなんて事は殆ど意味をなさない。その前提で勝手な持論を展開する。
またマネジメントだけではあまりに広いので、企業におけるマネージャーの役割としてのマネジメントを考えてみたい。
小生それなりに色々な企業を見て来たが、この会社の「マネジメント」は素晴らしいと感じた会社は、殆どといって良いほど無い。大企業、外資、日本企業、中小企業、業種、業界、規模問わずだ。
その中でも、「日本型」という点に着目するならば、常に違和感を感じてきた。
「マネジメントと管理は違う。」
飽きる程、聞いてきた言葉だが、上手い表現かと問われれば決してそうとは思わない。
解り易く、伝わり易く小生が考えるマネジメントが如何にあるべきかを伝えるとすれば、マネージャーの仕事は「芸能事務所、芸能人のマネージャ職を思い浮かべれば良い」と表現する。
芸能事務所のマネージャー的なマネジメントこそ、一般企業のマネージャー職にも求められる姿勢だと考える。
芸能事務所のマネージャーといえば、華やかな芸能人の、裏方、雑用担当、と、そんな姿を想像しがちだが、この仕事の目的は、えげつの無い言い方をすれば、担当する芸能人を最大限活用して、最大の利益を得る為の仕事である。
芸能人というのは、容姿や歌唱力、演技力、会話上手など一芸に秀でた人間が選ばれるものだが、芸能人になるまでは、その辺にいるタダの人である。本人がサラリーマンやOLの道を選ぶならば、ちょっと素敵な人、歌のの上手い人となるだけの存在である。年収は他の人と変わらない。
しかし、芸能人が注目を浴びてスターとなれば、莫大な経済効果を生む。この違いは圧倒的である。
もちろんタダの人がほっておいてもスターとなれる訳では無い。本人の一芸が素晴らしく秀でている。とか、血の滲むような努力。とか、そういった要素もあるが、芸能事務所のマネージャーの業務は、それらも含めてスターに育成すべく、特徴を活かしたキャラクター作り、営業活動、仕事の選択、スケジュール管理を行い、時にはメンタルヘルスや、モチベーションにまで業務の範囲が及ぶ。
しかし、それはあくまで献身的なボランティア精神に寄るのでは無い、あくまで与えられた資源(芸能人)を活かし利益を最大化させる事がその本質としてある。そして何より、一番重要な事は、マネージャー≠芸能人という点だ。
そんな事は当り前じゃないか?と思う方も多いだろう。
では、貴方の会社は如何であろうか?
残念ながら、マネジャーとプレーヤーの線引きが明確な企業は殆どない。
むしろ、小生の見る限り、9割方は、
●マネージャー=芸能人
●部下=付き人、弟子
という関係で成り立っている会社が多い。
「仕事は盗め」「背中で語る」などの言葉がある様に、マネージャーは仕事を教える人。部下は仕事を教わる人。といった関係が実に多い。マネージャー「仕事をする人」、部下「上司の仕事をフォローする人」と言っても良い。
そこには日本の伝統的な芸能、学問、工芸に見られる師弟制度の延長を感じる。
師匠が弟子の「管理」をしているか?といば、徹底的な従属関係があるだけで「教わる事は」あくまで弟子側の自発的な姿勢こそが求められ、師匠自体が積極的に弟子を育てるという事はしない。弟子自体が一人前になりたいという強い欲求がなければ「去る者は追わず」の世界である。
この事を考えると「マネジメントと管理は違う」という表現は、外れてもいないが、上手い表現だとも言い難い。
日本の伝統的な師弟関係の美徳、悪徳をここで評することは意味を持たないので行わない。
しかし、営利目的で、且つ弟子入りが目的で社員が入社してくる訳では無い企業においては、「マネージャー=スター、師匠、マイスター」で、「部下=付き人、弟子、雑用員」という関係は、経済合理性に欠いていると言わざるおえない。
一人のスターに、例えば5人の付き人を付けた所で、スターの今の生産性が「1」であるならば、いいところ「1.3」に伸びる程度であろう。むしろ付き人の面倒を見る為に「0.9」に落ちてしまう可能性すらある。
しかし、マネジメントにおいて、5人の部下をそれぞれ最大限に活かしたならば、スター1人「1」準スター1人「0.8」、卵3人「0.2」としても、
「2.4」の生産性が得られる。更に準スターや卵達をスターに育てられれば、最大「5」の生産性を得る事ができる。そう考えればマネージャーこそ雑要員とも言える。
手段に関しては、業種、業態、戦略などにより大きく異なる。ビジネスモデルに応じて、徹底したマニュアル化、オートメーション化により最大化を求める事もあれば、不確実性の高い分野であれば、知識の伝播や、瞬時の合理的判断によって、最大の成果を求める。
どの様な手段が適しているかは離れて、経済合理性で見るならばマネージャーとプレイヤーは完全に分離されるべきである。
これはマネージャーに与えられた、プレイヤー群の中に、スターとスターの卵、師匠と弟子が居る事を否定するものでは無い。
与えられた資源で最大現の成果を求める事にこそマネジメントの本質がある。
と、小生は考えている。
しかし残念な事に、「マネージャーは外や現場に積極的に出て行くべきだ」いや「マネージャーは、現場とは一線を画しプレーヤー的な業務はすべきでは無い」といった低次元で、幼稚な、実にくだらない議論が多く行われている。
あくまで最大の成果を得る為にはどの様にあるべきかが主眼であり、外に出た方が良ければそうすべきだし、出ない方が成果があがると考えるのであれば後者でも良い。正直どうでも良い事だが、あえて日本的なあるべき論でいうならば、殆どのケースで前者を選択した方が良いと考える。
しかし、それにおいても「マネージャー=スタープレーヤー」であってはいけない。(百歩譲って、元スタープレーヤーというならばまだ良いが、現役では絶対に駄目だ)
この点は日本型経営の大いなる欠陥であると小生は断言する。スタープレーヤーをマネージャーに任命して師弟制度にて、次のスター候補を見つけ、一子相伝で育てあげて行く。確かに技術的な面においては、この様な上司と部下の関係が、根底において日本企業を強くした面は否定しない。しかし先に述べた様に、これは断じてマネジメントでは無い。企業においては非合理である。
マネジメントにおいてプレーヤーの高度な技術やノウハウが一子相伝で伝える事を否定するのでは無く、それを包括して、組織の価値、成果を最大化していくのがマネジメントである。
即ち小生は、日本型マネジメントが間違えているのでは無く、多くの日本企業において、そもそもマネジメント自体が欠落している事を指摘している。
日本企業の多くは、愛社精神を育み、社内の信頼関係を重視し、技術やノウハウの伝承を行ってきたからこそ、強かったのでは無いか?経済合理性ばかりを追求する欧米型はやっぱり駄目だったではないか?そんな考え方を取り入れたから日本の企業も一緒に駄目になってしまったのではないか?
そうでは無い。それを含めて合理的に経営モデル自体をイノベーションさせる必要がある。
確かに欧米型の多くは、マネージャーとプレーヤーの線引きが明確である。上司も部下も経済的な成果のみを求めるあまり、給与に照らして、生産性が低いプレーヤーはとっととクビを切り、成果が上げる体制を組まなければ、マネージャー自体もクビが切られる(トップマネジメントであっても)。プレーヤー自身も、より楽で儲かる仕事が見つかれば我慢などせず、さっさと転職してしまう。
この様な経営モデルが弱さを持っている事も自明だ。
だからこそ、それを踏まえて合理的に、長期視点に立ち、技術、ノウハウの伝承、仲間との信頼関係、組織への愛着、創業者へのリスペクト、など短期の利益以外の多様な価値感を持つ日本型を活かす真のマネジメントが必要なのだ。ここに至ってマネジメントの放棄だけはあってはならない。(ここではあくまでも冷徹に、最大の成果を得る為の極めて合理的判断として)
部下、いやプレーヤーを活かし最大限能力を発揮させる事によって最大の成果を得る。この為に必要な事は、
第一条件として、一般的に見られる「マネージャー=上司」、「プレーヤー=部下」という従属関係、師弟関係を破棄する事。
第二条件として、プレーヤーこそ利益を生む中心であり、スターである。マネージャー自身は、原則なにも生み出さないコストである事を認識する事。(トップマネジメントであっても)
第三条件として、よってマネージャーは、組織の成果を最大化する事に対して責任と権限を持つ事。(日本的には長期視点に立った)
第一条件に違和感を覚える人も多いだろう。しかし第三条件によって権限を持つ。それは人を従属させ操る権限では無く、成果を最大化させる為の権限である。即ちむしろ「プレーヤー」を補完する立場と言った方が近い。
第二条件においては、マネージャーが直接「利益」を生んでは行けない。とも言える。あくまでもプレーヤー達に「利益」を生ませる事に、その存在価値がある。と言っても過言ではない。
如何であろうか?この小生の勝手な三つの条件に照らして、芸能事務所のマネージャー職こそが一般企業にも求められるマネジメント像に近く、日本企業の9割はマネジメント不在と表現した。
「成果」を「短期の利益」とするかどうか、そもそも「成果」=「利益」で良いのかの議論は、ドラッカー先生の本を読んで考えて見る事をお勧めする。
そして、これを読んだ貴方が規模や部下の人数を問わず、経営者なり営業課長なり、マネージャーという立場であるにも関わらず、会社の中で燦然と輝くスタープレーヤーであるとするならば、少し自身に振る舞いを考え直した方が良いと思う。
日本のベンチャーがあまり上手く行かないのは、やはり芸能界で例えるなら、スターを次々と生み出す画期的かつ効率的なモデルの芸能事務所を作ろうというものでは無く、自らがスターを目指してしまう所に限界がある。
「いや、うちは大手や他社と違って画期的なビジネスモデルを持っています」と言うが、実態は、「今の大スターや他の芸能人が持っていない「一芸」を持っている。だからきっと私は大スターになる。」という事が多い。それはそれで立派な事ではあるが、やはりマネジメントが不在なのだ。
あまり上手い例えではなかったか・・・・どちらかというとビジネスモデルの説明になってしまった。
マネジメントそのものをイノベーションせよ。
それが、明日への道となる筈だ。
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