2009年9月15日火曜日

で、結局マネジメントって何?

マネジメントとは、

考えれば考えるだけ良く解らない。恐らく人の数だけ定義があると言ってよい。
不況下の今、マネジメントの大家、P.ドラッカーの本が、再び書店で平積みされているのを見ると、正解を求めている人がそれだけ多いという事なのだろう。今回は非常に重たいこのテーマに触れたい。

小生が幾ら、このブログで「マネジメント」の言葉の定義をした所で、それは星の数ほどある定義の中の一つであって、それが正しいかどうかなんて事は殆ど意味をなさない。その前提で勝手な持論を展開する。
またマネジメントだけではあまりに広いので、企業におけるマネージャーの役割としてのマネジメントを考えてみたい。

小生それなりに色々な企業を見て来たが、この会社の「マネジメント」は素晴らしいと感じた会社は、殆どといって良いほど無い。大企業、外資、日本企業、中小企業、業種、業界、規模問わずだ。

その中でも、「日本型」という点に着目するならば、常に違和感を感じてきた。
「マネジメントと管理は違う。」
飽きる程、聞いてきた言葉だが、上手い表現かと問われれば決してそうとは思わない。

解り易く、伝わり易く小生が考えるマネジメントが如何にあるべきかを伝えるとすれば、マネージャーの仕事は「芸能事務所、芸能人のマネージャ職を思い浮かべれば良い」と表現する。
芸能事務所のマネージャー的なマネジメントこそ、一般企業のマネージャー職にも求められる姿勢だと考える。
芸能事務所のマネージャーといえば、華やかな芸能人の、裏方、雑用担当、と、そんな姿を想像しがちだが、この仕事の目的は、えげつの無い言い方をすれば、担当する芸能人を最大限活用して、最大の利益を得る為の仕事である。

芸能人というのは、容姿や歌唱力、演技力、会話上手など一芸に秀でた人間が選ばれるものだが、芸能人になるまでは、その辺にいるタダの人である。本人がサラリーマンやOLの道を選ぶならば、ちょっと素敵な人、歌のの上手い人となるだけの存在である。年収は他の人と変わらない。
しかし、芸能人が注目を浴びてスターとなれば、莫大な経済効果を生む。この違いは圧倒的である。
もちろんタダの人がほっておいてもスターとなれる訳では無い。本人の一芸が素晴らしく秀でている。とか、血の滲むような努力。とか、そういった要素もあるが、芸能事務所のマネージャーの業務は、それらも含めてスターに育成すべく、特徴を活かしたキャラクター作り、営業活動、仕事の選択、スケジュール管理を行い、時にはメンタルヘルスや、モチベーションにまで業務の範囲が及ぶ。
しかし、それはあくまで献身的なボランティア精神に寄るのでは無い、あくまで与えられた資源(芸能人)を活かし利益を最大化させる事がその本質としてある。そして何より、一番重要な事は、マネージャー≠芸能人という点だ。

そんな事は当り前じゃないか?と思う方も多いだろう。

では、貴方の会社は如何であろうか?

残念ながら、マネジャーとプレーヤーの線引きが明確な企業は殆どない。
むしろ、小生の見る限り、9割方は、

●マネージャー=芸能人
●部下=付き人、弟子 

という関係で成り立っている会社が多い。

「仕事は盗め」「背中で語る」などの言葉がある様に、マネージャーは仕事を教える人。部下は仕事を教わる人。といった関係が実に多い。マネージャー「仕事をする人」、部下「上司の仕事をフォローする人」と言っても良い。
そこには日本の伝統的な芸能、学問、工芸に見られる師弟制度の延長を感じる。
師匠が弟子の「管理」をしているか?といば、徹底的な従属関係があるだけで「教わる事は」あくまで弟子側の自発的な姿勢こそが求められ、師匠自体が積極的に弟子を育てるという事はしない。弟子自体が一人前になりたいという強い欲求がなければ「去る者は追わず」の世界である。

この事を考えると「マネジメントと管理は違う」という表現は、外れてもいないが、上手い表現だとも言い難い。

日本の伝統的な師弟関係の美徳、悪徳をここで評することは意味を持たないので行わない。
しかし、営利目的で、且つ弟子入りが目的で社員が入社してくる訳では無い企業においては、「マネージャー=スター、師匠、マイスター」で、「部下=付き人、弟子、雑用員」という関係は、経済合理性に欠いていると言わざるおえない。
一人のスターに、例えば5人の付き人を付けた所で、スターの今の生産性が「1」であるならば、いいところ「1.3」に伸びる程度であろう。むしろ付き人の面倒を見る為に「0.9」に落ちてしまう可能性すらある。
しかし、マネジメントにおいて、5人の部下をそれぞれ最大限に活かしたならば、スター1人「1」準スター1人「0.8」、卵3人「0.2」としても、
「2.4」の生産性が得られる。更に準スターや卵達をスターに育てられれば、最大「5」の生産性を得る事ができる。そう考えればマネージャーこそ雑要員とも言える。
手段に関しては、業種、業態、戦略などにより大きく異なる。ビジネスモデルに応じて、徹底したマニュアル化、オートメーション化により最大化を求める事もあれば、不確実性の高い分野であれば、知識の伝播や、瞬時の合理的判断によって、最大の成果を求める。

どの様な手段が適しているかは離れて、経済合理性で見るならばマネージャーとプレイヤーは完全に分離されるべきである。
これはマネージャーに与えられた、プレイヤー群の中に、スターとスターの卵、師匠と弟子が居る事を否定するものでは無い。

与えられた資源で最大現の成果を求める事にこそマネジメントの本質がある。
と、小生は考えている。

しかし残念な事に、「マネージャーは外や現場に積極的に出て行くべきだ」いや「マネージャーは、現場とは一線を画しプレーヤー的な業務はすべきでは無い」といった低次元で、幼稚な、実にくだらない議論が多く行われている。
あくまで最大の成果を得る為にはどの様にあるべきかが主眼であり、外に出た方が良ければそうすべきだし、出ない方が成果があがると考えるのであれば後者でも良い。正直どうでも良い事だが、あえて日本的なあるべき論でいうならば、殆どのケースで前者を選択した方が良いと考える。
しかし、それにおいても「マネージャー=スタープレーヤー」であってはいけない。(百歩譲って、元スタープレーヤーというならばまだ良いが、現役では絶対に駄目だ)

この点は日本型経営の大いなる欠陥であると小生は断言する。スタープレーヤーをマネージャーに任命して師弟制度にて、次のスター候補を見つけ、一子相伝で育てあげて行く。確かに技術的な面においては、この様な上司と部下の関係が、根底において日本企業を強くした面は否定しない。しかし先に述べた様に、これは断じてマネジメントでは無い。企業においては非合理である。
マネジメントにおいてプレーヤーの高度な技術やノウハウが一子相伝で伝える事を否定するのでは無く、それを包括して、組織の価値、成果を最大化していくのがマネジメントである。
即ち小生は、日本型マネジメントが間違えているのでは無く、多くの日本企業において、そもそもマネジメント自体が欠落している事を指摘している。
日本企業の多くは、愛社精神を育み、社内の信頼関係を重視し、技術やノウハウの伝承を行ってきたからこそ、強かったのでは無いか?経済合理性ばかりを追求する欧米型はやっぱり駄目だったではないか?そんな考え方を取り入れたから日本の企業も一緒に駄目になってしまったのではないか?

そうでは無い。それを含めて合理的に経営モデル自体をイノベーションさせる必要がある。

確かに欧米型の多くは、マネージャーとプレーヤーの線引きが明確である。上司も部下も経済的な成果のみを求めるあまり、給与に照らして、生産性が低いプレーヤーはとっととクビを切り、成果が上げる体制を組まなければ、マネージャー自体もクビが切られる(トップマネジメントであっても)。プレーヤー自身も、より楽で儲かる仕事が見つかれば我慢などせず、さっさと転職してしまう。
この様な経営モデルが弱さを持っている事も自明だ。
だからこそ、それを踏まえて合理的に、長期視点に立ち、技術、ノウハウの伝承、仲間との信頼関係、組織への愛着、創業者へのリスペクト、など短期の利益以外の多様な価値感を持つ日本型を活かす真のマネジメントが必要なのだ。ここに至ってマネジメントの放棄だけはあってはならない。(ここではあくまでも冷徹に、最大の成果を得る為の極めて合理的判断として)

部下、いやプレーヤーを活かし最大限能力を発揮させる事によって最大の成果を得る。この為に必要な事は、

第一条件として、一般的に見られる「マネージャー=上司」、「プレーヤー=部下」という従属関係、師弟関係を破棄する事。
第二条件として、プレーヤーこそ利益を生む中心であり、スターである。マネージャー自身は、原則なにも生み出さないコストである事を認識する事。(トップマネジメントであっても)
第三条件として、よってマネージャーは、組織の成果を最大化する事に対して責任と権限を持つ事。(日本的には長期視点に立った)

第一条件に違和感を覚える人も多いだろう。しかし第三条件によって権限を持つ。それは人を従属させ操る権限では無く、成果を最大化させる為の権限である。即ちむしろ「プレーヤー」を補完する立場と言った方が近い。
第二条件においては、マネージャーが直接「利益」を生んでは行けない。とも言える。あくまでもプレーヤー達に「利益」を生ませる事に、その存在価値がある。と言っても過言ではない。

如何であろうか?この小生の勝手な三つの条件に照らして、芸能事務所のマネージャー職こそが一般企業にも求められるマネジメント像に近く、日本企業の9割はマネジメント不在と表現した。

「成果」を「短期の利益」とするかどうか、そもそも「成果」=「利益」で良いのかの議論は、ドラッカー先生の本を読んで考えて見る事をお勧めする。
そして、これを読んだ貴方が規模や部下の人数を問わず、経営者なり営業課長なり、マネージャーという立場であるにも関わらず、会社の中で燦然と輝くスタープレーヤーであるとするならば、少し自身に振る舞いを考え直した方が良いと思う。
日本のベンチャーがあまり上手く行かないのは、やはり芸能界で例えるなら、スターを次々と生み出す画期的かつ効率的なモデルの芸能事務所を作ろうというものでは無く、自らがスターを目指してしまう所に限界がある。
「いや、うちは大手や他社と違って画期的なビジネスモデルを持っています」と言うが、実態は、「今の大スターや他の芸能人が持っていない「一芸」を持っている。だからきっと私は大スターになる。」という事が多い。それはそれで立派な事ではあるが、やはりマネジメントが不在なのだ。

あまり上手い例えではなかったか・・・・どちらかというとビジネスモデルの説明になってしまった。

マネジメントそのものをイノベーションせよ。
それが、明日への道となる筈だ。

2009年9月10日木曜日

市場の破壊者は下からやって来る!

三菱がi-MiEVを発売、日産がLEAFを発表と、EV(電気自動車)が、次世代自動車として注目を集めている。
恐らく、EVの分野でリードしているのは日本だろう。
(中国やアメリカからブラフっぽい情報が飛んでくるが)

では、日本が今後も自動車産業で主役で有り続けられるか?
小生はかなり疑問視している。

ではEVに力を入れ復権を狙っているアメリカ、以前大きな力を持っているドイツ、檄安ナノを作ったインド、どこが、これからのこの産業をリードしていくのか?

小生は中国では無いかと思っている。中国の車といえば、パクリカーばかり作って品質の悪いイメージしか無い。少なくとも、内燃機関の自動車にしろ、EVにしろ、まだまだ日本車に追い付くのは時間が掛ると考える人が多い。確かにそうなのだ。それは間違いない。中国の自動車産業が技術を幾ら輸入した所で、自動車で日本企業が築いてきた競争優位性に追いつく事は難しい。日本企業は更に高い次元に行ってしまうのだから。

しかし、違う。そういう既定の枠に捉われて物事を考えると、大きく事を見誤る可能性がある。既定の自動車市場の枠で考えていると足元をすくわれる。

車はどんどん大きく、豪華になっていく。マーケットの声に応じて、より大きく、より燃費が良く、より快適で、より安全で、・・技術を磨き、今よりも付加価値を上げる・・・自動車に関わるプレーヤ全てが、その点を磨き競争をしている。
日本の、EVもその延長線にある。あくまで持続的イノベーションの範囲なのだ。即ちレコードプレーヤが、CDプレーヤに取って代わったのと一緒で、確かに重要な事ではあるが、この技術はウークマンでも、i-Podでも無い。
28万円カー、タタのナノが破壊的か?これは既定の技術をチープに焼きなおしたもので、ヒットするかもしれないが、破壊的とまでは言えない。いわば数千円で売られていた簡易レコードプレーヤに近い。

では、何故、中国なのか?
今、中国では電動スクータが大人気らしい。小生はこの事を知って稲妻が走った。「これこそが破壊的では無いか!」予言的で、本当にそうかどうかは解らない。

電動スクーターは大きくは二種類あって、電気で動く自転車タイプと、電気で動くスクータータイプ。価格もエンジンで動くスクーターと殆ど変わらない。ガソリンスクーターのガソリン代が電気代で済むメリットは微々たるものだ。粗悪な中国製が世界でヒットするのか?

しかし、スクーターなので、バッテリーが小さく、取り外せて家で充電する事が出来る。社会インフラの充実を待つ必要は無い。オイル交換などの手間も掛らない。あの小うるさいエンジン音もない。
いざ、同じ価格で、ガソリンスクータと電動スクーターを並べられた時に貴方はどちらを選択するのか?
幾ら日本企業が高性能なガソリンスクーターを作った所で勝負は見えているのではないか?
日本企業ではヤマハが2002年に電動スクーターを発売しているが、あくまで試験的であり、しかもバッテリートラブルで販売中止となっており、本気で電動スクーターを販売している企業は無い。

中国の電動スクーター市場は今年は3000万台近い数字が予想されている。既に3000万台のEV(電動スクーターだってElectric Vehicleだ)が、便利に生活や企業の道具として動いている事実に驚かざる負えない。
正直、電動スクータなんて大した技術では無い。おそらく部品さえそろえば小生でも組み立てられてしまう。
しかし逆に言えば、単純で部品点数も少ない電動スクーターはバッテリーの価格さえ下がれば、エンジンスクーターの半値で販売する事だって可能になってくるだろう。これだけ普及してくれば、どんどん量産効果が得られ、間違い無くコストは下がっていく。そうなれば他の新興国でも大いに普及する。
幾ら日本が高機能な電気自動車を追求した所で、新興国での普及には相当な時間が掛る。

例えば三万円の電動スクーターが出ればどうなるのか?これが何を意味するのか。自転車とも競合してくる価格だ。
日本でも、自転車通勤が流行っている。自動車通勤や満員電車を回避する事が目的だ。但し10キロ以上になってしまうと運動などの目的が無いと正直辛いのが現実だろう。
ママさん達が子供を前後に乗せる事で問題視された3人乗り自転車の事も、少なくともママさん達の労力という点では、解決してくれる可能性が高い。

実際、自転車型の電動スクーターが部分的に大阪で流行って、警察は慌てて取り締まりを強化に乗り出した。
(フル電動だと原付扱い)

しかし普及が進めば、必然的に新しい時代にあった新しい法規制が出来て、店舗に駐車?駐輪?スペースが出来て、充電スタンドが置かれ、インフラが整う。(何故なら人はより便利さを求めるから)
(今の日本の様に無理繰り税金でインフラを整えて普及させようというアプローチには違和感を感じる)

普及が進めば、雨風をしのぐ工夫や、多人数乗車などの発展も進むだろう。そうなれば、今度は自動車がコンペチターになる。平日は使えず、土日のチョットしたドライブや買い物に、本当に3ナンバーの大排気量車が必要だろうか?200万のハイブリッドカーならいいのか?

そう、破壊的イノベーションは常に下位レイヤーから現れるのだ。ホンダの海外進出の足がかりを作ったのは、高性能バイクでは無く、安くて便利な「カブ」だった。「カブ」から高性能バイクや自動車に発展して、既存のメーカを追い出したのだ。

「電動スクーターこそ破壊的」さて、小生の予見は当たるのか?

ただし、勝利するのは電動スクーターメーカでは無い。電動スクーターメーカは単なる組み立て屋で、本当の勝利者は電池メーカだ。
中国には既に電気自動車を走らせ、リチウムイオン電池で世界3位のシェアを握る(と言われる)有名なBYDがある。リチウムイオン電池も、まだまだ日本企業の技術の方が勝っているって?

「でも、そんなの関係ね~♪」

BYDの電池を以て、数億台の電動スクータが動き出したらどうなる?ウォーレン・バフェットが同社に投資した意味。
よくよく考えて、本気で頭使わないとやられるよ。日本の自動車メーカは。

2009年9月7日月曜日

売上のジレンマ

最近、色々な経営者の方に「売上を一次的に落としてでも○○すべき」です。
と言っている気がする。

もし仮に小生がコンサルタントだとすれば、とんでも無い事だ。
「売上を3倍にする」とか「必ずコスト削減できる」とかそういった売り文句のコンサルタントは掃いて捨てる程存在するが、「売上を落とすコンサルタント」ではシャレにならない。

例えば、前職でも「で、それやると幾ら売上伸びるの?そういう事例はあるの?」
という言葉はクライアントから頻繁に聞かれた。
心の中では「上がるか!ボケェ!」と言いたい処をぐっと抑えて、「それは貴方方次第ですよ」っと、優しく説明した。もちろん売り込まれている方は「また怪しげな奴が売り込みにきやがった。うち社長はこういう連中に騙され易いからさっさと追い出してやろう」位に思っている訳だから、話がかみ合う筈も無く追い出される。

しかし、仮にも社長に「売上を落とせ」と、のたまうからにはそれなりに覚悟がいる。
企業にとって「売上」は全ての源だ。幾ら「利益重視」といった所で、「売上」がなければ「利益」もへったくれもない。

ところで「パレートの法則」というのをご存じの方も多いだろう。売上の80%は20%の製品で稼いでいるとか、2割の営業マンが8割の売上を稼いでいる。とかいわゆる2:8(ニッパチ)の法則とか言われているアレだ。
例えば5つの商品を展開する会社で、商品Aが全社の売上の8割を稼いでいるとしよう。残りのB、C、D、Eという商品は、一応、カタログには載っているが、殆ど売上を挙げていない商品群だという事になる。しかし、それらの商品であっても、製造したり、販促物を作ったりの手間暇は、主力商品Aと大差ない。
だからと言って単純に、B,C,D,Eからは撤退して、商品Aに注力すれば良いという問題では無い。

商品Aが、BCG(ボストン・コンサルティング・グループ)が提唱して、一時期ブームになったPPM(プロダクト・ポートフォーリォ・マネジメント)でいう所の、「花形商品」(市場成長率が高く、相対シェアも高い)であれば良いが、「金のなる木」(市場成長率が低く、相対シェアが高い)であれば、収穫期であり、しばらくすれば、「負け犬」に落ちてしまう。市場成長率が高く、自社のシェアが低い分野を見つけ投資していく必要がある。(PPMでは「問題児」)

そう、主力商品Aが、これからも明らかに伸びて行く市場であれば良いが、ジリ貧になる事が解っている市場だった場合、明らかに別の「打ち手」が必要になってくる。それを既存商品群から探すか、全く新規に開発するか、のどちらかである。もちろん米国流であれば収穫期を終え、負け犬に落ちた(落ちそうな)事業なり、商品なりは、とっと売却して、新しい成長分野はよそから買ってくる。で良いが、日本企業でそんな事は難しい。
(日本で経営と執行の分離と言う言葉が流行り執行役員制度がかなり普及したが、向こうでいう経営は、こんな事ばかり考えている人達の事で、物作りへの愛着や、現場への拘り、なんて皆無な人達といったら極端だろうか?社員や事業に愛着のある日本の経営者はそこまでドライには考えられないという点で)

さて、主力商品Aが収穫期から「負け犬」への移行期にあるとしよう。何しろ全社の8割の売上を誇る商品だから、ほっておけば会社ごとジリ貧となり、やがては倒産となる。
この事は解っている。何か手を打たなければまずい・・・・しかし現実は何一つ変わらない・・・変えられない。

小生はこれを勝手に「売上のジレンマ」と呼んでいる。
何故か?「今まで自社の成長を支えてくれた愛着がある商品だから」というのもあるかもしれないが、殆どは「売上」が原因だ。
例えば、この会社の商品全て、高額かつ、商談期間が1~2年掛るとしよう。会社の年商は50億。
去年の商品Aの売上は40億という事になる。市場の衰退によって、今年は前年比9割の36億に落ちるかもしれない。しかし、逆ににいうと、人や金という資本の投下を去年と同じ配分で行っておけば、36億はキープできて、全社では46億の売上が保てるのだ。
逆に、商品Cを次の成長ドライバと捉え、人や金を大量投入すればどうなるか?商談期間が1~2年だから、今年の商品Cの売上は、前年比同様の2億(10億/5)に留まり、リソースを割かれた商品Aは、一気に売上が落ちてしまう可能性が高い。仮に20億位まで落ちれば、全社の売上は30億にまで下がる。しかも本当に商品Cが次期主力商品に育ってくれる保証はない。

さて、こんな極端な例を出すと、「そんなに単純じゃね~」って言われそうだが、「売上のジレンマ」は、もっと現場レベルでも起きている。

例えば営業マンであればどうか?

主力商品が、なんとなく市場成長が止まってきている事は肌感覚でつかんでいても、ノウハウもあり、顧客もついている。会社が戦略商品、重点商品への注力を指示してきても、ノウハウも無く、顧客も新規に開拓しなければならないとすれば、うかうか手を出せない。今までどおり、主力商品をやっていれば、昨年の9割は保てる。いや、営業マンは全体を俯瞰しないので、自分は昨年同様、もしくは、昨年以上の結果が残せると考えてしまう。たまたまその営業マンは昨年以上の成績を収めるかもしれないが、結局全社では売上減となる。

「物売り型営業からソリューション営業」に。という言葉は近年流行った言葉である。
簡単に言えば、自分のノルマを達成する為に顧客の都合は無視して兎に角売り込む。こういうスタイルから顧客が抱えている課題を共有して、その課題を解決する様な提案をしていこう。というものだ。ごもっともな話しだが、「顧客の課題」が自社の製品で解決できない場合はどうするのか?
「弊社の商品では、今回の課題は解決が難しいです」と素直に言えば、確かに長期的には信頼を得られ、後々の売上に繋がっていく可能性はある。
しかし解決ができなくても「大丈夫です。コレ買って貰えば必ず解決します!」と、なんの根拠も無く売り込めば、一時的な売上は上がるが、顧客の信頼を無くし長期的には駄目になる。
ノルマに追われているのに「一時的に売上が落ちても、長期的に見れば・・・」と考える殊勝な営業マンがどれほど居るだろうか?
経営者だって「ソリューション営業の実践」とか、上辺では格好の良い事を言っておきながら、イザ、期末で売上が足りないと、「何でもいいから売ってこい!!」と、檄を飛ばす人が実に多い。

他にも、顧客ターゲットなんかもそうだ、「ポテンシャルがあるが自社のシェアが低い顧客」をターゲット顧客として注力していく。期初には、それこそコンサルとかに騙されてこんな方針を出す。しかし、現実問題、ポテンシャルがあるが、自社のシェアが取れていない顧客というのは競合とベタベタな企業という事になる。こんな顧客に種まきからコツコツやっていたら、売上が上がるのは何時の日になるか解ったものでは無い。
それより、今付き合っている顧客から、安定して売上を上げた方がよっぽど現実的だと考えるだろう。
「ターゲットに注力していたら、今年は売上ゼロでした」って許して貰える会社なら良いけど・・・
(でも上記三点位なら、経験上、実際にはそれほど売上落ちない)
こういう事が重なって、結局は「売上」がハーメルンの笛吹き男となって、悪い方へと行進していってしまう。

結局、経営者であれど、いや経営者であるからこそ、頭では解っていても「売上が落ちる」という現実に、建設的に向き合うのは難しい。迷う。ためらう。しかし、病気を治すには、時は、外科手術や劇薬を飲む(痛みを伴う)必要がある時もあるのだ。

「契約頂ければ、必ず売上を伸ばします」と気持ちの良い事ばかりを言うコンサルタントを信用しますか?
(結構、一時的な売上を伸ばすのは簡単。例えば訪問件数ノルマとか、テレアポノルマとか徹底して物量を増やす。質はトークスクリプトをロープレで徹底的に仕込む。今までダラダラやっていた組織はコレだけで、一時的には売上は上あがる。しかし結局こんなことで伸びるのは、今まで手抜きをして落ちていた、ストレッチ部だけで、結局はマーケットに淘汰される)

本気でクライアントの事を考えていれば、時として建設的に売上を落とす為の背中を押して上げる事も重要だと思うのだ。だってほっとけばどのみち倒産なのだ。
もちろん死ぬ直前のクライアントに、外科手術を強行すれば体力が持たず、そのままご臨終になってしまうので別の方法が必要だ。
そうなる前に、売上を落とすコンサルティング。如何でやんすか?
(やっぱり駄目だよな~)