2009年9月15日火曜日

で、結局マネジメントって何?

マネジメントとは、

考えれば考えるだけ良く解らない。恐らく人の数だけ定義があると言ってよい。
不況下の今、マネジメントの大家、P.ドラッカーの本が、再び書店で平積みされているのを見ると、正解を求めている人がそれだけ多いという事なのだろう。今回は非常に重たいこのテーマに触れたい。

小生が幾ら、このブログで「マネジメント」の言葉の定義をした所で、それは星の数ほどある定義の中の一つであって、それが正しいかどうかなんて事は殆ど意味をなさない。その前提で勝手な持論を展開する。
またマネジメントだけではあまりに広いので、企業におけるマネージャーの役割としてのマネジメントを考えてみたい。

小生それなりに色々な企業を見て来たが、この会社の「マネジメント」は素晴らしいと感じた会社は、殆どといって良いほど無い。大企業、外資、日本企業、中小企業、業種、業界、規模問わずだ。

その中でも、「日本型」という点に着目するならば、常に違和感を感じてきた。
「マネジメントと管理は違う。」
飽きる程、聞いてきた言葉だが、上手い表現かと問われれば決してそうとは思わない。

解り易く、伝わり易く小生が考えるマネジメントが如何にあるべきかを伝えるとすれば、マネージャーの仕事は「芸能事務所、芸能人のマネージャ職を思い浮かべれば良い」と表現する。
芸能事務所のマネージャー的なマネジメントこそ、一般企業のマネージャー職にも求められる姿勢だと考える。
芸能事務所のマネージャーといえば、華やかな芸能人の、裏方、雑用担当、と、そんな姿を想像しがちだが、この仕事の目的は、えげつの無い言い方をすれば、担当する芸能人を最大限活用して、最大の利益を得る為の仕事である。

芸能人というのは、容姿や歌唱力、演技力、会話上手など一芸に秀でた人間が選ばれるものだが、芸能人になるまでは、その辺にいるタダの人である。本人がサラリーマンやOLの道を選ぶならば、ちょっと素敵な人、歌のの上手い人となるだけの存在である。年収は他の人と変わらない。
しかし、芸能人が注目を浴びてスターとなれば、莫大な経済効果を生む。この違いは圧倒的である。
もちろんタダの人がほっておいてもスターとなれる訳では無い。本人の一芸が素晴らしく秀でている。とか、血の滲むような努力。とか、そういった要素もあるが、芸能事務所のマネージャーの業務は、それらも含めてスターに育成すべく、特徴を活かしたキャラクター作り、営業活動、仕事の選択、スケジュール管理を行い、時にはメンタルヘルスや、モチベーションにまで業務の範囲が及ぶ。
しかし、それはあくまで献身的なボランティア精神に寄るのでは無い、あくまで与えられた資源(芸能人)を活かし利益を最大化させる事がその本質としてある。そして何より、一番重要な事は、マネージャー≠芸能人という点だ。

そんな事は当り前じゃないか?と思う方も多いだろう。

では、貴方の会社は如何であろうか?

残念ながら、マネジャーとプレーヤーの線引きが明確な企業は殆どない。
むしろ、小生の見る限り、9割方は、

●マネージャー=芸能人
●部下=付き人、弟子 

という関係で成り立っている会社が多い。

「仕事は盗め」「背中で語る」などの言葉がある様に、マネージャーは仕事を教える人。部下は仕事を教わる人。といった関係が実に多い。マネージャー「仕事をする人」、部下「上司の仕事をフォローする人」と言っても良い。
そこには日本の伝統的な芸能、学問、工芸に見られる師弟制度の延長を感じる。
師匠が弟子の「管理」をしているか?といば、徹底的な従属関係があるだけで「教わる事は」あくまで弟子側の自発的な姿勢こそが求められ、師匠自体が積極的に弟子を育てるという事はしない。弟子自体が一人前になりたいという強い欲求がなければ「去る者は追わず」の世界である。

この事を考えると「マネジメントと管理は違う」という表現は、外れてもいないが、上手い表現だとも言い難い。

日本の伝統的な師弟関係の美徳、悪徳をここで評することは意味を持たないので行わない。
しかし、営利目的で、且つ弟子入りが目的で社員が入社してくる訳では無い企業においては、「マネージャー=スター、師匠、マイスター」で、「部下=付き人、弟子、雑用員」という関係は、経済合理性に欠いていると言わざるおえない。
一人のスターに、例えば5人の付き人を付けた所で、スターの今の生産性が「1」であるならば、いいところ「1.3」に伸びる程度であろう。むしろ付き人の面倒を見る為に「0.9」に落ちてしまう可能性すらある。
しかし、マネジメントにおいて、5人の部下をそれぞれ最大限に活かしたならば、スター1人「1」準スター1人「0.8」、卵3人「0.2」としても、
「2.4」の生産性が得られる。更に準スターや卵達をスターに育てられれば、最大「5」の生産性を得る事ができる。そう考えればマネージャーこそ雑要員とも言える。
手段に関しては、業種、業態、戦略などにより大きく異なる。ビジネスモデルに応じて、徹底したマニュアル化、オートメーション化により最大化を求める事もあれば、不確実性の高い分野であれば、知識の伝播や、瞬時の合理的判断によって、最大の成果を求める。

どの様な手段が適しているかは離れて、経済合理性で見るならばマネージャーとプレイヤーは完全に分離されるべきである。
これはマネージャーに与えられた、プレイヤー群の中に、スターとスターの卵、師匠と弟子が居る事を否定するものでは無い。

与えられた資源で最大現の成果を求める事にこそマネジメントの本質がある。
と、小生は考えている。

しかし残念な事に、「マネージャーは外や現場に積極的に出て行くべきだ」いや「マネージャーは、現場とは一線を画しプレーヤー的な業務はすべきでは無い」といった低次元で、幼稚な、実にくだらない議論が多く行われている。
あくまで最大の成果を得る為にはどの様にあるべきかが主眼であり、外に出た方が良ければそうすべきだし、出ない方が成果があがると考えるのであれば後者でも良い。正直どうでも良い事だが、あえて日本的なあるべき論でいうならば、殆どのケースで前者を選択した方が良いと考える。
しかし、それにおいても「マネージャー=スタープレーヤー」であってはいけない。(百歩譲って、元スタープレーヤーというならばまだ良いが、現役では絶対に駄目だ)

この点は日本型経営の大いなる欠陥であると小生は断言する。スタープレーヤーをマネージャーに任命して師弟制度にて、次のスター候補を見つけ、一子相伝で育てあげて行く。確かに技術的な面においては、この様な上司と部下の関係が、根底において日本企業を強くした面は否定しない。しかし先に述べた様に、これは断じてマネジメントでは無い。企業においては非合理である。
マネジメントにおいてプレーヤーの高度な技術やノウハウが一子相伝で伝える事を否定するのでは無く、それを包括して、組織の価値、成果を最大化していくのがマネジメントである。
即ち小生は、日本型マネジメントが間違えているのでは無く、多くの日本企業において、そもそもマネジメント自体が欠落している事を指摘している。
日本企業の多くは、愛社精神を育み、社内の信頼関係を重視し、技術やノウハウの伝承を行ってきたからこそ、強かったのでは無いか?経済合理性ばかりを追求する欧米型はやっぱり駄目だったではないか?そんな考え方を取り入れたから日本の企業も一緒に駄目になってしまったのではないか?

そうでは無い。それを含めて合理的に経営モデル自体をイノベーションさせる必要がある。

確かに欧米型の多くは、マネージャーとプレーヤーの線引きが明確である。上司も部下も経済的な成果のみを求めるあまり、給与に照らして、生産性が低いプレーヤーはとっととクビを切り、成果が上げる体制を組まなければ、マネージャー自体もクビが切られる(トップマネジメントであっても)。プレーヤー自身も、より楽で儲かる仕事が見つかれば我慢などせず、さっさと転職してしまう。
この様な経営モデルが弱さを持っている事も自明だ。
だからこそ、それを踏まえて合理的に、長期視点に立ち、技術、ノウハウの伝承、仲間との信頼関係、組織への愛着、創業者へのリスペクト、など短期の利益以外の多様な価値感を持つ日本型を活かす真のマネジメントが必要なのだ。ここに至ってマネジメントの放棄だけはあってはならない。(ここではあくまでも冷徹に、最大の成果を得る為の極めて合理的判断として)

部下、いやプレーヤーを活かし最大限能力を発揮させる事によって最大の成果を得る。この為に必要な事は、

第一条件として、一般的に見られる「マネージャー=上司」、「プレーヤー=部下」という従属関係、師弟関係を破棄する事。
第二条件として、プレーヤーこそ利益を生む中心であり、スターである。マネージャー自身は、原則なにも生み出さないコストである事を認識する事。(トップマネジメントであっても)
第三条件として、よってマネージャーは、組織の成果を最大化する事に対して責任と権限を持つ事。(日本的には長期視点に立った)

第一条件に違和感を覚える人も多いだろう。しかし第三条件によって権限を持つ。それは人を従属させ操る権限では無く、成果を最大化させる為の権限である。即ちむしろ「プレーヤー」を補完する立場と言った方が近い。
第二条件においては、マネージャーが直接「利益」を生んでは行けない。とも言える。あくまでもプレーヤー達に「利益」を生ませる事に、その存在価値がある。と言っても過言ではない。

如何であろうか?この小生の勝手な三つの条件に照らして、芸能事務所のマネージャー職こそが一般企業にも求められるマネジメント像に近く、日本企業の9割はマネジメント不在と表現した。

「成果」を「短期の利益」とするかどうか、そもそも「成果」=「利益」で良いのかの議論は、ドラッカー先生の本を読んで考えて見る事をお勧めする。
そして、これを読んだ貴方が規模や部下の人数を問わず、経営者なり営業課長なり、マネージャーという立場であるにも関わらず、会社の中で燦然と輝くスタープレーヤーであるとするならば、少し自身に振る舞いを考え直した方が良いと思う。
日本のベンチャーがあまり上手く行かないのは、やはり芸能界で例えるなら、スターを次々と生み出す画期的かつ効率的なモデルの芸能事務所を作ろうというものでは無く、自らがスターを目指してしまう所に限界がある。
「いや、うちは大手や他社と違って画期的なビジネスモデルを持っています」と言うが、実態は、「今の大スターや他の芸能人が持っていない「一芸」を持っている。だからきっと私は大スターになる。」という事が多い。それはそれで立派な事ではあるが、やはりマネジメントが不在なのだ。

あまり上手い例えではなかったか・・・・どちらかというとビジネスモデルの説明になってしまった。

マネジメントそのものをイノベーションせよ。
それが、明日への道となる筈だ。

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